boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

22/7「あの日の彼女たち」の演出、魅力

22/7「あの日の彼女たち」キャラクターPV day06 丸山あかね、day07 戸田ジュンが公開されていた。今回は詳細なスタッフ情報が掲載されており、一部で噂されていた通り、アニメーション制作はCloverWorks、監督に若林信、キャラクターデザイン・作画監督には堀口悠紀子。さらに小林恵祐、小林麻衣子、江澤京詩郎、大山神らの名前が並び、“スーパー”制作進行・梅原翔太を含め「エロマンガ先生8話組」が中心にクレジットされている。


22/7「あの日の彼女たち」day07 戸田ジュン

PVで描かれているのは、レッスンの合間の一幕だったり、ファミレスで注文するメニューを悩む姿であったり、短編映画のワンシーンを切り取ったような些細な出来事。登場する人物はPVによって異なるが、基本的にふたりの少女だけ。フィルムから滲み出る少女と少女の関係性、何となく伝わってくる背景。決して雄弁ではないけれど、寡黙でもない。察して楽しむ、そういう性質の作品だ。

驚かされるのは、そのヴィヴィッドな仕上がり。「本当にそこにいる」と思わせるほど精度の高い人物芝居、出来る限りBGMを使わず、環境音を生かした舞台設計。そして肝とも言える光のコントロール

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光の当たり方が変わり、陰影が付く。それによって違う側面が見えてくる、緻密に計算された音とライティング。見ているうちにいつの間にか彼女たちの感性に引き込まれてしまう、そんな作りになっている。その説明的、記号的ではない演出の姿勢はかつて『魔法のスター マジカルエミ』のOVA「蝉時雨」などで見せた安濃高志監督の方法論に接近していると思った。

緊張感を湛えた、何も起こらないドラマ。しかし「何か」がある。言葉に出来ない、あるいは表層的ではない「何か」を安濃高志監督は“克明“に描くことによって獲得しようとした。「克明」とは、表現に必要なものを決めて、周囲にあるものを象徴的に扱い、映像の中に時間を浮かび上がらせることだ。するとやがて心情、つまり目に見えない心の中の思いが照らされていく。「あの日の彼女たち」に流れる時間も、すべてがというわけではないにしろ、やはり心情を描こうとしている。

たとえば、「day07」はBL画面に野菜を切る包丁の音が乗せられて始まり(BLスタートは『エロマンガ先生』8話もそうだ)、煮立った鍋の前に立つ戸田ジュンのところへ、買い物を頼まれた立川絢香が帰ってくる。その右手にはアイスが握られていて、「あたしの分は?」と訊くジュンに対して絢香はアイスを一口、「うまい」と答える。「さいですか」と鍋の方を向くジュンの首筋に不意打ちのチョコミントをピタリ。勢いで蛇口から跳ねた水が切り込みを入れて冷やしている茄子の元へ一滴ポタリ。そして「はい、チョコミント」という絢香の台詞に重ねてタイトルが表示される。

玉葱を切るリズム、台詞の間合い、芝居のタイミング、そのすべてに「凝っている」と見せない自然な空気感が、翻って演出の凄味を感じさせるのだけど、ここで憎いなと思われたのはアイスを渡す直前の綾香の視線だ。

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鍋に向き直るジュンとは視線を合わさないで首筋に眩しく浮かぶ汗をみつめている。この汗が誰のためのものかというのを絢香は察しているのだろう。他愛のない意地悪、ふたりの距離感、思いやり。それが「チョコミント」「跳ねる水音」「切り込みの入った茄子」に心情として映し出され、意味を持つ。こういった繊細で高度な表現を抜かりなくやり通しているのが、「あの日の彼女たち」の大きな魅力だ。

たぶんそれが出来るのは、実力ある人間が集まり、座組みに信頼があるからなのだろうと思う。新進気鋭のスタッフが集まり、しかも風通し良く上手い連携が取れて初めて成り立つフィルム、という気もする。若林信×堀口悠紀子のPVなんて未だに信じられないくらいだ。若林監督でいえば、『僕はロボットごしの君に恋をする』アニメPVの完成度も素晴らしい。この溢れんばかりの才気をずっと追いかけていきたい。


【フルver.】僕はロボットごしの君に恋をする アニメPV