boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『ミラクル☆ガールズ』再見 「曇りのちみかげ」

先週、出先でたまたま入ったハードオフに大量のアニメVHSが並んでいた。保存状態はまちまちだったが、'80年代OVAを中心にマニアックなタイトルがズラリ。その中に長年探していた*1ミラクル☆ガールズ』があった。

1993年に放送された『ミラクル☆ガールズ』は、『美少女戦士セーラームーン』と同時期に「なかよし」で連載されていた秋元奈美の人気原作をアニメ化した全51話のTVシリーズ。作風の変化が激しく、ぴえろ魔法少女シリーズで実績のあった安濃高志が17話まで監督を担当していたが、諸々の事情により降板。監督不在の期間を経て、30話から『YAWARA!』のときたひろこに監督を依頼、まったく毛色の違うアニメになった。言わば「安濃期」「監督不在期」「ときた期」に分かれているところが大きな特色。ここでは「安濃期」の話をする。

アニメ版は原作の第3部(第5巻)にあたる「倉茂先輩のロンドン留学」からスタートするのだけど、第1話「曇りのちみかげ」をいきなり観て、世界観や人物設定に正しい理解を持つことのできた視聴者はいったい何人いたのだろうか、と思うほど説明がなく、フォローもない。誤解を覚悟で書くと、それが素晴らしいのだ。

f:id:tatsu2:20190715042052p:plain

アバンタイトルは雲の隙間から覗く月、異国風の城、月光に照らされ芽を出す不思議な花のシーン。次に分子模型のブロックを積み上げるみかげ、「おはよう」と話しかける双子の姉・ともみの2人が登場する。みかげは天井に貼られた倉茂の写真までブロックが届いたら……と心の中で密やかな決心を固めているのだが、分子模型もその使い方もすべてアニメオリジナル(城、不思議な芽は2話以降の伏線となるカット)。最初から原作を外した入り方をしているわけだ。そして慌てて玄関から出ていったと思ったら、テレポートして自室に戻って忘れ物を拾い、ふたたびテレポート。そこからオープニングだ。驚かされるのは第1話を通して超能力に対する説明は一切されず、能力のことをだれが知っているのか、どういった条件で能力が使えるのか、分からないまま。視聴者は映像で描かれていることを手掛かりに推測するしかない。つまり安濃高志ファンは、説明台詞やナレーションに頼らない作家性の強い作品であることが超能力の扱いひとつ取ってみても分かるのだ(逆にいうと"その手"のファン以外からは不評を買ってもおかしくない作り)。さらに刮目すべきは詳細が明かされないうちに、能力を応用的に利用した演出を試みていること。

ともみはボーイフレンドの野田、その友人の山岸、みかげの想い人である倉茂の4人でハンバーガーショップに立ち寄って雑談をする。そこで山岸が倉茂の留学のことを切り出し、知らされていなかったともみは動揺してしまう。その動揺は感応先であるみかげにも伝わり、みかげは不審に思う。ともみは家に帰ってからもテレパシーをガードし、留学の件をみかげに知られないよう努力するのだが、ポイントとなるシーンはその後だ。

f:id:tatsu2:20190715052910p:plain

f:id:tatsu2:20190715052927p:plain

ともみの入浴中、みかげは母親からシャンプーを持っていってあげてと頼まれる。そうして浴室に行き、ドアを開けた瞬間、漏れ出る湯気と一緒に倉茂の留学を知ってしまう。ともみの緩んだ心も出てしまっていたのだ。ショックを受けたみかげはせっかく積み上げてきた分子模型を崩してしまい――。

