boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

中野英明虎王伝説『英雄教室』と「碇谷式虎王」

何か予感めいたものはあったかも知れない。中野英明が副監督を務めた『英雄教室』はそんな予感の的中したTVアニメとなった。

数々のアニメで竹宮流の奥義「虎王」を(無理矢理)披露してきた来歴については下記の記事リンクを参照。

執念深く、長期に渡って「虎王」や板垣恵介マンガのパロディを捻じ込んできた「実績」を鑑みて、今回も繰り出してくるだろうと予想していたのだけど、『英雄教室』はコメディの職人・川口敬一郎監督の下、暴走機関車のようだった『SKET DANCE』時代を思い起こさせるパロデイの雨あられ

たとえば、絵コンテ・演出を担当した第2話「ソフィ」は冒頭からこのありさまだ。

元ネタは宮本武蔵が愛刀「無銘 金重」を手にする御存知『刃牙道』109話の試し斬りパート。ほぼ完全コピーといっていい出来栄えだが、これを手始めに続く話数では武蔵との試合で回転が間に合わず斬られた烈海王、またぞろ会食で中華料理を頬張る烈という強コンボ。

第9話でソフィの攻撃を見切るブレイドはかなり通好みだが、『餓狼伝』20巻で神山徹の踏み込みを見切った姫川勉の一連のパロディだろう(元ネタ画像はこちら)。

そしてついに解禁された『英雄教室』版虎王は、アーネストが仕掛け「完了」の直前に合気のような追撃が入る新パターン。完了キャンセル版虎王といったところか。

7,9話共に中野英明は絵コンテのみで演出に入っていないためか、全体的に若干“緩く”、完成度は歴代の虎王からすると甘めかも知れない。とはいえ、これだけ好き放題に板垣パロディを繰り出せるシリーズは珍しく、愛好家の身からすると充分といえる。

他方、近年は「刃牙」シリーズのアニメ化が進み、Netflixオリジナルアニメシリーズとして配信された「地上最強の親子喧嘩編」『範馬刃牙』37話では、範馬勇次郎に対して息子・刃牙が虎王を「プレゼント」している。

こちらは原作ママの虎王パートを効率的に再現。本家「刃牙」シリーズは動きの細かさよりも迫力を重視した作りであり、同じ虎王であっても(アニメ的な)思想がまるっきり異なる。そういった点を見比べるのも面白いだろう。

さらに直近ではNetflixがもう一方の“本家”である夢枕獏の小説『餓狼伝』を原作とするアニメ『餓狼伝: The Way of the Lone Wolf』を配信開始。藤巻十三を主人公とする外伝的・現代アレンジされたシリーズで、監督は『ID:INVADED イド:インヴェイデッド』9話のリアルなマーシャルアーツが話題を攫った碇谷敦。格闘的映像的なセンスはともかく、“獣臭”漂う『餓狼伝』とスタイリッシュな監督の作風がマッチするのか一抹の不安を持って見守っていたのだけど、いざ蓋を開けてみると、想像以上に「虎王」がフォーカスされ、さながら嵐の如し(とくに後半は虎王祭り)。

「碇谷式虎王」の特徴は積極的なスローと緩急によるメリハリ。間合い取りや打撃など、一般的な格闘シーンはかなり現実的に描かれているが*1、奥義である虎王だけはいくつかの「中野式」と同じく、アニメーションならではのカッティングで“必殺感”が高められている。このあたりの工夫も見どころのひとつ。

そして『餓狼伝: The Way of the Lone Wolf』最大の虎王的サプライズは最終話(8話)の「碇谷式虎王破り」だ。これはぜひ、自分の目で確かめてみてもらいたいが、個人的には『グラップラー刃牙』へのリスペクトを大いに感じた。最大トーナメントの決勝で範馬刃牙がライバル達の技を使ってみせた、あの興奮。刃牙が幼年時から愛用する胴回し回転蹴りカウンター……夢枕獏はもちろん、板垣恵介への多大なる尊敬の念が込められているように思えてならなかった。

板垣版の女性受けしない印象の藤巻と違い、意外なほど女性に縁のある新・藤巻十三。原作以上に「虎王」を物語のキーテクニックに置いた展開。なかなかどうして、こんな『餓狼伝』もありだと思わせてくれる。「碇谷式」、侮るなかれ。

