boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

TROYKAの遮断機/七海燈子の踏切

 『やがて君になる』は演出に凝ったアニメだ。小糸侑と七海燈子、ふたりの心情を様々なフレーム、境界線によって描き出そうとしている。そのひとつ、「踏切」についての小話。

踏切は電車や人々が行き交う日常的な場所でありながら、「線」が多く、心理的距離を映すにはうってつけで、時には待ち時間(遮断された世界)まで発生する演出的特性に溢れた空間だ。第2話「発熱/初恋申請」Aパート終盤の踏切シーンは、その特性を存分に使った印象的な場面になっていた。

フィルターワーク、スローモーションのアイディアもさることながら、特に目を引いたのはローポジション、ローアングルで見上げる遮断機のカット。「まぁ仮に女同士じゃなくたってわたし…好きになるとか、ないですけど」という侑の台詞に合わせて、真上から遮断機が降下。遮断桿が下降位置のブレーキで弾んで停止するのに合わせてカットバック、急に立ち止まる燈子にぶつかる侑、という連鎖的な繋ぎが秀逸。燈子の心のような踏切、弾む遮断桿はまるで燈子の琴線。原作通りのシチュエーションをより比喩的な演出で膨らませている。

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ここで思い出したのが、同じTROYCAが制作した『Re:CREATORS』第1話の冒頭だ。駅のホームを力なく歩くセツナのロングショットの後、遮断棹を垂直に固定したまま回転降下するトリッキーなカット。 

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奇妙に流転する世界、本来下にぶら下がるはずのテープが横になびく、物理法則の逆転。被造物、引いては物語の属性を暗示する遮断機。踏切を生かした演出は数あれど、こんな意味深な遮断機のカメラワークは見覚えがないな、と感心してしまった。だから『やがて君になる』の当該シーンは「TROYCAの遮断機にまたやられた」と思った。尤も、加藤誠監督は『Re:CREATORS』の副監督でもあり、多少意識的に設計している気もするのだけど……それはまあ、考えすぎかもしれない。