テレパスである双子の設定を生かした演出を披露したこのシーン、湯気とテレパスを絡めたアイディアに感心してしまうが、肝はともみのリアクションだ。何の台詞やモノローグもなく、ただドアの方を見つめて寂しげな表情を浮かべているだけ。なのに、漏れ出た自分の心をともみは分かっているんだなと読み取れる。加えて、みかげを本当に心配しているんだろうな、という気持ちも伝わってくる。言葉を必要としない、繊細な心情表現だ。以前にも、こういう静かで緊張感に満ちた方法で作られたアニメはあった。杉井ギサブロー総監督の大ヒット作で、奇しくもときたひろこの監督作でもある『タッチ』('85~'87)が代表例だろうか。『ミラクル☆ガールズ』と『タッチ』のスタイルを比べて、決定的な違いを見出すのは難しい。数少ない台詞と数少ないショットで構成され、キャラクターが演技をしていなくてもゆっくりとしたカメラワークや風景で心の中の動きを表現しようとする。敢えて違いを抽出するとしたら、カメラワークによって情感を生むか、ある象徴(小物、天候など)に感情を託すか、という様式的なところに差異を見つけることはできるかもしれないが、それだってケースバイケースだ。もっと大きくストーリーとキャラクターの心境をみつめる姿勢に……と深堀りしてもいいのだけど、これは収まりがつかない。別の機会に語ろう。

話を戻して、留学のことを知ってしまったみかげは、翌日から倉茂を避けようとする。テレパスで繋がっているはずのともみも満員電車の中で離ればなれになり、倉茂が同じ車両に乗っていると分かったら、先に違う駅で降りてしまったり、取り繕った笑顔が痛々しく、倉茂に対する複雑な感情がみかげに渦巻いていることが分かる。一方でメタファーの切れ味は鋭さを増す。屋根に取り付けられたパンタグラフと架線の摩擦、電車と駅の持つ接続・分断の意味性など、今日の生活感を重視したアニメーションに通じる表現が既に見られる。

f:id:tatsu2:20190715192352p:plain

それでもともみは、何とか倉茂の前にみかげを立たせようと無理矢理引っ張り出すが、ともみの小指を使ってテレポートして消えてしまう。みかげはフラスコに何かの溶液を入れてひとり考え込む。このシークエンスは、倉茂がさも当たり前のようにテレポートを見ている=超能力を知っているという情報の提示から、フラスコに反射した自分の心を問い直すみかげの佇まいまで、ストーリー上の情報、演出密度が非常に高い。にもかかわらず、原作通りともみとみかげの担任教師である影浦の結婚が表面上進行しているのだから、混乱なく観るためには落ち着いて整理する必要があるかもしれない。

f:id:tatsu2:20190715195755p:plain

しかし「曇りのちみかげ」の"安濃高志作品"らしさを語るならば、ここからだ。

その夜、ずっと悩んでいたみかげは起き出して、床に散らばった分子模型をもう一度積み始める。いちにいのさん! の掛け声や腕まくりする姿は可愛らしい。ただそれ以上に大切なのはひとりで考え込み、自問自答の末に答えを出す作劇だ。個人的にこれは『魔法のスター マジカルエミ』('85~'86)の「最終回3部作」*2に重なるように思える。『エミ』の主人公・舞とみかげの葛藤は異なるものだし、助走の時間も答えの内容も違う。それでも重なって見える理由は、演出に拠るところが大きい。

f:id:tatsu2:20190715210112p:plain

f:id:tatsu2:20190715210128p:plain

「曇りのちみかげ」は何度も何度も雲間に浮かぶ月のショットを使い、抽象的なイメージを高めているが、天井に倉茂の写真を貼っていたように、序盤は上向きの表現が目立っていた。それが留学の件を知って以来、塞ぎがちになり、支配的な俯いたイメージで映像が構成され始める。下方向に意識が向くわけだ。そこから雲が晴れて顔を出す月のショットと、心の霧が晴れたみかげの表情を繋げることで転換する。つまり映像表現と心、その晴れ方が『エミ』と重なるのだ(「新たな芽」が出るという共通点もある)。 