*1:プロシーンで活躍する選手を「実写ユニット」として撮影し、アクションの参考や動きの描き起こしに活用しているようだ。

『響け!ユーフォニアム3』2話のキャットウォーク

「信頼」という点でこれほど安心感に満ちたシリーズもないだろう。『響け!ユーフォニアム3』は京都アニメーションの表現力と精密さにおいて、ソフィスティケートされた技の光る作品だ。「久美子3年生編」である今作の肝は、強豪校から転校してきた新たなユーフォニアム奏者・黒江真由。彼女に対する処遇やかかわり方が大きく物語を揺るがすことになるのだが、アニメはいかなる描写で「黒江真由」という人物に臨むのか、原作を読んだときから気になっていた。

感心したのは石原立也監督が絵コンテ・演出を務めた第2話「さんかくシンコペーション」のBパート、体育館での一幕だ。

サンライズフェスティバルの練習を体育館2階のキャットウォーク(ギャラリー)から見守る久美子と真由のシーン、じつは部分的に設定が変わっている。まず練習場所がグラウンドから体育館になっており、真由の着ている体操服も原作では「買ったばかりの体操服」とあるように北宇治のものだったはずだが、おそらく異物感、あるいは“異邦人”な意味合いを高めるためだろう、清良女子の体操服姿のまま。

そこへパート練習が始まると告げにくる“体で”わざわざやって来るのが久石奏だ。そのカット内で一瞬だけ真由の方へ視線を向ける芝居が入る。セリフにもある通り、久美子と自分の関係性をアピールしつつ、真由へ小さな牽制を行っているのだろう。面白いのはこれが「キャットウォーク」で行われていることだ。川島緑輝が恒例の動物シリーズで奏を「猫って感じ」*1と評しているが、作中の表現を考慮した、まさしく猫のような警戒心が漏れ出た芝居といえる。

また、固定されているタラップを使ってキャットウォークから降りる場面を描くのもアニメでは珍しい。自然に舞台を下へ移す必要があったとはいえ、わざわざタラップを使ったのは、奏と真由の会話の微妙な危うさを示すためかも知れない。通常なら大して危険でも何でもないが、足を踏み外したり、滑ったりする可能性もある。そんな極小のリスクを孕んだ会話をタラップという装置で比喩的に見せておく、深読みするならこんなところだろうか。

舞台装置を有効活用している点でいえば、釜屋すずめが姉を慕うあまり、暴走気味に直談判を決行した体育館脇のスペースも見逃せない。

石原立也回らしい身振り手振り(すずめは石原監督好みなが気がする)も楽しく、久美子の気苦労が窺い知れるが、ここに「物置」があることによって落語でいう「サゲ」に近い効果を生んでいる。本来心に留めておくべき感情を、あろうことか部長に直接開陳してしまう。要するに自分の意見を「収納しておけない」わけだ。久美子はそんなすずめの勘違いを解き、つばめの言うことをもう少し信じてあげてと優しく諭すが、「さんかくシンコペーション」はこうした「信頼」を巡るプロットで構成されている。そのクライマックスが久美子にとって特別な存在である高坂麗奈を照らす光だったというのは、最早必然と呼ぶほかない。メッセージ性の高い、象徴的なシーンだ。

京都アニメーションの表現力とそれを十全に生かす原作への解釈力。キャットウォークのくだりはほんの一例に過ぎないが、自分にとって信頼すべき一例だった。真由をみる奏の視線のような発見が、まだまだあるに違いない。

*1:アニメ第3話。原作では「甘え方をよく知ってる飼い猫みたいな感じ」。

話数単位で選ぶ、2023年TVアニメ10選

歳末の慣例行事、年の瀬のアニメブログ企画「話数単位で選ぶ」に今年も参加。干支が一周しても、企画はつづくよ、どこまでも。企画主旨・集計はいつもお世話になっている「aninado」でぜひ。

以下、簡易コメント付きでリストアップ。

■『お兄ちゃんはおしまい!』第1話「まひろとイケないカラダ」

脚本/横手美智子 絵コンテ・演出/藤井慎吾 作画監督/今村亮

ちょっとアブノーマルな性転換モノの原作を藤井慎吾監督がアニメ化。盗撮風構図の多用、男→女への変身と画面上の意味を込めた二重”境界”のギャップ、フェティッシュでコミカル、あの驚きのエンディングへ突入する流れも初回ならでは。文句なし本年度ベスト第1話。

 

