boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『ToHeart』再見 第8話「おだやかな時刻」

ひとつ屋根の下、年頃の男女が小さなのテーブルにノートをひろげ、試験勉強をする。そんな思春期の妄想を掻き立てられる状況で、まったく逆の平々凡々、普段着の装いでファンを驚かせたアニメがあった。

TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』には「サムデイ イン ザ レイン」という「SOS団の何もない一日」にカメラを向けた異質なエピソードがある。未来人、宇宙人、超能力者が揃い、破天荒なハルヒに振り回される毎日が“通常営業”だからこそ、SF的事象の起こらない“休業日”が返って興味をひき、シリーズの特異点として成立するわけだ。

「おだやかな時刻」も、「サムデイ」と同じく「何もない一日」に焦点を当てた話だが、前にも書いた通り、『ToHeart』は最初から大きなイベントやコンフリクトを目指していない。では、何が描かれているかというと、云わば「価値観の確認」だ。

志保と雅史が急遽来られなくなった勉強会、浩之は何の躊躇いもなくあかりの部屋に入り、あかりも二人きりの状況に緊張するどころか、戸惑いの欠片さえみせない。ここで表現されているのは、長い間連れ添ってきた熟年夫婦のような隣に居ることが“普通”であるという距離感。二人がともにその認識であるという価値観を今一度確認しようと試み、結果的にそれが最終回へと繋がり、反復される。そういった意味でみれば、作品全体の「流れ」を決めたキーエピソードかもしれない。

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勉強の合間には不真面目な浩之に向かってあかりが顔を寄せる場面もあるが、ドギマギしたり、近い! と心の中で叫ぶようなラブコメ的な手法は一切採られていない。フィルムのテンションは一定して平熱であり、むしろその状況に危機感を覚え何度も電話を掛けてくる志保の熱の上がり様がコメディタッチだ*1

他方で、演出的な工夫に目を凝らすと、中々味わい深い。第一にカットアングルのバリエーション。

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俯瞰、真俯瞰、アオリ、何処から撮っているんだと言いたくなる隠しカメラ風の構図まで、タイミング良く「角度」の付く、メリハリあるコンテ(あかりの太腿アップはさながらサービスカット)。見た目と収まりのいいレイアウトは高橋ナオヒトアニメの特権だ。

そして、モチーフとして機能しているのが「時計」と「時刻」。

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8話を観返してから、サブタイトルがどうして「おだやかな時間」ではなく、「時刻」なのか疑問に思っていた。「時間」と付ければ馴染みのあるフレーズになるのに、「時刻」を選ぶと、なんだか聞き慣れない感じになる。わざわざそうしたからには、何らかの意図があるのだろう、と。
これは想像だけれど、浩之とあかりにとって二人で歩く毎日が当たり前であり、変わらないもの。これまでも、これからも、という枕詞を疑うことはない。ずっと一緒にいる日常が「おだやかな時間」であり、勉強会はそんな日々の特定の一点、つまり「時刻」だ。二人にとって特別な出来事ではない。しかしながら高校入学以降、初めて浩之が訪れるあかりの家、そこで過ごす時間を切り抜けば……そんな風に思考を巡らせてサブタイトルを付けたんじゃないか、と思った。また時計の秒針が描かれていないのもいい(秒針のSEは入っている)。秒針が動いていると「瞬間」を切り抜いた、というニュアンスが若干薄くなったかもしれないからだ。

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あかりの開くアルバムの写真も「時計」を補強するサブモチーフ。「覚えてるよ。浩之ちゃんとのことはみんな、覚えてるよ」というあかりのセリフは、「時間」の中に存在する特定の記憶という意味で捉えるとより親和性が高くなる。

アルバムと対照的なシーンが、志保の家までの道を歩きながら、「おおぐま座、主に二等星で構成される周極星~」と浩之が暗唱してあかりを驚かすところだ。

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あかりのクマ好きは浩之が昔、クレーンゲームで取ったぬいぐるみがきっかけだった。その思い出は曖昧で忘れかかっていたとしても、「クマ」に関連する事柄を自然と覚えている。たぶん、それを話すとあかりが喜ぶからだろう。長い年月を感じさせる星座の話題を最後に持ってくるところも、気が利いている。けれど、そんな情緒的な空気から一転、オチは寝込む志保のアイリスアウト。

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アイリスイン/アウトはアニメの専売特許ではないが、明らかにギャグっぽく落とす非常にアニメ的な使い方。これは作り手の葛藤といわないまでも、ある種の“保険”にみえなくもない。話の雰囲気を考えると、脚本かコンテか、最後のトランジションを想定した段階が大変気になる。とはいえ、監督が納得してきれいに二段オチの決まっている以上、突っ込みすぎるのも野暮だろう。

全編を通して、かなり「覗き見」気質の強い話数である。クリティカルなイベントが起きず、ちょっとした思い出に花を咲かせた以外はひたすら教科書と格闘するだけ。それを覗き見る印象を与えることで、二人は幼い頃からこんな休日を幾度となく過ごしてきたんだな、という実感をもたらす。そうした狙いは上述の「サムデイ」と近く、発想の類似点をいくつも発見できる。美少女ゲームメーカーKeyの作品をアニメ化した京都アニメーションと「美少女ゲームのアニメ化」に於ける画期的な作品であるKSS版『ToHeart』。その中でひときわ異才を放つエピソードを比較し、見えてくるもの。まだまだ研究していきたい。*2

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*1:志保がアルバムの写真以外で「顔出し」していないのも特徴。浩之とあかりへのフォーカスに集中させたかったのだろう。

*2:アカンべーをしたハルヒと自然体なあかり、わずかに匂わせる三角関係、定点カメラ、三人称、音楽・音響、実写的タッチ等々。