boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『ToHeart』再見 第13話「雪の降る日」

月刊アニメージュに連載されている“長寿”インタビュー企画「この人に話を聞きたい」にあって、忘れられない回のひとつが「高橋ナオヒト」の第四十二回だ。2002年4月号に掲載されたそのインタビューは、『鋼鉄天使くるみ』『フィギュア17 つばさ&ヒカル』 などを手掛ける最中、正に監督として成熟期に入ろうかという時代。

アニメ業界に入るきっかけから、影響を受けたTVアニメや映画、レイアウト論のような通好みの話題まで幅広く取材されている中、個人的にこれは! と思ったのが、アニメーター時代の大きな仕事を訊かれた際の言葉だった。

…………作監として良い思い出になってるのは、『めぞん一刻』ですね。純粋に音無響子が好きでしたから。アニメーションの画を描くという事に関しては、自分の中で『めぞん』に替わるものはないです。音無響子という人間が日本のどこかにいると信じて描いていましたから(苦笑)。そう思ったから集中してできたし、そう思う事が幸せだった。

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高橋ナオヒトが作監を務めた『めぞん一刻』スタジオジャイアンツ回は、思い入れが反映されていたのだろう際立って端正な修正であり、人物が立ち上がったり、歩いたりする日常芝居にも入念に手が入っていた。いってみれば、実在感のある作画だったのだ。その仕事ぶりや思想はスタジオの後輩に受け継がれ、(OLM設立以降)彼らと共に作り上げた代表作が『ToHeart』だ。中でも、”直系”である千羽由利子の描く神岸あかりは単なるフィクションのヒロインに留まらない、ジャイアンツ「音無響子」に匹敵するほどの存在感があった。最終回「雪の降る日」はそれが頂点に達したエピソードであり、記念碑だろう。

「雪の降る日」を語る上で欠かせないのが構成だ(ここでいう「構成」とはシリーズ構成、話数内のシーン構成、両方を指している)。思い出の夢から覚醒したあかりが、浩之を起こしに行くパートから始まった「新しい朝」に対し、最終回では展開を裏返したかのように浩之があかりを迎えにいく。その途中、石段の前であかりがノートを濡らし泣いていた昔の記憶を思い出すのだ*1

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ここで有名なのが、「原作サイドからはキスをさせてもいいと言われていたにもかかわらず、(監督の意向で)させられなかったラストシーン」だ。これも「新しい朝」があかりの夢――あの頃と同じ「浩之ちゃん」が一緒にいてくれる幸せを胸に抱く話だったことを考えれば、「ずっと変わらない二人」を示した構成上の必然だったように思える。

そして、KSS版『ToHeart』の発明でもある「神岸あかり視点」の反復と対比。最たる例が印象的な形でインサートされる、あかりの横顔だ。

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物憂げな横顔はだれかに振り向くため、だれかと見つめ合うための前段階的な意味合いを含ませている。「浩之ちゃんのこと好き?」と志保に訊くあかりのセリフは物語の核心であり、その振り向きによって生まれる視線の衝突こそ、ドラマなのだ。三角関係への葛藤が、反復される横顔によって語られるという高橋演出の妙。このきわめて繊細で微妙な感情表現を作画に託せたのはやはり、千羽由利子あってのものだと思う。「音無竜之介」伝来の実在感が修正に乗っている、と云ってもいいのかもしれない。

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一方、見つめ合うという行為は席替えのとき、浩之の視線から目を逸らしたことを踏まえた「変わっていくもの」の象徴だ。浩之への恋愛感情を志保に打ち明け、一歩だけ前に進んだあかりの気持ち。しかし二人が互いを大切に思う関係は変わっていない。最後に雪の降る空を見上げるのも、あの第1話の終わり際にささやかな夢と未来をみつめていたあかりのリフレインであり、今度は浩之がそばにいるという対比なのだ。

「大きな出来事が起こらない」中に潜ませたリフレインと変化。ある意味では答え合わせのようでもある。最初の通学シーンであかりは「今朝ね……」と切り出し、何かを言い出そうとしたが、浩之に遮られてしまう。「雪の降る日」を観ればそれが石段の思い出を夢に見たんだ、そんな風に続けたかったのだろうと自然に分かる。きっと浩之に思い出して欲しかったのだと。こういった作中で語られていないことを伝える、共有するというおよそアニメ向きでない方法論を貫いた作り手の志と手腕には感服するほかにない。

