boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』感想

先週の土曜日、公開初日に『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』を鑑賞。何も調べず劇場に足を運んで正解だった。これは未成熟な面映いラブストーリーであり、サービス精神に溢れた舞台探訪型ロードムービーだ。

近年、京都アニメーションは「コミュニケーションと変化」を描く作品を数多く制作してきた。本作も扱っている核は「変化」にある。そして同じ恋愛劇でも『たまこラブストーリー』と違うのは、「付き合ってからの変化」を描いていること。富樫勇太と中二病小鳥遊六花はこれから先も一緒いられるのか。いつまで中二病を続けられるのか。純無垢のままではいられない――そんな変化への逃避行。

とはいえ、そこは石原立也監督。シリアスに振りすぎず、逃避行の影で行われるファンサービスが特徴で、『たまこまーけっと』のうさぎ山商店街を訪ねたり*1、ゲームセンターの景品にデラがいたりと(『無彩限のファントム・ワールド』のルルも?)、趣向を凝らした楽しい仕掛けがたくさん用意されている。

とりわけ目を瞠ったのは『涼宮ハルヒの消失』を彷彿とさせるファミレスのシーンだ。勇太と十花の緊迫した問答、外で鳴り響く踏み切りの音。これは『消失』の公式ガイドブックで明かされた「踏み切りによる境界」の音響*2。それをほぼそのまま使っているのだ。いわば演出レベルのセルフオマージュ。しかしそこからの変化がおもしろい。十花が来ていることを知らない六花はドリンクバーで複数のジュースを混ぜて新しい飲み物を作り、境界を混淆とさせる。その緩さが石原流。もしかしたら、ある種の演出ギャグだったのかもしれない。驚かされたと言えば、航空機。今の時代に手描きの航空機! ここに注力をするのかと感心してしまった。もちろん、人物芝居にも手抜かりはない。たとえば、六花の部屋に十花が現れた際、去り際に勇太の妹である樟葉の頭をポンと触っていくカット。表面上は怒っているようでも、慈愛に満ちた本心が隠されているのだと伝わる心情芝居にホッとしたことを覚えている。

シリーズの最終章として物語も綺麗にまとまっているし、個人的にはエンドロール、メインスタッフの並びがいいなあと思った。キャラクターデザイン・総作画監督池田和美、絵コンテ/石原立也、演出/石原立也武本康弘、北之原孝將と流れていく。つまり90年代からスタジオを支えてきた屋台骨と言える顔ぶれだ*3。作品の舞台を巡り、スタッフとスタジオのフィルモグラフィーに思いを馳せる。そして露になる「変化」するものとしないもの。重層的な感慨があった。

ただ、あの映画の冒頭で行われるフォトセッションだけは何回観ても慣れない。背中がムズムズしてしまう。『リズと青い鳥』にも設けられるのだろうか……

 


「映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-」本予告

*1:響け!ユーフォニアム』の久美子がよく座っていたベンチ、Key原作の舞台とされる御坊、札幌や龍飛崎なども巡っている。

*2:パート演出を担当したのは高雄統子

*3:木上さんも多田文雄名義で原画のトップクレジット。