boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『らんま1/2』再見 傑作エピソードメモ(前半戦)

機会あれば一から、と思っていた『らんま1/2』を観返していた。『らんま1/2』は高橋留美子の同名マンガを原作にしたTVアニメで、第1期と『熱闘編』を合わせると全161話に及ぶ長期シリーズだ。早乙女乱馬と許嫁である天道家の三女・天道あかねを中心とした原作のドタバタ&ラブコメテイストを重要視する一方、アニメ版は『うる星やつら』同様に当時の若手を中心としたクリエイターの個性が輝いたシリーズでもある。その中から個人的に気に入ったエピソードを抜粋し、印象を書いておきたい。

■『らんま1/2』 第1話「中国から来たあいつ! ちょっとヘン!!」

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脚本/浦沢義雄 絵コンテ・演出/望月智充 作画監督中嶋敦子

記念すべき初回放送。最高の中嶋作画、マスタピースと呼んで差し支えない出来だが、異彩を放っているのは演出だ。るーみっくわーるど的なギャグ(ちゃぶ台返しなど)を押さえつつ、原作にはない天道早雲の主観ショットによる"天道家案内"があったり、舞台の中心になる居間の描写を厚くしたりと、『らんま』放送の前年に公開された望月智充監督『めぞん一刻 完結篇』の雰囲気が色濃く残っている。ある意味、高橋留美子原作アニメの歴史を感じられるところかもしれない。女らんま役・林原めぐみの非常に初々しい演技も聴きどころ。作画的ベストカットはタッチの入れ方が絶妙な介抱されて目覚める乱馬。

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■『らんま1/2』 第9話「乙女白書・髪は女のいのちなの」

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脚本/井上敏樹 絵コンテ・演出/高木真司 作画監督遠藤麻未

乱馬と良牙の決闘の最中、あかねの長い髪がバッサリ切られてしまう場面から始まるショッキングな話数。あかねの乙女心を彩る紫陽花をシュールな画面(怒りの鉄拳でへこんだ電柱)に落とし込むアイディアはアニメで足された部分だが、紫陽花の味わいがじつにいい。Bパートでは良牙が子ブタの「Pちゃん」化となってあかねの胸に抱かれる。若き日の松本憲生ら作画陣の奮闘も見逃せない。

 

■『らんま1/2』 第13話「スケバンの目に涙? ルール無用の格闘新体操決着」

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脚本/高屋敷英夫 絵コンテ・演出/望月智充 作画監督中嶋敦子

「らんま」名物・謎格闘対決の序章にして、久能小太刀がリング狭しと暴れ回るアクションスペクタクルな一話。立体的なカット割りや独特の「間」を作るコンテワーク、そして「色気がない」とよく乱馬に言われるあかねの貴重なネグリジェ姿は望月智充のフィルムだと実感させてくれる。演出とフェティシズムの両立を支える中嶋敦子の修正、とくに横顔の解釈が素晴らしい。女性アニメーターの系譜で言えば、後の千羽由利子To Heart』に繋がっている気もする。 

 

■『らんま1/2』 第15話「激烈少女シャンプー登場! ワタシ命あずけます」

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脚本/隅沢克之 絵コンテ・演出/もりたけし 作画監督遠藤麻未

佐久間レイのキュートなカタコト喋りでお馴染み・シャンプーが初登場。初期シャンプーの魅力は女らんまを付け狙う執念深さと乱馬にささやきかける「我愛你」の極端過ぎるギャップであり、アニメは原作以上にそのスイッチを誇張している。終盤の大きな月をバックにした追いかけっこはふたりの関係性を表した象徴的なシーンだ。シャンプーの特長である身体性・アクション性・求愛性を登場回で余すことなく出し切っているのだから凄い。

 

■『らんま1/2 熱闘編』 第7話「さらわれたPちゃん!」

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脚本/井上敏樹 絵コンテ・演出/古橋一浩 作画監督遠藤麻未

「らんま」古橋一浩演出回の"無双"ぶりは最早語り草だが、それは緩みのない画面構成と飽きさせない工夫によるところが大きい。聖コルホーズ学園格闘スケートの黄金ペア・三千院帝と白鳥あずさが持つ凶悪なアクの強さを引き立てるペア格闘パートはスピード感とポージングで攻める、まさに嵐の如き演出。女らんまが帝にキスされてしまう固まり具合も楽しい。

 

■『らんま1/2 熱闘編』 第8話「危機一髪! 死霊の盆踊り

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脚本/松井亜弥 絵コンテ・演出/高木真司 作画監督中嶋敦子

帝必殺の「死霊の盆踊り」をコマ送りし、急接近する乱馬とあかねのキス未遂を注視し、自分の所有物すべてにおやすみと言ってまわるあずさの様子に背筋を冷たくして試合本番に向かうという何とも忙しい話だが、まさに初期傑作回と呼ぶに相応しい回。恐ろしいことに後半のあずさコレクション部屋パートはアニメの追加設定であり、セルで描かれたプロップの量に眩暈がするが、ゆえに愛されているのだと分かる。