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また三角関係のわずかな予感を残した描写も巧い。志保のお見舞いに持ってきたデザートをあかりは食べ切れず、半分ほど中身の残ったカップを志保が受け取り、小物のならぶ台の上に置く。何てことのない芝居のようだが、志保は浩之への感情を抑えたままであり、あかりへの返答も誤魔化す形になってしまった。要するにまだ物語は残っている、けれども今はそこへ踏み込まないということだ。本当にきわどいバランスを保つ関係性の見せ方だと思う。監督の志向するドラマの根本は、この辺りにあるのかもしれない。あだち充*2マンガのような、映画的な感覚だ。

高橋ナオヒト監督は当時のインタビュー*3で、作品のテーマとして「前向きなノスタルジー」に挑戦したと明かしている。原作をはじめ、ユーザーひとりひとりの中にある、理想のだれかや過去への郷愁の集合体であると思ったからだと。放送から20年以上経った現在、『ToHeart』自体がノスタルジーの対象だが、古びるどころか普遍性を獲得していると思えるのは、「前向き」というテーマを真摯にみつめて作られた結果だろう。輝かしい未来を見据えるのではなく、今手の届く人、今そばにいる人を大切に思う関係を丁寧に描く。そうして立ち上がってくる“普通”の日々、日常の尊さ。『アルプスの少女ハイジ』や『エスパー魔美』など、「生活アニメ」の要素を多分に備えた美少女ゲーム原作アニメという先進性。「音無響子」に入れ込んだアニメーターから受け継がれた精神が、巡り巡って「神岸あかり」の実在感に繋がる歴史のおもしろさ。いまなお、その特殊な立ち位置とクオリティの両立において、『ToHeart』に替わるものはない。

*1:そもそも「雪の降る日」は雨で始まっているが、これもおそらく思い出の日に降っていた雨の記憶と重ねた構成だろう。

*2:高橋ナオヒトは80年代に『タッチ』で作画監督を務め、90年代に入ってからは『H2』の絵コンテを数本担当している。

*3:月刊ニュータイプ 1999年8月号。

『ToHeart』再見 第8話「おだやかな時刻」

ひとつ屋根の下、年頃の男女が小さなのテーブルにノートをひろげ、試験勉強をする。そんな思春期の妄想を掻き立てられる状況で、まったく逆の平々凡々、普段着の装いでファンを驚かせたアニメがあった。

TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』には「サムデイ イン ザ レイン」という「SOS団の何もない一日」にカメラを向けた異質なエピソードがある。未来人、宇宙人、超能力者が揃い、破天荒なハルヒに振り回される毎日が“通常営業”だからこそ、SF的事象の起こらない“休業日”が返って興味をひき、シリーズの特異点として成立するわけだ。

「おだやかな時刻」も、「サムデイ」と同じく「何もない一日」に焦点を当てた話だが、前にも書いた通り、『ToHeart』は最初から大きなイベントやコンフリクトを目指していない。では、何が描かれているかというと、云わば「価値観の確認」だ。

志保と雅史が急遽来られなくなった勉強会、浩之は何の躊躇いもなくあかりの部屋に入り、あかりも二人きりの状況に緊張するどころか、戸惑いの欠片さえみせない。ここで表現されているのは、長い間連れ添ってきた熟年夫婦のような隣に居ることが“普通”であるという距離感。二人がともにその認識であるという価値観を今一度確認しようと試み、結果的にそれが最終回へと繋がり、反復される。そういった意味でみれば、作品全体の「流れ」を決めたキーエピソードかもしれない。

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勉強の合間には不真面目な浩之に向かってあかりが顔を寄せる場面もあるが、ドギマギしたり、近い! と心の中で叫ぶようなラブコメ的な手法は一切採られていない。フィルムのテンションは一定して平熱であり、むしろその状況に危機感を覚え何度も電話を掛けてくる志保の熱の上がり様がコメディタッチだ*1

他方で、演出的な工夫に目を凝らすと、中々味わい深い。第一にカットアングルのバリエーション。

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俯瞰、真俯瞰、アオリ、何処から撮っているんだと言いたくなる隠しカメラ風の構図まで、タイミング良く「角度」の付く、メリハリあるコンテ(あかりの太腿アップはさながらサービスカット)。見た目と収まりのいいレイアウトは高橋ナオヒトアニメの特権だ。

