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アニメーションと余日のメモ欄

感想/『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』

ヴァイオレット・エヴァーガーデン。考えてみると、これは潔いタイトルだ。名は体を表すという言葉があるが、本作に関して言えばTVシリーズの頃から、名前に物語が宿っている。名を呼ぶことが、ドラマなのだ。

イザベラ・ヨークことエイミー・バートレットとテイラー・バートレット。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』は生き別れになったこの姉妹が主人公となり、ヴァイオレットの助けを借りて手紙を書き、互いの絆を確かめる。そして名を呼ぶことで永遠の絆を胸に刻む。話としては慎ましく思えるほどシンプルで、難解な部分は殆どない。エイミーとテイラーの心情に寄り添い、喜怒哀楽を感受する、温かみのある作品に仕上がっている。

演出上のモチーフも掴みやすい。冒頭から登場する自由に羽ばたく鳥や空に伸ばされた手は、幾度となく反復され、イザベラの通う牢獄のような女学校や戦争で孤児となった境遇と対比的に重ねられている。けれど目を凝らしてみつめると、モチーフは決して単一のものではなく、それぞれが有機的に繋がれていることに気づく。

例えば、手から見てみよう。イザベラの手は初対面でこそヴァイオレットの義手を払いのけたが、距離が縮まった後はその手を何よりも信頼するようになる。そしてイザベラに触れられたヴァイオレットの手はテイラーの髪を梳き、手を添え、手紙を書く手助けをする。手のモチーフは、髪のモチーフと繋がり、髪は風になびく。風は鳥を羽ばたかせ、二人の名前を運ぶ。エイミーとテイラーを隔てていたものを取り払い、自由にするこのモチーフの連なりは非常に美しい。人物の仕草や自然現象を活用し、ドラマを編む。京都アニメーションでヴィヴィッドな演出が注目されてきた藤田春香監督の実力が伺えるところだ。

また、髪のモチーフとも関係するが、個人的に気になったのはイザベラの髪型。長い前髪が一筋、顔にかかっているデザインで、イザベラ・ヨークとエイミー・バートレット、二つの名前/顔を持つ少女の印、あるいは"分かたれた"ことをを象徴するように見える。

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浴室に置かれた蝋燭越しのショットはそれが上手く演出された一例だ。前半のイザベラ編は、天蓋付ベッドの支柱を使ったレイアウトに代表される、拒絶(境界)を示唆するカットが多く、閉鎖的な舞台のさらに内側に閉ざされたイザベラの心があるように描かれている。その心の囲いが破られるのはヴァイオレットが孤児であったことを打ち明けてから。しかしヴァイオレットが寄り添うイザベラ・ヨークとは別の、エイミー・バートレットの心は穿たれたまま。顔を分かつ前髪は、そんな心情をあらわしたものに思えた。

ライデンの街でテイラーが配達人をする後半で、ヴァイオレットがテイラーの髪を梳かし、二つ編みではなく、三つ編みなら解けないというのは、前半から印象的だった髪というモチーフを使った、分かたれた人であり、名前に対する答えだろう。二人を結ぶのは、二人の髪に触れたヴァイオレットしかいないのだ(だからこそ、鏡の前でヴァイオレットがイザベラの前髪に触れてやるシーンの持つ意味は大きい)。

関連して、テイラーが大切にしているクマのぬいぐるみにも、ちょっとした隠し味がある。よく見るとボタンの色が赤と緑、つまりイザベラとヴァイオレットのブローチの色になっている。もちろんこれは、ヴァイオレットに出会う前にエイミーが作ってあげたぬいぐるみだから、偶然なのだけど、それが必然だったかもしれないと思わせるところが、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品の持つ優しさだろう。

何気なく目に留まるディテールやモチーフに、光と色に、作り手の想いを読む。これは、そんな見方をしたい映画だ。

 


『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』予告