boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『妖獣都市』Scene2 滑走路 Cut63

川尻善昭監督作品『妖獣都市』のBlu-ray BOX発売決定のニュースに合わせて、思い出語り。

『妖獣都市』を初めて劇場で観たのは、池袋の新文芸坐で定期的に行われているアニメスタイルのオールナイトだった。『妖獣都市』はビデオプロジェクタによる上映だったようだが、それでも自宅で観るのとは比較にならない圧倒的な臨場感があった。

とりわけ、戦慄を覚えるほど美しかったのが、ジュゼッペ・マイヤートを迎えに空港へ向かった滝が魔界の過激派に襲われ窮地に立たされる中、麻紀絵が左手の爪を一閃するカットだ。これは映画の予告編やポスターにも使われている有名なカットで、公開されている絵コンテに合わせて言えばPART-1「Scene2 滑走路 Cut63」の場面。コンテにはBLベタで「赤トーカ光一閃する」「トーカ光のまわり明るくなって眼F.I」とあり、撮影を加味した演出を初めから指定していたことが伺える。

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闇夜を切り裂く軌跡に覗く、ゾッとするほど美しい切れ長の瞳。これが川尻善昭だ、と本能に訴える官能的で暴力的な気配に満ちた赤の一閃。全身を走り抜けたあの一瞬の興奮、おののきは今でも忘れられない。そこで川尻作品の真骨頂は、濃縮された「動」の中に込められた情念、激情なのだと悟った。そしてこれは、何者かが蠢いていると思わせる不穏な黒塗りの夜とスクリーンの暗闇が同調して初めて成せる美技なのだろう、とも。まさに「劇場で観る川尻善昭」の一閃を受けたわけだ。

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後にDVDや「PLUS MADHOUSE2 川尻善昭」に収録されている同カットの原画、レイアウトを見ると(上記はDVD特典の絵コンテ)、そこにはBLで隠されていた麻紀絵の表情が描かれており、凛々しく結ばれた赤い唇からわずかに漏れる色気によって、冷徹な魔界の住人の顔と艶かしさが共存する画になっていた。それを黒いマスクで覆って見えなくしてしまう、だからこそ美貌への期待と想像が膨らみ、「赤」が鮮烈な印象となって残り続ける。

あの衝撃に近いものが、はたしてまた味わえるだろうか。Blu-ray BOXを開くのが少し怖くて、楽しみだ。


妖獣都市 予告

『色づく世界の明日から』と篠原俊哉のポッキー

P.A.WORKS×篠原俊哉の新作『色づく世界の明日から』が始まった。魔法の使える社会で魔法が使えず、幼い頃に色覚を失ってしまい、灰色の世界を見つめてきた少女・月白瞳美が祖母の時間魔法によって突然60年前へと渡るファンタジックな作品だ。

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第1話Aパートで瞳美は過去へと時間移動することになるが、そこで気になるプロップがあった。彼女が手に持っているポッキーだ。花火の約束をした祖母を待っている間、瞳美はポッキーを口にする。そして時空を超えるバスに乗車しているときにも少しかじり、現金を持っていなかった瞳美は運賃代わりに箱ごと手渡す。Aパートを通して微妙に時間を持て余している雰囲気であるとか、持っていて自然な表現としてポッキーが一役買っており、なんというか演出的な趣向が感じられた。

それもそのはず、じつは篠原俊哉監督は(妙な言い方で申し訳ないけれど)名うてのポッキー使いなのだ。監督作である『凪のあすから』18話と各話演出で入った『Charlotte』(12話、ED)でも印象的な小道具として登場しており、興味深いなと思っていた。

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ポッキーがどんな性質を持ったアイテムか考えてみると、まずCMの影響(歴代のトップアイドルや女優が起用されている)もあってか、美少女と相性がいい。画的に可愛らしく、くわえたり持っている姿が様になる。また、携帯に適しており、食べるとポキッと軽快な音が鳴る。つまりリアクションが付けやすく、カット内の契機にしやすい。これは演出上便利だなと思う。他方で、「食べかけのまま戻せる」という“機能”を備えているお菓子だ。

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例を挙げれば、『Charlotte』12話の奈緒は食べかけのポッキーを箱に戻し、有宇に渡している。ひょっとすると見逃してしまいそうなロングショットの芝居だが、「恋人になる約束」「能力の略奪」に「食べかけのポッキー」を加えることで奈緒の心理描写を深めているわけだ(鏡の使い方もテクニカルなシークエンス)。