"晴れ"の日は続き、この後に影浦の結婚式が盛大に開かれる。紙吹雪の舞う中、幸せそうな新郎新婦だと思うのも束の間、パーティ会場にシーンが移ると、野田はともみに「みかげは大丈夫か?」と訊く。「大丈夫って思おうとしているみたい」と答えるともみに「あいつの心を読んでみたのか?」と続けて問いかけ、ここで倉茂だけじゃなく野田も能力を明かされたひとりだと分かるのだが、対するともみの詩的な言い回しがそれを忘れさせてしまう。

f:id:tatsu2:20190715215116p:plain

真っ白だったよ。すごく透き通ってた。

その頃、みかげと倉茂は会場の外にあるバルコニーで話し合っていた。倉茂の留学を祝い、努めて明るく振る舞うみかげに、倉茂は懐中時計を手渡す。このシチュエーションはとても少女漫画原作アニメの初回とは思えない。最終回だと言われても納得する、そんなムードなのだ。そして見つめ合うふたりを見つめる、語り部としてのともみ。

みかげと倉茂先輩が笑っていた。空は厚い雲に覆われているけど、みかげの心の中は雪の結晶みたいだった。波のうねりが高くなった。

f:id:tatsu2:20190715220252p:plain

f:id:tatsu2:20190715220308p:plain

みかげと倉茂、ともみとそれぞれを瞳、懐中時計、ガラスに反射させたカットが特徴的で素直に見るなら誰の心に誰が映っているのか、示したものと言っていいのだろう。それと気になったのが「雪の結晶」という言葉だ。

安濃高志作品を振り返ってみると、雪の結晶を視覚的に盛り込んだ『魔法の妖精ペルシャ』('84~'85)の異世界ラブリードリームがまず浮かんでくる。そして思考の飛躍が必要だけれど、結晶を構造する分子、そのイメージが含まれる作品もある。『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』('86)だ。『蝉時雨』ではアルバムを開いて、昔の写真を見ているとき、机に飾られた鏡が輝き出し、分子モデルのような光が映される。これはトポが舞を想って一時的に魔法をかけてくれた解釈や、あるいはあの夏の日の思い出が蘇ったほんのわずかな時間といった様々な読み方があり、分子モデルが使われた理由も、じつは深いものではないのかもしれない(記憶の連なり、結合いう絵にも見える)。

f:id:tatsu2:20190715231539p:plain

とはいえ、『エミ』以降、数年ぶりとなるTVシリーズの監督作、その第1話にアニメオリジナルの小道具として分子模型を登場させ、最後に「さよなら夢色マジシャン」を彷彿とさせる雪を降らせているのだ。ついついモチーフの連続性に感ずるところあって書いたみたけれど、まあこれは横道だ。本来、もう少し手掛かりを得て深めていきたいテーマ。確かなことがあるとしたら、ともみの語った「雪の結晶」を含め、このラストシーンには安濃高志の詩情が横溢しているという事実だ。それは寡黙ながらも鮮やかに、演出が語っている。 

クレジットについても書いておく。「曇りのちみかげ」は絵コンテを小林常夫が切り、安濃高志が演出を担当している。すなわち、実際には何処までがコンテの領分なのか、正確に判断することはできない。しかしここまで濃密なフィルムに仕上がっている以上、コンテを任せる段階で念入りに確認したか、上がりにかなり手を入れているか、どちらかだろうと想像する。仮に修正していたとしても演出的性格の似ている小林常夫*3の絵コンテを膨らませる形で行っているように思えるし、それも機会があれば確かめたいところだ。何にせよ、これが圧倒的な作家性を持ったエピソードであることに変わりはない。ファン冥利に尽きるといってもいい。シリーズを各話単位で眺めても、比類するものはごくわずか。まだまだ観直して、安濃高志を見つけたい。

 

ミラクル☆ガールズ オリジナルサウンドトラック

ミラクル☆ガールズ オリジナルサウンドトラック

 

*1:2016年にキッズステーションで放送されたが、未だにDVD、Blu-ray化は発表されておらず、配信も行われていないため、録画以外ではVHS、あるいはLDでのみ鑑賞が可能となっている。

*2:36話「北風にひとりぼっち」、37話「ためらいの季節」、38話「さよなら夢色マジシャン」のことをファンは最終回3部作と呼んだ。

*3:後年の監督作になるが、『英國戀物語エマ 』の日常描写、生活感に軸足を置いた作りは安濃作品と近いものがあり、『ミラクル☆ガールズ』と比較してみるのも面白い。