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余談だが、白鳥あずさの行き過ぎた「可愛い」趣味は『キラッとプリ☆チャン』に登場する金森まりあに響く遠いエコーだろう。泰山の名は、高橋留美子

 

■『らんま1/2 熱闘編』 第21話「あかねの口びるを奪え」

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脚本/戸田博史 絵コンテ/石田昌久 演出/小林孝志 作画監督中嶋敦子

天道あかねが魅力的な話数」で5本の指に数えられる、あるいはナンバーワンに挙げてもいい、あかねのあかねによるあかねのためのジュリエットゲーム。思いを馳せるあかねの表情、ジュリエットに扮したあかねを飾るきめ細やかな作画、反射する涙の意味。 石田昌久*1の担当回は少ないが、本作でもたしかな痕跡を残している。「バッカみたい」と言って微笑むフェンス越しのあかねは、乱馬主観の「かわいくねえ」カウンターカット。ガムテープ越しのキスとフェンス越しの笑顔、テーマの膨らませ方が素晴らしい。

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■『らんま1/2 熱闘編』 第25話「くしゃみ一発愛してナイト

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脚本/横手美智子 絵コンテ/小島多美子 演出/中村憲由 作画監督/数井浩子

本来、「脚本」を語る行為の多くは思い込みだ。そう見えたものが、じつはプロデューサーの口添えだったり、監督や演出の匙加減で変えられたものだったりする。完成したフィルムから脚本を抽出するのは困難きわまる行為なのだ。だが世には、時にそれを承知で語らせて欲しいという場合が起きる。悔しいが、起こってしまう。「くしゃみ一発愛してナイト」はその類のエピソードだ。

 「……手首細いな、アイツ」

原作にない乱馬のこのセリフが横手美智子*2の手で書かれていたとして、どういった思考を巡らせれば出てくるセリフなのか。おそらく、乱馬とあかねの心の襞をじっと見つめて見つめて、見つめすぎて風邪をこじらせないと出てこない。「天道家のいちばん静かな夜」を書きたかったのか、男と女がひとつ屋根の下にいることを意識させたかったのか。答えは、各々胸の中に。

 

■『らんま1/2 熱闘編』 第31話「私ってきれい? 乱馬女宣言」

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脚本/横手美智子 絵コンテ・演出/古橋一浩 作画監督/数井浩子

のっけから炸裂する松本憲生! 頭の打ち所が悪く、心まで女性化してしまった乱馬とあかねの戸惑い。ギャグのテンポと気持ちの置き所がないあかねの表情を切り取る演出がみごとで、横手×古橋×松本という脚本演出作画すべてが奔っている回だ。

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また冒頭、台所のかすみパートはフレーム外の動きまで想像させる高度な芝居作画。自然なカメラの移動と奥行きへの意識。人物がそこに生きていると実感させるアニメートとは、こういうものだろう。

 

 ■『らんま1/2 熱闘編』 第52話「乱馬のママがやってきた!」

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脚本/菅良幸 絵コンテ/境屋夢吉 演出/よしだのどか 作画監督中嶋敦子

森川滋(紅優)の変名であろう境屋夢吉がコンテを切ったことも関係しているのか、デフォルメがいつも以上に弾けており、賑わいのある画面、「Pちゃん遊び」に代表されるアイディアなど、いつもとは違う方向にかっ飛んだ喧騒行進曲。アニメオリジナルの伏線的"母"回である意義が不意打ちのように落ちてきたタライで忘れ去られる、そんなお話。

 

 ■『らんま1/2 熱闘編』 第62話「あやうし! Pちゃんの秘密」

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脚本/久島一仁 絵コンテ・演出/古橋一浩 作画監督中嶋敦子

忘れちゃいけないあの人、アニメーター時代の石田敦子を語るときに外せない話数のひとつがこれだ。

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品のある座り方をするあかねの芝居や乱馬を強引に振り向かすリアクションのタイミング、石田イズムを存分に味わえるファーストシーン。さらに古橋×中嶋のゴールデンコンビ回に外れなぞあろうはずもなく、あかねにPちゃんだとバレたくない良牙の涙ぐましい努力、裏でサポートする乱馬との二人三脚は眺めるに楽しく、謎のPちゃんダンスの二段オチでもうひと笑いという、シリーズ中盤を彩る名エピソード。

 

■『らんま1/2 熱闘編』 第69話「乱馬なんか大キライ!」

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脚本・絵コンテ/澤井幸次 演出/浦田保則 作画監督/磯野智

澤井幸次監督期の最後を飾るのは、やはり本人しかいない。桜の花びらが舞う出会いと別れの季節を描いた一篇は、早乙女親子が来て二年のお祝いに作っていたケーキを滅茶苦茶にされたあかねが、今度ばかりはと家を飛び出してさあ大変。家族総出であかねを探しにいくという筋立てで、「天道家」に焦点を当てた抒情的な作りになっている。縁側を映す固定カメラ、居間でじっと皆の帰りを待つかすみ、逃げ慣れた夜の街を駆ける八宝斎(「あかねちゃーん」と叫ぶ場面はトトロの「メイちゃーん」っぽい)、「らんま」世界のいつも通り、つまり「日常」を普段とは違う角度で撮ったドキュメンタリーと言った方がいいかもしれない。しかしこれはアニメーションであり、そこでしか描けない風景もある。