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『色づく世界の明日から』にも食べかけたポッキーを戻している場面がある。待ち合わせに祖母が来たところと、(箱の中に戻す芝居は描かれていないが)おそらく戻していると思われるバスの席から立ち上がるシーンの二箇所。これは「そういうの、どうでもいい」と言って祖母に「あなたの悪いクセよ」とたしなめられているように、食べかけであるかどうかなんてどうだっていいと心を閉ざしている表現かもしれないし、あるいは過去への時間移動に引っ掛けて「戻す」ということ意図した芝居なのかもしれない。いずれにせよ、解釈の余地を残す、暗喩的な使われ方だ。バスを降りるシーンでは円筒形の箱の底から映すアングルを利用して「2078.9」を見せているのも効果的(わざわざ説明しない)で、映像演出におけるプロップの活用例として面白いものだった。

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次はいったいどんな形で用いられるのか、篠原俊哉監督のポッキーに乞うご期待。

22/7「あの日の彼女たち」の演出、魅力

22/7「あの日の彼女たち」キャラクターPV day06 丸山あかね、day07 戸田ジュンが公開されていた。今回は詳細なスタッフ情報が掲載されており、一部で噂されていた通り、アニメーション制作はCloverWorks、監督に若林信、キャラクターデザイン・作画監督には堀口悠紀子。さらに小林恵祐、小林麻衣子、江澤京詩郎、大山神らの名前が並び、“スーパー”制作進行・梅原翔太を含め「エロマンガ先生8話組」が中心にクレジットされている。


22/7「あの日の彼女たち」day07 戸田ジュン

PVで描かれているのは、レッスンの合間の一幕だったり、ファミレスで注文するメニューを悩む姿であったり、短編映画のワンシーンを切り取ったような些細な出来事。登場する人物はPVによって異なるが、基本的にふたりの少女だけ。フィルムから滲み出る少女と少女の関係性、何となく伝わってくる背景。決して雄弁ではないけれど、寡黙でもない。察して楽しむ、そういう性質の作品だ。

驚かされるのは、そのヴィヴィッドな仕上がり。「本当にそこにいる」と思わせるほど精度の高い人物芝居、出来る限りBGMを使わず、環境音を生かした舞台設計。そして肝とも言える光のコントロール

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光の当たり方が変わり、陰影が付く。それによって違う側面が見えてくる、緻密に計算された音とライティング。見ているうちにいつの間にか彼女たちの感性に引き込まれてしまう、そんな作りになっている。その説明的、記号的ではない演出の姿勢はかつて『魔法のスター マジカルエミ』のOVA「蝉時雨」などで見せた安濃高志監督の方法論に接近していると思った。

緊張感を湛えた、何も起こらないドラマ。しかし「何か」がある。言葉に出来ない、あるいは表層的ではない「何か」を安濃高志監督は“克明“に描くことによって獲得しようとした。「克明」とは、表現に必要なものを決めて、周囲にあるものを象徴的に扱い、映像の中に時間を浮かび上がらせることだ。するとやがて心情、つまり目に見えない心の中の思いが照らされていく。「あの日の彼女たち」に流れる時間も、すべてがというわけではないにしろ、やはり心情を描こうとしている。

たとえば、「day07」はBL画面に野菜を切る包丁の音が乗せられて始まり(BLスタートは『エロマンガ先生』8話もそうだ)、煮立った鍋の前に立つ戸田ジュンのところへ、買い物を頼まれた立川絢香が帰ってくる。その右手にはアイスが握られていて、「あたしの分は?」と訊くジュンに対して絢香はアイスを一口、「うまい」と答える。「さいですか」と鍋の方を向くジュンの首筋に不意打ちのチョコミントをピタリ。勢いで蛇口から跳ねた水が切り込みを入れて冷やしている茄子の元へ一滴ポタリ。そして「はい、チョコミント」という絢香の台詞に重ねてタイトルが表示される。

玉葱を切るリズム、台詞の間合い、芝居のタイミング、そのすべてに「凝っている」と見せない自然な空気感が、翻って演出の凄味を感じさせるのだけど、ここで憎いなと思われたのはアイスを渡す直前の綾香の視線だ。