そして、モチーフとして機能しているのが「時計」と「時刻」。

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8話を観返してから、サブタイトルがどうして「おだやかな時間」ではなく、「時刻」なのか疑問に思っていた。「時間」と付ければ馴染みのあるフレーズになるのに、「時刻」を選ぶと、なんだか聞き慣れない感じになる。わざわざそうしたからには、何らかの意図があるのだろう、と。
これは想像だけれど、浩之とあかりにとって二人で歩く毎日が当たり前であり、変わらないもの。これまでも、これからも、という枕詞を疑うことはない。ずっと一緒にいる日常が「おだやかな時間」であり、勉強会はそんな日々の特定の一点、つまり「時刻」だ。二人にとって特別な出来事ではない。しかしながら高校入学以降、初めて浩之が訪れるあかりの家、そこで過ごす時間を切り抜けば……そんな風に思考を巡らせてサブタイトルを付けたんじゃないか、と思った。また時計の秒針が描かれていないのもいい(秒針のSEは入っている)。秒針が動いていると「瞬間」を切り抜いた、というニュアンスが若干薄くなったかもしれないからだ。

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あかりの開くアルバムの写真も「時計」を補強するサブモチーフ。「覚えてるよ。浩之ちゃんとのことはみんな、覚えてるよ」というあかりのセリフは、「時間」の中に存在する特定の記憶という意味で捉えるとより親和性が高くなる。

アルバムと対照的なシーンが、志保の家までの道を歩きながら、「おおぐま座、主に二等星で構成される周極星~」と浩之が暗唱してあかりを驚かすところだ。

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あかりのクマ好きは浩之が昔、クレーンゲームで取ったぬいぐるみがきっかけだった。その思い出は曖昧で忘れかかっていたとしても、「クマ」に関連する事柄を自然と覚えている。たぶん、それを話すとあかりが喜ぶからだろう。長い年月を感じさせる星座の話題を最後に持ってくるところも、気が利いている。けれど、そんな情緒的な空気から一転、オチは寝込む志保のアイリスアウト。

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アイリスイン/アウトはアニメの専売特許ではないが、明らかにギャグっぽく落とす非常にアニメ的な使い方。これは作り手の葛藤といわないまでも、ある種の“保険”にみえなくもない。話の雰囲気を考えると、脚本かコンテか、最後のトランジションを想定した段階が大変気になる。とはいえ、監督が納得してきれいに二段オチの決まっている以上、突っ込みすぎるのも野暮だろう。

全編を通して、かなり「覗き見」気質の強い話数である。クリティカルなイベントが起きず、ちょっとした思い出に花を咲かせた以外はひたすら教科書と格闘するだけ。それを覗き見る印象を与えることで、二人は幼い頃からこんな休日を幾度となく過ごしてきたんだな、という実感をもたらす。そうした狙いは上述の「サムデイ」と近く、発想の類似点をいくつも発見できる。美少女ゲームメーカーKeyの作品をアニメ化した京都アニメーションと「美少女ゲームのアニメ化」に於ける画期的な作品であるKSS版『ToHeart』。その中でひときわ異才を放つエピソードを比較し、見えてくるもの。まだまだ研究していきたい。*2

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*1:志保がアルバムの写真以外で「顔出し」していないのも特徴。浩之とあかりへのフォーカスに集中させたかったのだろう。

*2:アカンべーをしたハルヒと自然体なあかり、わずかに匂わせる三角関係、定点カメラ、三人称、音楽・音響、実写的タッチ等々。

『ToHeart』再見 第5話「青い空の下で」

突然始まる野球回、なんてフレーズはいまや定番になった。「野球回」はTVアニメに於ける箸休め的な役割を持った“遊び回”の代名詞だが、他にもサッカー回や水着回、温泉回という言い回しも定着しているし、学校が舞台の作品であれば修学旅行、文化祭などの年間行事を扱った話数もしばしば見かける。そんな行事のひとつ「体育祭回」の傑作が、『ToHeart』5話「青い空の下で」(脚本/山口宏、絵コンテ・演出/村田和也)だ。

イマイチ体育祭へ乗り気でない浩之。志保に憎まれ口を叩かれながらもささいな雑用をこなし、偶然居合わせた芹香やレミィらと束の間の交流を深める。最後のクラス対抗リレーでひそかにアンカーに入った浩之は雅史からのバトンを受け取り、あかりと志保の前で中学の頃と変わらない勇姿を見せる――。

物語の前半は、浩之が代わる代わる出てくるヒロインから応援という名のプレッシャーを受けるリレー方式。

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浩之の体操服を掴んで呼び止める来栖川芹香、元気一杯の松原葵、念願の半被を着て嬉しさ全開のレミィ達は単なる「再登場」に留まらない魅力に溢れている。かなりキャラクターを“つかまえた”描写が冴えており、芹香、葵は「当番回」を終えているので、好感度が充分に高まっている点もありがたい*1。委員長である(保科)智子が素っ気ない態度をとっているだけに、対応の差、温度感の違いは「ゲーム的」かもしれない。