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このかすみがテーブルに伏して寝ている居間を庭から撮った密着多段引きのカットは、アニメの持つ質感や技術が結集されたものだ。実際にカメラを持って回り込んでもこうはならない。縁側のガラス戸や障子、奥に見える襖といった「素材」に、スライドの引き速度に、何らかの意味を込めることができるのはアニメーションだからこそだ。澤井幸次監督の矜持、愛情のなせる業だろう。「天道家」最高のワンカット。

序盤の山内重保回や松本作画回を中心にまだまだ挙げたい話数はあったが、それはそれとして(キリがないので)。後半戦へ続く。

 

TVシリーズ「らんま1/2」Blu-ray BOX (1)

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  • 発売日: 2013/06/04
  • メディア: Blu-ray
 

*1:「らんま」放送中の1990年末、過労により早逝。

*2:TVアニメ『機動警察パトレイバー』でデビューした年に『らんま1/2』の脚本を執筆していることになる。Aパートの映画館のくだりはレイバーの太田っぽく、色々とヤング横手の勢いが余っている。

演出メモ/J.C.STAFF夏の3本

ここのところ、J.C.STAFF制作のTVアニメで佳作と呼べる回が続いている。『食戟のソーマ 豪ノ皿』5話「コンビニの戦い」、『とある科学の超電磁砲T』18話「巨乳御手(バストアッパー)」、『ミュークルドリーミー』16話「私はやっぱりチアっちゃお!」だ。

それぞれに言えるのは、演出の顔つきが仕上がりにしっかり反映されていること。普段の話数以上に仕掛けが多彩で飽きさせる場面がなく、何よりその工夫を読み込みたい、そんな風に思わせる3本だった。

食戟のソーマ 豪ノ皿』5話の絵コンテ・演出は安藤良。同シリーズにはファーストシーズンから参加し、勝手知ったるという一人だが、カメラワークが連続した後に置く箸休め的なFIXの配分、そして長セリフとカット割りのハッタリが秀逸。中でも冴えていたのは、BLUE予選「第二の門」の審査員・ランタービが創真に試練の厳しさを伝えるシーンだ。

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ここはクローズアップから眼光鋭いランタービの瞳と長広舌の口元を交互にインサートしていく構成で、セリフの強弱に合わせたカメラの動きといい、威圧的かつ効率的な見せ方がじつに「ソーマ」スタイル。主役は試練に臨む創真に違いないが、ランタービの魅力を短い尺の中であっても最大限生かしたいという考えがあったのだろう。高圧的なのにどこか抜けている井口裕香の演技も良かった。

一度聞いたら当分忘れられないサブタイトルであろう『とある科学の超電磁砲T』18話は、意外にも"初超電磁砲"の山川吉樹コンテ回。御坂美琴と「アイテム」に所属する絹旗最愛が「バストアッパー」のために一時的に手を組み、インディアンポーカーに挑むコメディ要素の強いエピソードだ。特色は悪ノリ感満載のデフォルメ。

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大胆という枠を超えた崩し顔は山川監督の『キルミーベイベー』を彷彿とさせるが、そもそも絹旗最愛演じる赤﨑千夏の代表作は『キルミー』の折部やすな。偶然かもしれないが、スタジオ・監督・キャストが揃っているからこそ可能なJ.C.STAFF流の悪ふざけであり、サービス(シャワーシーンを始め、チラリズムの意味合いも含め)であると受け取ってみたい話数だ。原作とは異なり、弓箭猟虎の夢に入った美琴がアイドルマスターパロディをやるところも攻めている。かつては荒木哲郎らと共に『ギャラクシーエンジェル』で暴れていた長井龍雪監督。懐が深い。

最後の一本は崩し顔・ギャグ顔の大家、桜井弘明監督が第1話以来、久々にみずからコンテを切った『ミュークルドリーミー』16話。憧れの先輩・杉山遼仁の引退となる試合の応援をしていた日向ゆめは、試合後の杉山に声をかけようと試みるも、勇気とチャンスが巡ってこない。落ち込んでいるゆめを皆で応援するといういつもとは逆の構図を採った、おそらくシリーズのキーとなる話だった。桜井節を実感するのは、リズミカルな会話劇とワンカットの中で次々と変化していく表情、崩し顔の使い方だ。

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まるでコントのようなツッコミとリアクションの応酬。こうした「カットを割らないコント」と「カットを割って勢いをつける喜劇」の使い分けが非常に巧い。その中に一粒、杉山と沢村百合の仲睦まじい様子を見て、割って入れないゆめのセンチメンタルを入れる。