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鍋に向き直るジュンとは視線を合わさないで首筋に眩しく浮かぶ汗をみつめている。この汗が誰のためのものかというのを絢香は察しているのだろう。他愛のない意地悪、ふたりの距離感、思いやり。それが「チョコミント」「跳ねる水音」「切り込みの入った茄子」に心情として映し出され、意味を持つ。こういった繊細で高度な表現を抜かりなくやり通しているのが、「あの日の彼女たち」の大きな魅力だ。

たぶんそれが出来るのは、実力ある人間が集まり、座組みに信頼があるからなのだろうと思う。新進気鋭のスタッフが集まり、しかも風通し良く上手い連携が取れて初めて成り立つフィルム、という気もする。若林信×堀口悠紀子のPVなんて未だに信じられないくらいだ。若林監督でいえば、『僕はロボットごしの君に恋をする』アニメPVの完成度も素晴らしい。この溢れんばかりの才気をずっと追いかけていきたい。


【フルver.】僕はロボットごしの君に恋をする アニメPV

『恋は雨上がりのように』12話の詩情

格別な詩情が溢れ出したアニメ、そう呼びたくなる。先日、完結を迎えた原作の最終回も読んでいたが、TVアニメ『恋は雨上がりのように』の締め括り方は澄明な感慨を抱かせるものだった。

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徹夜で執筆活動を行う近藤と起き抜けにストップウォッチアプリを操作するあきら、ふたりの朝を描くところから始まる最終回は、自分の中に生まれた小さな契機を雨宿りから羽ばたかせるもの。何が良いかというと大げさじゃないことだ。 進路希望調査も、勇太に走り方を教えてあげることも、日常にくっ付いて回る延長線上の出来事。それを凝りすぎた装いでない、自然なタッチで切り取っている。

本社に向かう近藤がファイルを忘れていったのも、「ありがち」な光景のひとつだ。小雨の降る中、小走りでファイルを届けるあきら。以前怪我を悪化させたあきらが、人並みではあるけれど走って「忘れ物」を届けてくれた。それはファイルに留まらない、近藤が失いかけていたものだと視聴者は知っている。雨上がりの空を反射する水溜りの上を、全力で駆け出して自分の胸に飛び込んできてくれたという近藤の幻視が物語っているのは、忘れ物、つまり「自分との約束」を思い出させてくれたことへの感謝だ。

構成の美しさも際立っている。ガーデンに戻り、店の前であきらはポニーテールをほどく。そして近藤をカットバックするこのシーンは第1話のアンサーになっている。第1話「雨音」の本編Aパートはガーデンで着替えをし、印象的なポニーテールを結ぶあきらを映す場面から始まっていた。そのポニーテールをほどくというのは、陸上に戻る決意の証だろう。

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なにより心を打たれたのは、空を見上げるあきらの瞳に流れる雨雫だ。これは初めて近藤と出会った雨の日の情景。もう雨が上がっていたとしても、その空を見上げると忘れられないあの時の光景がよみがえる。雨と空が紐付いた恋心の記憶。詩的というほかない。

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恋は雨上がりのように」を近藤の書いた小説のタイトルに持ってくるアイディアも光った。この小説は恋愛物か、あるいは青春物だろうか。「続きが読みたい」と言ってくれる人はいるだろうか。互いが自分の歩むべき道に戻っても、約束は続く。そういうかけがえのなさが滲む、清々しい幕引きだった。

シリーズ全体を振り返ってみれば、日常の生活実感を下敷きに、詩情を含ませる作品の作り方は渡辺歩監督らしく、個人的には「ちょっとアブノーマル」で「水分」(よだれ)がキーワードの(しかし中身は純情な)『謎の彼女X』に近いジャンル感だと思った。あちらでも最終話に「水分」を介して心を通わせたふたりを回り込みのカメラワークで描いていたはずだ。

シリーズ構成、作画スタッフの仕事も傑出しており、演出面では助監督を務めた河野亜矢子。絵コンテ・演出を両方担当した回は一度きりだったが、瑞々しい情緒を運ぶ手つきは精彩に富み、活力に満ちていた。スペシャルファンデチームにしろ、感性豊かな女性スタッフが貢献した部分も大きいのだろう。多彩な表現のバリエーションと生活感のこだわり、WIT STUDIOの底力を改めて確認させてもらった作品だった。

 

