boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

22/7「あの日の彼女たち」考 day04 佐藤麗華


22/7 「あの日の彼女たち」day04 佐藤麗華

映像におけるファーストシーン、ファーストカットは特別だ。
そこで引き込まれるかどうか、視聴意欲をかき立てられるか否か。それがすべてではないにしろ、やはり主張のある切り出し方をするものにより惹かれるし、そういうものが観たい。「あの日の彼女たち」はどれを観ても最初の画作り、音作りに緊張感がある。しばしば冒頭のBL画面に音を先行させ、没入感を高めた編集が見受けられるが、それも工夫のひとつだろう。音という環境情報が「あの日」への糊代になっている。

「day04 佐藤麗華」はこわばった心をほぐす一編だ。撮影のときに「リーダーっぽい笑顔」を注文された麗華はそれがどういう笑顔か分からず、証明写真を撮って確かめてみるが……。証明写真機内から見下ろす構図のファーストカット。狭い室内で麗華は手を握り身をギュッと縮め、息を吸う。撮影が終わると溜め息まじりに脱力。取り出し口から出てきた証明写真には、心なしか硬い人工的な笑顔が写っている。

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なんてことはない、この最初のシーンで伏線的なのはカメラがじかに表情を捉えていないことだ。モニターや写真で確認できるとはいえ、それは違うレンズを通したもの。「本当の表情」は分からない。そうやって観ていくと全16カット中、麗華の表情を正面から直接映したカットはひとつしかないことに気づく。しかもそれすら上を向いて上下が逆さま。つまりメタフィクショナルな見方をすれば、「彼女たちの違う表情」を映すという本作のコンセプトに疑問を投げかけているわけだ。藤間桜のいう「それってどんな顔?」はまさに伏線を回収する台詞。ちょっと頭をひねると、何とも一筋縄ではいかない言葉のように聞こえてくる。

しかしこれはそんな固くなった心と体を柔らかくする、微笑ましいフィルムでもある。そこで象徴的に使われているのが、呼吸だ。最初の呼吸は満足な笑顔が作れず、証明写真機の中で思わずついた溜め息。二度目の呼吸は桜の背中の上。かつぎ合い(背中合わせで交互にかつぐ柔軟体操)の途中、麗華はゆっくりと息を吸い、自分の悩みを吐露する。ひとりで抱え込んだ溜め息とだれかの背中で支えられながら吐く息。その違いを自然なまま描き分けるところに、このフィルムの奥行きがある。

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かつぎ合いというアイディアもいい。アイドルと素顔、緊張と弛緩、対義関係にあるふたつの状態を背中合わせにしているようにも見えるからだ。ラストシーン、「重い?」と訊く麗華に桜はちょっとおどけて「今日だけじゃぞ」と答える。この「重い?」は精神的な意味合いと、もしかしたら様々な“状態”を訊いていたのかもしれない。だが桜はそれをあっさりと受け止める。そして鏡に反射する彼女たちの「側面」。ファーストシーンからずっと見えなかった麗華の表情を、桜を通して映す鮮やかなクロージング。

若林信監督はいったいどこまで構想を練り、映像を作り上げているのだろうか。見れば見るほど驚かされる。