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イカに塩をかけると甘くなる、一掴みの対比効果。あくまで愛嬌あるギャグが中心の作品だが、それだけじゃない。間尺を使ってゆめの心情を描いていくことが、翻ってギャグのキレを上げる。笑って転んで、ちょっぴり泣いて。アクロバティックな笑いを狙いながらも、地に足の着いたドラマを描く。そのバランス感覚が桜井監督の本領だろう。 

今回取り上げたJ.C.STAFFの3作品はいずれも放送延期があり、思いがけず同時期に見どころのある話数の放送が重なっただけかもしれないが、「たまたま」「はからずも」な要素こそ、毎週放送のあるTVアニメならではだと思っている。これからも出来る限り、忘れずに書き残しておきたい。

 

『波よ聞いてくれ』12話の信頼とアドリブ

俺、映画でもアニメでも、原作に忠実であるべきだとは決して思わないんですよ。その道のプロが最善と考える見せ方をしていただければOKで。

これは「アフタヌーン」2020年2月号の誌面対談で南川達馬監督に原作の沙村広明が語っていた言葉だ。形式上、多少のリップサービスがあるとしても、思えば最終回に向けた原作者からのメッセージだったのかもしれない*1。アニメ『波よ聞いてくれ』12話「あなたに届けたい」は忠実に原作を追えばまだ先だったはずの北海道地震と大規模停電を盛り込み、全体の構成をアレンジしながらも、非常に綺麗にまとめられている。試されるミナレのアドリブ力、災害時における緊急マニュアルの展開と行動のリアリティなど、原作とは違った道を通ったからこそ、原作読者にとってもハラハラするおもしろさがあった。

特筆しておきたいのは、そこで描かれている「信頼」についてだ。「MRS」のディレクター・麻藤兼嗣はミナレのアドリブを信じた。緊急事態であろうとも鼓田ミナレには切り抜けられる発想とトーク力が備わっているのだと。喋りの「プロ」になれと背中を押したわけだ。その麻藤の最も信頼しているパーソナリティが大原さやか演じるMRSの看板、茅代まどか。作中ではミナレの後番組を担当するため、愛車を飛ばして駆けつけてくるが、茅代が放送ブースに入るまでの芝居作画はじつに素晴らしい。

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放送席に座り、ヘッドフォンを装着する。ただそれだけの芝居にどれほどの説得力を持たせられるか。つまり非日常の最中、いかに日常的かつ平静的な芝居で通せるかという、「普通」の難しさをアニメートする勝負をかけたシーンだったのではないかと思う。慌てず騒がず、安心感のある「いつも通り」の姿。ここにも信頼があるのだ。麻藤が茅代を信頼するように、おそらく南川監督もアニメーターがこの芝居を描いてくれると思って絵コンテを切り、演出している(勿論、大原さやかの力量も信用しているだろう)。ドラマの中で描かれる信頼と作り手の信頼が重なり合う、多人数で制作する「番組」ならではの醍醐味だ。

もうひとつ、演出の「アドリブ」にも触れておきたい。姉に叱られ、帰りの遅い城華マキエを探しに出た中原忠也が、公園で祝杯をあげる城華を見つけ、公園のベンチで話し込む場面。

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基本的には原作コマを活かしたカット割りなのだが、無自覚な中原の優しさが炸裂する途中で、原作にはない城華が何かをつぶやく口元のアップがインサートされている。このインサートは城華の感情が溢れ出す、言わば前触れのようなものだ。スポットライトのような照明、何かを言い出したくて堪らないバックショット。城華マキエが中原忠也にどれだけ参っているか、思わず泣き出してしまう感情の道筋がひとつの「アドリブ」によって原作以上にグッと引き立っている。まさに演出の隠し味だ。

また城華の「泣き」も絶品。能登麻美子の「もお…やだ……」をぜひ聞いてくれ。

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*1:対談の中で最終話のアフレコが終わっていることが明かされており、原作者による脚本・コンテ等のチェックも事前に済ましていたのではないかと思われる。

演出メモ/『空の青さを知る人よ』

『空の青さを知る人よ』は秩父三部作の集大成と謳われているが、「超平和バスターズ」作品としても、完結編的な映画だと思う。演出にしろ作劇にしろ、語り口に迷ってしまうほど密度があり、一つ一つに込められた意味が重い。言ってしまえば、「だれから/どこから」語るか、慎重に選びたくなる映画かもしれない。

「だれから」についてはまず、この2本の記事を押さえておきたい。*1

【藤津亮太の「新・主人公の条件」】第11回 「空の青さを知る人よ」相生あおい

舞台は秩父、せつなく不思議な四角関係(小原篤のアニマゲ丼)

「新・主人公の条件」では相生あおいにスポットを当て、彼女がどうして主人公であるのか解説されている。中でも荒井(松任谷)由実の「卒業写真」と過去/現在/未来の時間のあり方をつなげる鮮やかな手練には思わず拍手を贈りたくなる。公開当時、エンドロールの「写真」に引っ掛かりを覚えるといった感想をいくつか読んだが、これはそのひとつのアンサーだろう(自分自身、少なからず考えあぐねていた)。