『恋は雨上がりのように』 #8

「続きが読みたいとも思いました。」

これは補習を受けていたあきらが、【あなたは下人のとった行動をどう思いますか? 自由に書きなさい。】という『羅生門』の問題に対して、「下人の勇気が、今後の彼の人生にプラスに働けばいいなぁと思います。」と書いた後に加えている一文*1

本作の楽しみのひとつは原作からの「翻案/再構成」を読み込むことだ。それでいうと第8話「静雨」は、“勇気”を主題に据えて構成されたエピソードだった。たとえば、吉沢を気になっているユイが前髪を切ってあげようかと声をかけた勇気、あきらのことを気にかけているはるかが、元サッカー部のキャプテン・山本*2から貰った勇気。ギクシャクした関係が続いているはるかを夏祭りに誘ったあきらの勇気。

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そしてその「勇気」についてどう考えるかというメッセージ、テーマに設定されていたのがあきらの書いた一文だ。

“続き”に触れるのは雨の降る中、『羅生門』についてやり取りをする休憩室のシークエンス。アニメで足されているダイアローグを引くと、この話の構造が見えてくる。

いずれにせよ含みを持たせたままこの物語は終わってる。

続き、続きとかないんですか?

ええ、続き?

あはは、成る程。続きねえ、今までそんなこと考えたこともなかったなあ。実に面白い。ゴメンゴメン、続きはないけどね、芥川は最後の一文を何回か書き直していてね。この前の文章では下人は雨の中に飛び出して街に強盗に向かっているんだ。芥川がどう思っていたかはわからないけど、前の文章を書いていたときには盗人になる勇気が芥川の中でとても大きなものだったんじゃないかな。俺はそう思ってる。

(中略)

俺が下人だったら、門の下でずっと雨を止むのを待っていると思う。もしかしたら、雨が止んでもその場から動けずにいるかもしれない。

芥川が何回も書き直したという最後の一文が、補習の問題で書いたあきらの一文に掛かっているわけだ。それはつまり、ふたりの関係であり、シリーズを通したアニメの構造にも置き換えられる。原作付きアニメに付きまとう「どこで終わりにするのか」という問題。その解答例をここで提示しているようにも思えるのだ。

こちらは余談。原作通りの服装であっても、色が付くと華やかさが増し、印象がガラっと変わったマイナスイオン系女子高生のワンピース。

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ユイが吉沢のときめくものを聞いていたり(細かい伏線)、ふたりの邪魔をしないようあきらを立ち去らせたり。原作に配慮された改変にアニメ版の心配りが読み取れる。

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休憩室を出る前のカットもいい。ディテールアップされた髪のタッチ+“友達”を繰り返し強調する近藤に、怒った風な顔でチラっと横目を向くあきらのクローズアップ。タッチと微妙な表情作りが目を引くアップショットだった(目パチのタイミング!)。

脚本/梅原英司、絵コンテ・演出/赤松康裕*3

*1:続きが読みたいとも~は原作にない一文。

*2:アニメでは足を怪我している設定。

*3:撮影出身の演出家で、単独での絵コンテ・演出兼任はこれが初かもしれない。

『恋は雨上がりのように』 #7

夜の青い光の中、カーテンに伝う雨雫の影。

恋は雨上がりのように』7話Bパート、雷が落ちて停電した後、ずっとテーブルに伏せっていたあきらが身を起こすシーンの美しさ、緊張感はただごとではなかった。

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青白く照らしていた外の光がカット内で変化し、画面全体の光量が落ちる代わりに、一筋の涙があきらの頬を伝う。ガラスを流れる雨粒の影はあきらの不安であり、どうしようもない感情の発露だった。それが本物の涙になった。すると、ガラスを伝っていた影は消え、近藤にある感情が湧く。影や涙が落ちるものだとしたら、感情は湧き上がってくるもの。その視覚的イメージの交差が美しい。

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近藤の腕に絡むあきらの髪の柔らかいアニメート、もつれ合って倒れるふたつの傘の情動。画面から滲み出る情緒性には目を瞠るものがあった*1。そして原作から膨らませている近藤のモノローグもこの場面を盛り上げた要素のひとつ。

この感情に、名前を付けるのはあまりに軽薄だ。

それでも、今彼女が抱えている不安をとり払ってやりたい。救ってやりたい。たとえ自分に、そんな資格があるとは思えなくても。

この感情を、この感情を。この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。

今このひととき、傘を閉じて君の雨に濡れよう。どこまでも青く、懐かしさだけで触れてはいけないものを今、僕だけが守れる。今、このひととき、降りしきる君の雨に君と濡れよう。どこまでも青く、青く輝き続けられるように。今、僕だけが祈れる。