しかしアニメ『ToHeart』の体育祭がゲームのように感じるかというと、そんなことはない。フィクションならではの突飛な競技が存在する世界ではないし、浩之の一見締まりのない態度は多くの男子生徒にとって「あるある」だと思うからだ。演出的にいえば、常に流れている音楽が非常に効果的。だれもが一度は耳にしたことがあるだろう運動会定番の有名クラシックが絶えず掛かっているのだ(昼食休憩中はそれっぽいポップスにかわる凝り様)。浩之が出場した400m走に至っては「地獄のオルフェ」が場を盛り上げ、アニメで思い返すとすれば、今なら『響け!ユーフォニアム*2になっているのだろうか、などと余計なことを考えてしまったほど。

少々脱線したけれど、これらの定番クラシックはあくまで「劇中内音楽」であり、作品固有のサウンドトラックではないところがミソだ(登場人物と視聴者が同じ音を聴いている状態)。扱いとしては環境音なのである。ずっと使われなかった伝家の宝刀、溜めに溜めた専用トラックが放たれるのは最終競技であるクラス対抗リレー、トップを諦めかけた雅史の視界に入った浩之が、ラストスパートだ! と叫ぶ場面。

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ここはカットチェンジのタイミングも抜群で、大変感動的だ。何故そう感じるかいうとやはり、いくつも重なった期待に応えているからだろう。あかりと志保の「雅史からのバトンを受け取って欲しい」という思い、葵や芹香、レミィたちの「見逃してしまった浩之の活躍をもう一度」という気持ち。何より観客(視聴者)が浩之に対して抱く「主人公の面目躍如は今だ!」と送り出してやりたい感情、すべてはこうなってくれたらという期待なのだ。またサウンドトラックによって客観的だった(劇中で運動会クラシックを聴きながら浩之を眺めている感覚)視点を一気に主観的、パーソナルな方へ引っ張り込んだように思える。この辺りの客観・主観の匙加減は、高畑勲おもひでぽろぽろ』で学んだ*3村田演出の一環か、と考えないでもないが、脚本や監督、音響監督の兼ね合いもあり、断定は難しいところだ。いずれにせよ、皆から積もった「期待」を浩之が解放する、そのカタルシスとトラックのアタックがこの話数を非凡なものへ押し上げているのは間違いない。

体育祭が終わった後は、キャンプファイヤーを囲んでのフォークダンス。「ヒロインリレー」のアンカーをあかりが受け持つ構成も美しく、オクラホマミキサーは脚本・山口宏のこだわりだったようで権利的に通って安心したとインタビューで答えている。

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校庭で火を焚きフォークダンスをする光景は、そう遠くない未来に消える、いやもしかしたら既に失われた文化かもしれない。ただ、フィルムにはいつまでも残り続ける。たぶん、軸はそこにあるのだろう。思い出の彼方に残る、体験の共有。強い訴求力を持つ音楽の活用。浩之が走り出したときに使われたトラック名は「風を駆け抜けて」。自分にとってこの体育祭回は、ゴールテープを目指して駆け抜けた浩之の姿と共に、目に焼き付いて離れない一本だ。

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*1:宮内レミィは例外的にゲスト回がない。意図的に外したわけではなく、構成の流れでそうなったらしい(「To Heart TV animation Vol.2」インタビュー参照)。だからというわけでもないだろうが、浩之に対してはきわめてフレンドリー。

*2:第1話で重要な役割を果たす曲。モブキャラの「運動会だ」というセリフもある。

*3:スタジオジブリ時代、村田和也は演出助手として参加している。

『ToHeart』再見 第1話「新しい朝」

近頃、自分の中で『ToHeart』ブームが再燃している。たまたま観返す機会があり、改めて高橋ナオヒト監督と千羽由利子作画の手腕に惚れ直している次第。TVアニメ版の特徴は、日常芝居を中心とした実写的雰囲気を打ち出し、「原作のアニメ化」から離れ、監督が云うところの「前向きなノスタルジー」に着地した点にある。そして何より、派手さを抑えた生活感重視のスタイル、大枠では「美少女アニメ」でありながら登場人物が本当に存在するかのように扱う手つきは、後にブレイクを果たす京都アニメーションの作品群が持つコンセプトに近い。