対して「アニマゲ丼」の記事は「あかね」ルート(視点)への詳細な読み解きを主としており、あかねの素晴らしさが存分に語られている。とくにあかねが時折みせる微妙なリアクションへの解釈は一読どころか、何度も読み直しながら映像を観たいと思わせる、一種の"解答集"(「正解」とは異なる)になっている。ぜひ作品読解のガイド、参考にしたい優れたテキストだ。

これらを踏まえ、さらに深掘りしていくと何が見えてくるのかというと、例えば最初観たときから気になっていた、あかねの乗るジムニーのとある描写。

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アニマゲ丼の一文を引用しよう。

慎之介が現れて物語が進むにつれ、彼女の本心が明らかになっていきます。彼への思いはあるけどそれをハラにおさめてきたのは、あおいを育てることの方が大事だから。それは自分がガマンするということではなく、あおいにそれだけの価値があり、あおいの成長を見守ることに自分の一番の喜びがある。その選択は主体的なもので、その正しさは彼女にとって揺るぎないものだからです。悲しい「犠牲」にも美しい「献身」にも塗り込めてしまわないところに、奥深さを感じます。

着目したいのは、あかねの選択が主体的なものであるというところ。目の前にどんな壁があったとしても、人生のハンドルは自分で握っている。だから、と言い切ってしまうほどの根拠を求めるわけではないけれど、何故彼女がオートマではなくマニュアルの車に乗り、"悪路"走破性の高いジムニー(山道を通る秩父の土地柄もある)を選んでいるのか、納得できるだろう。

「マニュアル」を生かした演出もある。終盤、あかねと慎之介、「しんの」の3人で帰る車内のシーンだ。

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右手をハンドルに添え、左手でシフトレバーを握るあかね。 そこへインサートされる幼いあおいと手をつないだ高校生のあかねのバックショット。あかねの両手、右手と左手が握ってきたもの。そして、その手を離れていくもの。あかねの「手」(人生)と「マニュアル」を重ねた巧みなモンタージュ。色トレスであかねとあおいを描いているのが長井龍雪監督のフィルムらしく、また「シフトチェンジ」の意味合いがドラマと演出、両方に掛かっている。ベースを弾くあおいの手、そんなあおいの手を引いてきたあかねの手、その手を次に引くのは……これ以上は野暮だろうか。

さて本作を「どこから」切り取るか、書いておきたいのは「囲まれている」という作品のテーマと、その見せ方についてだ。

「盆地ってさ、結局のところ、壁に囲まれているのと同じなんだよ。わたしたちは、巨大な牢獄に収容されてんの」

これは作中であおいが口にした秩父盆地を皮肉って自虐するセリフ。対となるのは、あかねが卒業アルバムに書いた「井の中の蛙 大海を知らず、されど空の青さを知る」という慎之介のデビュー曲の元となり、映画のタイトルにもなっている言葉だ。

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秩父を「井の中」に見立て、仮想的に東京、あるいはもっと広い世界のことを「大海」と呼ぶ。この辺りの秩父と東京の関係性は、秩父市出身、脚本・岡田麿理の肌感覚によるものかもしれない。脇道に逸れるが、元々「井の中の蛙」の故事成語は「荘子・秋水」に由来し、秋の洪水にちなんだ話である。もし蛙が狭い井の中で空を見上げていたとしたら、それは秋の空なのだ。狙ってか知らずか、『空の青さを知る人よ』も10月の終わりから11月の頭にかけての物語*2であり、ゆえにあおいとしんの、ふたりの"蛙"が一年でもっとも高い秋の空へ飛び出すカタルシスの奥行き、意味付けに一役買っている。

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何にも遮られることのない空を飛ぶふたり。しかしそのころあかねは、土砂で出口が埋まってしまったトンネル=井の中にいる。井の中にいたふたりが、井の中に閉じ込められたもうひとり助けに行く。そう、空の青さを知る人を。テーマを救出するみごとな構成だ。個人的に感じ入ってしまったのは、「目玉スター」という目の中のほくろまでを、「空」と結びつけたこと。

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 「目」から消えない、"出られない"ほくろ。しかしその目で空の青さを知った。囲まれていない空を景色を知った目玉スター。しんのであり、あおい自身のことだ。「ほくろ」をどんなアップで見せるか、どのくらい引くと見えなくなるのかという演出指針はかなり細かく指定されているではないかと思う。逆に言えば、「ほくろ」が見えているカットの心理描写を追いかけるのは、面白いかもしれない。きっと何か長井龍雪の"仕込み"があるはずだ。

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カット単位で見るならば、こういった「囲み」レイアウト(≒フレーム内フレーム)、つまり疑似的でミクロな「盆地」が、シーン/シークエンスにもたらしている効果もたしかめたい。閉じ込められているという比喩的かつ心理的状況に共通性があったとしても、内容はそれぞれ異なっている。囲みを超えたり、出たりするのではなく、その中で抱えているもの。あるいは封じられているもの。おそらくそれが『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のかくれんぼであり、『心が叫びたがってるんだ。』で玉子の妖精に取り上げられたお喋りからつづく、秩父三部作の(岡田麿理的)秩父性、"盆地"性にかかわる部分なのだろう。だからこそ、そこから空に高く飛び上がる運動には、解放感以上の価値がある。集大成と呼ばれる作品の象徴であり、運動なのだから。

まだまだあかねの仕草(手の芝居、ポージング)、レンズ(眼鏡)と演出など、熟考を重ねてみたい箇所は山ほどあるが、ひとまずここで。相生あかねは底が知れない……!