「この感情を」というフレーズを3回繰り返すのはアニメの脚色部分(原作では1回)。また近藤正巳役・平田広明ディレクションの賜物か、3度発声するそれぞれのニュアンスをすべて変えているのがすばらしい。後半はまるで私小説を読んでいるようであり、「ひととき」「今」と何度も連呼しているところに煩悶の痕が見て取れるし、文学青年だった名残が湧き上がってきていると読んでも面白い。

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「青」で覆われていた部屋が眩い光に照らされ、雫は下へ、感情は上へ。天井に映りこんだ雨の影は落ちているのか上っているのか。光と影による交感の演出。熱に浮かされた雨の陰影、ひとときの幻想。理屈ではない感情が押し寄せてきているという劇的な一瞬だった。

脚本/赤尾でこ 絵コンテ/二村秀樹、演出/丸山由太、河野亜矢子、赤松康裕 作画監督門脇聡、西原恵利香、奥野明世

*1:雨雫の影や凝ったあきらの髪の表現は河野亜矢子絵コンテ・演出の第3話にも登場する。

『恋は雨上がりのように』6話の構成力、演出

恋は雨上がりのように』は構成力に唸らされるアニメだ。

原作付きのアニメを観るとき、原作既読の状態が必ずしも好ましいとはかぎらないが、本作はシリーズ構成、各話の構成、ともに原作ファンの目で観ても「こう来たか」と思わせる仕掛けがある。アニメ第6話「沙雨」は原作3巻のエピソードを再構成し、“3人”の関係性、すれ違う思いを描いたものだ。

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まず、これまで出番の少なかった喜屋武はるかを今回の語り手のひとりにすると伝えるアバンタイトル。本編Aパートは中学時代の回想から始まって、朝、学校に行く前にその頃の写真をじっとみつめるはるかのカットを挟み、部活と補習を行っている学校のシーンへ。眩しい夏の日差しの下、笑いあう陸上部の目を避けながら、補習終わりのあきらは大汗をかいてバイトに向かう。途中、駅のホームであきらは穏やかな風の音を聞く。そして夏の青空から街並みへとカメラが振られ、今日も「ガーデン」で働くあきらを見守るように、いつもと変わらない夜が更けていく。このアバンからファーストシークエンスまでの描写をみても、大部分は原作通りだ。しかしエピソードを並び替えた事によって、あきらとはるかの交わらないある夏の一日という輪郭がくっきり浮かび上がる。ガーデンの店内にカメラが入らないまま終わっているのも重要だ。これはガーデンに向かう道のり(あきらとはるかの走ってきた道にもかかった二重の演出)の話なのだと暗に語っている。

脚色の巧さが光ったのはBパート冒頭。

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ひとり集中し、ラスト一本を全力で走るはるかは、子供のころ追いかけていたあきらの背中を思い出す。この本来なら原作7巻に登場するはずの回想とオリジナルの練習シーンを組み合わせたアニメ独自のプロットが呼び覚ましているのは、陸上への情熱とそれを追う視線、走っていると耳をいっぱいにするという風の音だ。さらにはるかの走り終わった後、轟いている遠雷がレアキーホルダーを受け取って帰路につくあきらの頭上でゴロゴロと鳴る。そうして呼びかけられた音は物語に新たな味わいを生む。

それがラストシーンだ。あきらは突風を背中から受けて、ひとりその音に耳をすます。幻想的な画面の中、あきらの姿は次第に滲み、夜空に“とけていく”。(先の回想と同じく、原作7巻に登場する描写のアレンジ)。

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これも駅のホームで風を感じ、はるかの回想で反復されているからこそ、特別な音として伝わってくるわけだ。背中の見せ方もいい。はるかの視線を背中に受けていたあきらが、今は近藤の背中をひそかにみつめている。けれど、かつて聴いていた馴染み深い音を忘れたわけじゃない。あきらにも、近藤にも、互いに自分を呼んでいるものがある。その感傷的な余韻が後を引く、構成の妙。存分に堪能させてもらった。

脚本/木戸雄一郎、絵コンテ・演出/鏑木ひろ。(多重露光のカットはお気に入り)。

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