とはいえ、『ToHeart』の“地味さ”は後発の作品と比べても群を抜く。その象徴的なエピソードが第1話「新しい朝」だ。原作が有名タイトルであるがゆえに「クラスの席替えだけで終わった初回放送」は予想外だったのか、ファンの間では語り草となっていて、いまにして思えば「何も起こらない日常」の究極形のような作り。だがよくよく振り返って味わいを確かめてみると、挑戦的な精神と工夫が練り込まれた作風であったと気づく。

例えば、原作ゲームの主人公だった藤田浩之の一人称で語る物語ではなく、メインヒロインである神岸あかりがみつめる、浩之を通した世界を描こうとしていること。また原作とは始まりの季節が異なり二学期スタート、浩之とあかりの「思い出の石段」があるなど、様々な設定が追加され、今風でいう“再解釈”が図られているのだ。いわゆる原作の忠実な再現を目指したアニメではないと初回から明かしている格好、と言っていいかもしれない。けれども、それで原作の魅力が損なわれているかといわれたら、まったくの逆だ。「神岸あかり視点」は発明的であり、TVアニメがあかりのいちばん大切な思い出から始まり、彼女の目覚めによって開かれることが物語全体の重要な伏線(最終話ラストシーンへ向かう)になっている。

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初っ端のアバンタイトルから千羽作画の真骨頂ともいえる繊細な髪表現に見惚れるほか、石段が坂の途中にあるのも憎い。というのも、高橋ナオヒト監督は80年代角川映画に大きな影響を受けており、『時をかける少女』が映画的感動を意識した最初の映画だというほど*1。説明するまでもなく、『時かけ』を含む尾道三部作の舞台・尾道は「坂」と海の街。さらに作監時代に最も入れ込んだと話す『めぞん一刻』はそれこそ、堂々たる「坂道アニメ」だ*2。これがどれほど的を射ているかはともかく、あかりの思い出の場所へと続く坂道が、監督のノスタルジーと繋がっているかもしれないと思えるところに探求の膨らみがある。

メインイベントである「席替え」の響きも懐かしい。面倒な役回りを押し付けられる委員長、文句タラタラのクラスメイト、気になる人の隣になりたいという密かな思い、だれもが経験していそうな見覚えのある光景だ。ダルそうにしているわりに委員長を手伝う浩之、いつやってきたのか浩之とじゃれつく長岡志保、うっすらと人間関係が描かれる中、シーンの主題となっているのは、常に浩之を意識するあかり。浩之の方を向くあかりのショットを繰り返しながら、あかりの視線に気づいた浩之が希望の席を言い、その横にはちゃっかり志保が居座る。

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ここで描かれているのは、三角関係にいたるいわば「予兆の予兆」なのだろう。あかりは志保が浩之の近くにいても焦ったり、嫉妬することなく微笑ましく見守っているだけ。けれど、神岸あかり以外で最も親しく、近しい場所にいる女子はだれか。そういった関係性をやんわりと提示しているわけだ。そして最大の見どころは委員長を手伝おうと立ち上がった浩之をみつめる、あかりの優しい表情。そのクジで浩之の隣を引き当てたあかりの驚きと嬉しさの表情変化。

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何のために席替えがあったのか、それはこのあかりの表情を引き出すためだったのだ、と言われたら納得するしかない。夢で見た石段の前、昔と変わらない「浩之ちゃん」への安堵感をセリフやモノローグなしで伝える判断を採った演出も素晴らしいが、作画への絶対的な信頼が伺えるカットでもある。虚飾を取り払った演出は画の説得力がなければ成立せず、また要求もできないからだ。

浩之の隣の席になったあかりが何故こんなに嬉しそうだったのかは、本人の口から語られる。

「わたしね、浩之ちゃんの隣の席になるのが夢だったんだ」

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それは夜、毎日書いているのだろう日記に書くほどの出来事。つまり「新しい朝」は思い出の夢から始まって、あかりのささやかな夢がひとつ叶って未来を見上げるという、何も起こっていないように見えても、じつは小さな夢が叶い、夢の中と変わらない人が一緒にいる幸せを胸一杯に抱く「神岸あかり」が存分に詰め込まれたエピソードだったのだ、と分かる。

ちなみにあかりの趣味のいいくまのぬいぐるみ(セル描き!)は千羽由利子設定の賜物で、部屋の作りやレイアウトは監督のオーダーだったそうだ。元ネタは大林宣彦『ふたり』に登場する石田ひかりの部屋だという*3。高橋監督の「大林リスペクト」はこんなところでも発揮されている。

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*1:「この人に話を聞きたい」第四十二回

*2:一刻館は長い坂の上に建てられており、坂の途中で度々ドラマが起こった。

*3:To Heart TV animation Vol.1インタビュー。