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*1:アニマゲ丼のバックナンバーは公開範囲の変更により、一部を除き有料会員記事になっている。

*2:前作『心が叫びたがってるんだ。』と作中の時期を合わせている可能性も多分にある。

アクアの輪っかと金崎演出

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この素晴らしい世界に祝福を!』は何度観ても笑って騒いでたまにしんみりして、心の底からスカッとした気持ちにさせてくれるアニメだ。今回はそんな『このすば』に登場する水の女神・アクアの「輪っか」について書いてみようと思う。

アクアの髪型はかなり変わっている。後ろに大きな"輪っか"を作り、青い球体の髪飾りで留めるという、特徴的なスタイル。毎朝欠かさずセットするアクアの苦労がしのばれるが、感心してしまうのはその輪っかを使った演出の遊びだ。たとえば第1期8話「この冬を越せない俺達に愛の手を!」Aパート、ウィズの店内をうろつくアクア。

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スーパーマリオ風にジャンプして「の」がコインのように獲得されるアイキャッチから、「輪っか」の左右運動→付けPANでアクアが顔を出すというカット繋ぎ。「の」と「輪っか」の形、上方向への意識をかけたパロディ的かつ映像的な工夫がおもしろい。

また8話には、アクアの髪型でしか成立し得ない演出もある。

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ウィズが見逃してくれた恩返しにスキルの伝授の申し出るシーンで印象的な「輪っかフレーム」。ウィズとアクアの立ち位置からすると、多少嘘のある構図かもしれないが、「アクアに問い詰められるウィズ」という心理的包囲を成立させることで説得力を持たせている。弱い者にはとことん上から目線に出るアクアの人物像が反映された、アクアにしかできない構図だ。

この「輪っかフレーム」は気に入られているのか、第2期1話「この不当な裁判に救援を!」でも用いられている。

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国家転覆罪の容疑で牢に繋がれたカズマを脱獄させるために駆けつけたアクア。牢獄に入れられ、さらにアクアの輪っかに収まってしまうカズマという「二重包囲」が本作らしいブラックジョークなのだが、同話数の後半にはジョークが一変、笑えない方へと事態が進んでしまう(本質的にはシチュエーションコメディが続いている)。

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いささかやり過ぎにも見える絞首台の輪縄をナメたカズマの画。前半の「輪っか」とのギャップが著しく、回り回ってアクアの尻拭いをするカズマの終着点がここだという皮肉であり、結末に思えてしまうところまで含めて『このすば』だ。しかもそれを第2期の初っ端に持ってくるのだ。金崎貴臣監督の飛び道具的な演出の真髄が発揮された瞬間と言っていいだろう。

そして第2期2話では文字通りの飛び道具が、アクアのチャームポイントをかすめていく。

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大泣きしながら必死に逃げるアクアの輪っかを射抜くカズマの狙撃。スローモーション→通常速度へ戻すダブルアクションの凝った設計で、カズマの恨みつらみが放たれた矢に乗り移り、まるで的が二つあったかのような、これまで迷惑をかけられてきた「輪っか」への意趣返しのような、穿った見方をしてしまいそうなシーンになっている。

他にも表情を映さず輪っかだけで語らせるコミカルな広角であったり、わざと人物に被せて「邪魔」という意図に使ったり、用途は様々。女神の輪っかと金崎演出、今一度ご注目あれ。

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』絵コンテ集と愛嬌

先日、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 –永遠と自動手記人形-』のBlu-ray/DVDが発売された。パッケージの詳細が発表されたとき、気になっていたのが「監督厳選 解説付き絵コンテ集46P」の一文。あの自身の演出について自覚的かつ自省的な*1藤田春香監督が何を解説してくれるのか。これはぜひ手に取って確かめなければと思っていた。

だが、あにはからんや、実際に絵コンテが収録されたコメンタリーブックレットを開いてみて、まず目に留まったのはコンテ用紙だった。

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『外伝』のアスペクト比は劇場のスクリーンに合わせたシネマスコープサイズ。当然、絵コンテもTVシリーズとは違う専用の用紙を使って描かれているのだろうと思っていたのだけど、まさかの手描き用紙!*2よく見ると枠線がはみ出していたり、線が重ねられていたりと手作り感たっぷり。単なる憶測にすぎないが、もしかしたら藤田春香監督がみずからのために、通常のコンテ用紙を参考に描いたのかもしれない。

