boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『ソウナンですか?』エンディングと渋谷亮介

無人島に漂着した女子高生4人のサバイバル。TVアニメ『ソウナンですか?』は悲観的な状況に置かれていながら、父親仕込みのサバイバル術を持つ鬼島ほまれを中心に、マニアックな描写を挟みつつ、女子高生らしくお喋りの尽きない無人島生活を送る一風変わった作品だ。

原作が青年誌連載ということもあって、海に潜るときなど下着姿になる場面が日常的で、ひとつ間違うと俗っぽさが先に立ってしまう作りになりかねない。本作がそうなっていないのは、何より第一に生活感を支柱にしているからだ。無人島で彼女たちはどうやって生き延びているのか。その「ある無人島の一日」をコミカルに描いたのが、絵コンテ/演出/原画/背景/撮影/編集をひとりで行った、渋谷亮介の手によるエンディングアニメーション。

エンディングはシェルター(簡易的な防護テント)の下で4人が座っているところから始まり、食料(魚、柚子)を取りに紫音以外の3人が出かけ、夕方、シェルターの前で焚火をしている紫音のもとへ3人が戻ってくる。

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本編とは絵柄が変わり、可愛らしいデフォルメのキャラクターになっているが、座り方にそれぞれの性格が反映されていたり、ワガママと思われがちな紫音が火起こしして火を守り、その中にわずかな寂しさ(ちゃんと戻ってくるか)が滲むという細かい描写が見どころ。

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ささやかな晩餐が終わると、明日香が立ち上がり歌い出し、それにつられて4人で疑似バンド。突然明日香が何か提案して、紫音と睦も同意し、ほまれも断ることなくそれに乗って最後は案外仲良く終わる流れは、この4人の関係性をよく表しているし、過酷な身の上に立たされても「娯楽」を必要とする人間の本質を突いているように思えてくる。寝姿、寝起きもおもしろい。睦と紫音は上着をかけて寝ているが、ほまれと明日香はそのまま。しっかり者のほまれと陸が先に起きて、残りの2人を起こす。座り方と同じく、4人の性格的違いを定点カメラで切り取っているわけだ。

全12話の中で、エンディングにもいくつかバリエーションがある。「柚子温泉」回の第8話「オアシス発見!?」では食料班の3人が全員柚子を手に帰ってくるパターン。

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柚子が沢山あるのだから、また温泉に行こうと紫音や明日香が言いだして、ほまれも強く言えず、結局一緒に来てしまうような展開はありそうだし、明日香が「死んだ」ネタのあった話だからか、明日香の流され方が『犬神家の一族』で有名な犬神佐清(スケキヨ)のパロディ。カメラに寄って並ぶ最後の絵も柚子を頭に乗せた紫音と海藻の垂れた明日香は表情が通常と変わっている。

そして、このアニメーションに欠かせないのがエンディングテーマである安野希世乃「生きる」。メロディといい、歌詞といい、ぴったりというほかないが、第9話「ほまれのパパ」はイントロを先に流してエンディングへ突入する、いわゆる「聖母たちのララバイ方式」(『シティーハンター』式と言えば馴染みがいいかもしれない)が採用されていた。最後のセリフである「ファザコンかな?」からシームレスに歌が始まる繋ぎはじつに気持ちいい。

最終回「水の補給方法」では、エンディングアニメーションの代わりに「生きる」のロングバージョンをバックにした「帰ってきたいつもの日々」。ここでは戻ってきた紫音がいかだから降りて、自分の足で島の土を踏む。つまり「この島で皆と一緒に生きていく」という(原作からの補完的)描写が感動的。また、父親の教えを絶対の信条にしてきたほまれがそれに従わなかったことも、もうひとつの「生きる」だ。

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渋谷亮介は最終回を含む3,4,7,11,12話で絵コンテ・演出、8話で演出を担当し、エンディングだけでなく、本編でも存在感を発揮。とぼけた風の崩し絵があったかと思えば、11話の棒高跳びのような作画的カロリーを使ったパートまで、驚きのある画や動きが度々見られ、宝探しの気分で楽しませてもらった。以後、注目してみたい。