boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

コンテ力

思い出したように読み返す記事がある。そのひとつが『かんなぎ』を特集したオトナアニメ Vol.10掲載の高橋渉監督による寄稿だ。

 「コンテ力」というものがある。今勝手につけた。それは構図や。つなぎ。芝居のとりかた。絵の巧拙やらシリーズのトーンやらとか、そんな後からの修正が容易なものではない。「情念」。いや彼の場合は「怨念」か。とにかくそれがドパドパ出ている量の大小が「コンテ力」。これは消せない。「良い悪い」はおいといて消してはいけないもの。

こんな出だしから始まる、山本監督のコンテがいかに攻めに寄っていたかを語り尽くした文章。時には「確信に満ちた指定の数々が目指す理想はどれも高い。文句言えない。うるさそうだし」と忌憚なく釘を刺しているあたりもいい。京都アニメーションは高橋監督の所属するシンエイ動画元請のグロスを請け負っていたため(原動画のクレジットはアニメーションDoであることも多かった)、演出家同士が互いを意識するという関係もあったようだ。幽★遊★白書』の原画をしていた頃の西尾鉄也が新房・若林回をライバル視していた話に近いかもしれない。これはその『ハレグゥ』『あたしンち』演出版といった感じだろうか。

もう10年以上前の寄稿文ではあるけれど、アニメーションの絵コンテを考える、語ろうとしたときにフッと頭の片隅を過ぎるのがこの「コンテ力」だ。たとえば、今敏監督の技巧を凝らしたコンテを眺めて浮かぶ情念は「合理と論理」「ひとさじの遊び心」。高橋統子監督のコンテ・演出回で叩き付けられるのは、「感情の雨」。川面真也監督なら「限りのない間と風景」といったように、個々のカット内容であったり、テクニック以上に、覆しようのない演出家の根底的なファクターをもう一度考えようという個人的なきっかけのひとつになっている。無論、言うは易く行うは難し、観察力の至らなさを実感してばかりなのだけれど、「Roundabout 小林敦仕事集」の編集をしているときにも読み返して何とかコンテに込められた情念を掬い取って伝えたいと、気持ちを入れ直したりもした。

同号には、「“fix(カメラ固定)”vs“カメラワーク” 私と山本監督とのささやかな戦い」と題した平池芳正監督の文章も寄せられている。こちらも好きな記事だ。様々な角度からアニメを語ろうと試みた2000年代後半の雰囲気が残っている気がする。まあ、今となっては思うところも色々と……オトナアニメ、なんだかんだ37号も出ていたのだなあ(別冊ムック系を含めると50冊近い)。

オトナアニメ Vol.10 (洋泉社MOOK)

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