監督による解説はワルツ、前後編ラストを含む11シーン。肝心の絵コンテは被写界深度の指定をはじめ、ヴァイオレットとイザベラの距離感や温度感、世界観など人物の心境を物語る演出指示が多く、感情の積み方、記し方に特徴がある丁寧な内容。ややマニアックなポイントとしては、Cut361Ⓐのpicture内に書いてある小さな「ほんま」の味。

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恋文の代筆に定評があると 「マジレスするヴァイオレット」のト書きもおかしく、すこし緩んで解けた雰囲気の表現が秀逸。ヴァイオレットが口にしているわけではないが、監督の声だろう、関西弁の"地"が出ているところが微笑ましい。じつはこの「ほんま」で思い出した別の「関西弁」がある。「公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失」に掲載されていた絵コンテ、高雄統子パートの長門有希だ。

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ここにはキョンと「あ、目があってしもた。どうしよ。緊張してきた。どうしたらええかわからん」と心の内が書かれている。京都アニメーションには時折、人物の心情を補足的に書いておく演出家がいるが、これは「関西弁の長門有希」という愛らしくも珍しいコンテの中だけの存在。それが記憶に残っていたのだ。

出版された絵コンテ本や特典の絵コンテ集はファン向けの制作資料だが、その楽しみ方はそれぞれだ。通常は完成映像と照らし合わせて変更箇所、あるいは作画の解釈を探ったり、ト書きに演出家の個性を見つけたりする。その点、コンテ内の関西弁はスタジオの土地柄が反映されたもので、言わば愛嬌だ。こういった細かい癖や変わった表現を覚えておくことも、コンテを読み込むおもしろさ。本道からは外れているかもしれないが、横道にしかない発見もある。

真っ当(?)な話もしておこう。本編で咲いている種類豊富な花の数々。前編は白、後編では色とりどりに、という意図で描かれているが、調べて胸を打たれた花がある。それはクライマックス、イザベラがテイラーからの手紙を読んでいるカットの画面手前で咲いているヘリクリサム・ペティオラレ。花言葉は「永遠の思い出」。コンテ段階で花が指定されているので、タイトルの「永遠」に掛かった意味を入れたかったのだろう。それ自体を取り上げると気恥ずかしくなってしまう花言葉だが、ヘリクリサムに関しては、この場面でこれ以上相応しい花はないなと感じ入ってしまった。藤田春香監督の真っ直ぐな演出。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は花と色、そして永遠を繋ぐ空の物語なのだ。

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公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失

公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失

  • 発売日: 2010/02/26
  • メディア: 単行本
 

*1:劇場パンフレットのインタビューはファン必見。

*2:『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』のパッケージ特典「石原監督厳選名場面コンテ集」と比べてみると、違いがひとめで分かる。

『リズと青い鳥』の下校シーンとシンクロ

凛とした朝の空気の中、軽快な足音が響く。鎧塚みぞれはその音を聞いて、傘木希美の気配を察する。校門から聞こえてくる足音は、物語の始まりを告げる音だ。そして校門につづく階段を降りる足音、これはふたりの少女が鳥籠から出ていく音。『リズと青い鳥』は音によって象られている。

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不思議に思っていたことがある。ふたりが下校するラストシーン、どうして会話の時系列だけ別にしているのだろう、と*1。食べたいものを互いに言い、「ありがとう?」「なんで疑問形なのっ」という登校シーンのやりとりを反復した後、階段を降りるふたりのカットでようやく映像と一致する。けれど、足音は映像にはめてあるのだ。この足音についての意図は劇場パンフレットのインタビュー等で明かされている。

冒頭とラストのシーンは、希美とみぞれの足音が音楽になっていくようなイメージなんです。この足音は音楽の牛尾さんがコントロールしてくださっているのですが、偶然、二人の会話がシンクロする瞬間に二人の足音も重なったんです。

DISCUSSION 種崎敦美×東山奈央×山田尚子(『リズと青い鳥』パンフレットより)

足音を音楽のように鳴らし続け、シンクロの瞬間の小さな奇跡をより響かせる。本作らしい美しいエピソードだが、大切にしたいのは「シンクロ」という観点だ。

細かく見ていこう。下校シーンはみぞれが階段を降りるところから始まる。直前の二つの色彩が混ざり合うカットから希美のセリフを先行させているため、既に画面と会話は非同期。つまり「非シンクロ状態」でスタートしているわけだ。映像とシンクロするのは、校門を出てしばらく歩いた後の階段を降りる途中。希美は振り返って「みぞれ。私、みぞれのソロ、完璧に支えるから。今は、ちょっと待ってて」と話しかける。

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ここではいくつかの意味合いを受け取れる。このセリフは「丁寧に自分の心を解く」とト書きにあるように、希美にとって非常に重要なものだ。対してみぞれは「私もオーボエ続ける」と返答する。映像は同期(通常に戻っている)したが、はたしてみぞれの答えは希美の真意とシンクロしているのだろうか。様々な解釈があっていい場面だ。また登校シーンとは逆に希美がみぞれを見上げ、「鳥籠」の校門を先に出たみぞれ、「心の階段」を先に降りた希美という対比的な構図も出来上がっている。

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「本番、がんばろう」

二人 同時に同じこと言って

みぞれ 覚えたてを使ってみる

「! ハッピーアイスクリーム!」

希美 わからない…

「何? みぞれアイスが食べたいの? じゃ、アイスにするか。決まりーっ」

リズと青い鳥』 録音台本 p.165-166

先に引用したインタビューに出てきた「二人の会話がシンクロした瞬間」とは階段を降りて、ふたりが歩いているときのことだ。ズレていた足音が重なり、非同期から始まった会話も同期するという複層的なシンクロのレイヤーが感動を呼ぶが、もうすこし作品に寄り掛かってみたい。

というのも、序盤のシーンでみぞれは「本番なんて、一生こなくていい」とつぶやいていた。「はやく本番で吹きたい」希美とは正反対だったのだろう。それが希美と一緒に奮起の言葉を口にするようになったのだから、これは立派な成長だ。けれども、みぞれの"性質"に注目すると別の見方が浮かび上がってくる。ヒントは録音台本にある「覚えたてを使ってみる」というト書き。みぞれには雛のインプリンティングを思わせる、印象的な言動*2を真似する癖がある。代表例は図書委員だ。

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図書委員は本の返却期限を守らなかったみぞれに対して、何度も「~ですけど」口調でしっかり職務を全うする物言いをする。すぐにその真似をして希美にジョークを放つみぞれは微笑ましく、さらに後ろをついて歩く様子と重なって「雛鳥」のイメージが形成されていく。要するに「ハッピーアイスクリーム」はみぞれの雛的な面が表出したセリフだということだ。ただ、ここで考えてみたいのは、それを発話するに至った「本番、がんばろう」。希美は作中、口パクで「がんばろうね」とみぞれに言っていたり、「本番楽しみだね」と声をかけている通り、発言に不思議はない。問題はみぞれで、たしかに成長の意味は強いだろう。しかしインプリンティングの性質からすれば――もしかしたら希美が言うかもしれないこと、あるいは口に出しそうなことを、希望を込めて(真似して)言ってみたのではないか。

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図書委員の真似をしていたときと同様、横位置でやや身を乗り出して興奮している様子からも、シーンの共通性は伺える。もちろんこれはひとつの見方に過ぎないが、心憎いなと思わせてくれるのは「じゃ、アイスにするか。決まりーっ」の次カットだ。

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みぞれがしばしば見せる嬉しさの感情表現としての目を瞑った表情、そして、希美の表情変化に目を向けると。

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静止画にすると瞭然、希美が一瞬、後ろにいるみぞれと似た表情をしているのだ。みぞれが希美のようなことを言い、希美がみぞれのような顔をする。台本のト書きをそのまま汲めば「ハッピーアイスクリーㇺ」がどういった言葉なのか知らない希美と、知っているみぞれの間にはまだズレがある。それでもなお、重なっていると思わせる表情のシンクロ。おそらく希美が目を閉じた時間をあと数コマ長くすれば、視覚的にわかりやすくなっただろう。何故そうしなかったかと言えば、セリフ・足音のシンクロと合わせ、「まばたきするほどの時間」だけ重なっているように感じさせたかったからではないかと思う。ラストシーンにいたっても徹底的に「非シンクロ」状態を維持するのも演出なら、一瞬にハッピーエンドの"気配"を込めるのも演出だ。互いの顔を見ていないところで同じ顔をしている――それを観客だけに伝える。けれども、足音に休止符が打たれる最後のカットは互いの顔を見合った、振り返ってみぞれを見る希美だ。

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「ビックリのみぞれ」が見ている希美の顔は、観客の想像とシンクロしているのか。ふたりのシンクロ/非シンクロが、ふたりの未来を想像する観客への問いに変わる。『リズと青い鳥』は繊細極まる、ガラス細工を思わせる作品だが、軽やかなターンで振り返った希美への解釈にはグッと体重を預けてもいい。決してひとつの答えに集約しないからだ。まばたきするほど短いシンクロに、ずっと思いを乗せて考え続けることができる。

たとえば、だ。台本のト書きには反するが、仮に希美が「ハッピーアイスクリーム」を知っていて、知らない振りをしているとすればどうか。みぞれとの出会いをよく覚えていないと言っておきながら、廊下を歩きながら思い出していたように。その場合、ズレがひとつ解消され、シンクロがひとつ重なる。表情の意味を再考する必要が出てくるし、振り返った意図にも何かを加えなければならないだろう。思えば『リズと青い鳥』は姿が見えないまま、響く足音から始まった物語だ。 見えないからこそ、足音ひとつ聞き漏らさないよう耳を澄ませる。画面には映っていない、見えない希美の顔。ピンと鳴る最後の音は、そんな見えないものへ希望をおくる、優しい視線だったのかもしれない。

*1:パッケージ特典の録音台本にも「別時系列」と明記してある。

*2:登校シーンのみぞれは行動的に希美を真似ている。