■『トモちゃんは女の子!』第8話「夏祭りの夜/二人の距離感」

脚本/清水恵 絵コンテ/小林一三、駒宮僅 演出/塚田拓郎、駒宮僅 作画監督/駒宮僅、谷口元浩、高星佑平、中和田優斗、二宮奈那子、赤尾良太郎 総作画監督谷口元浩

淳一郎が智への感情の変化を自覚する夏祭り、その心情の変化に敏感なみすず視点で進行する後半という構成もいいが、Bパートの主役は数々のモチーフを駆使し、叙情的なレイアウト、ライティングに個性を感じさせる演出の瑞々しさだろう。これほど際立った仕事をする駒宮僅とは何者か。要注目のひとりだ。

 

■『ツルネ -つながりの一射-』第12話「繋がりの一射」

脚本/横手美智子 絵コンテ・演出/山村卓也 作画監督門脇未来 総作画監督/丸木宣明

清冽な試合会場の空気、ピンと張り詰めた極限の緊張感。全神経を次の一射に集中させる、圧倒的な描写力と画面の張力。「繋がり」をテーマに共鳴した皆の思いは、京都アニメーションを取り巻く世界そのものだったようにも思える。暗く鈍い感情に支配されていた二階堂永亮の”解放”はその象徴だったのかも知れない。

 

■『スキップとローファー』第6話「シトシト チカチカ」

脚本/米内山陽子 絵コンテ/篠原俊哉 演出/平向智子 作画監督/天野和子、小島明日香、田中未来、中山みゆき、斉藤和也、岩崎亮 総作画監督/梅下麻奈未

美津未と志摩聡介のギクシャクをどんより重い梅雨の空模様に落とし込み、紫色の空に湿度の上がった恋模様が走り出す。ついに美津未の物語が動き出すのか、そんな期待と予兆を感じさせるラストシーンの余韻が堪らない。篠原俊哉恒例のプロップ、ポッキーも見どころ。

 

■『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』第11話「大人と子供の違いって、なに?」

脚本/村山沖 絵コンテ・演出/小林敦 演出協力/廖程芝 作画監督/井川典恵、栗原裕、明滝吾郎、岡崎滉、槙田路子、須川康太、矢永沙織、佐々木啓悟、高妻匠 総作画監督/井川典恵

実像と鏡像の間を彷徨う橘ありすによる、都会の中の「鏡の国のアリス」。非常に手の込んだ反射や映り込みが印象的に配置され、金魚まで出てくるとさながら押井守の世界に思えてくるが、そこはアイドルマスター。どこぞの迷宮物件とは違い、救いの涙も、優しさもある。一安心だ(?)。

 

■『名探偵コナン』第1089話「天才レストラン」

脚本/浦沢義雄 絵コンテ/加瀬充子 演出/吉村あきら 作画監督/津吹明日香、牛ノ濱由惟 作画監修/須藤昌朋

「駄菓子のすもも漬」「思い上がり」「オムライスの死体」など、のっけから理解を拒む謎のキーワードが頻出し、「地獄の特製お子様ランチワールド」と名を変えた浦沢ワールドが展開されるアニメオリジナルエピソード。白昼夢に襲われるかのような不可思議きわまる話にもかかわらず、キレの良いアクションが繰り出される豪勢なパートもあり、さらに混乱すること請け合い。『名探偵コナン』の懐の深さをあらためて思い知らされる一話だ。

 

■『呪術廻戦 懐玉・玉折/渋谷事変』第41話「霹靂-弐-」

脚本/瀬古浩司 絵コンテ・演出/土上いつき、伍柏諭、山崎晴美 作画監督/山﨑爽太、矢島陽介、石井百合子、青木一紀

以前から作画好きを公言している原作者・芥見下々の器を借りた宿儺vs魔虚羅の一大決戦は、今年一番といっていい作画回となった。呆気にとられるほど膨大な表現の洪水であり、原作以上に破天荒に描かれた宿儺の呪術はTVアニメの臨界点だったかも知れない。また、死地に向かう七海建人で引く静けさもいい。動と静、それぞれについて回る「死」の気配。『呪術廻戦』の醍醐味はそこにあるのだから。

 

■『陰の実力者になりたくて!2nd season』第7話「大切なもの」

脚本/加藤還一 絵コンテ・演出・アクション作画監督/中西和也 作画監督/陳達理 総作画監督/飯野まこと

本シリーズにおいて、中西和也監督はシャドウであり、アルファだ。全話コンテの達成、アクション作監、演出の兼任など様々な責任を負いながら、同時に個性のバルブも開く。7話は「特定の登場人物と観客が共有する秘密」のすれ違いが一度ピークに達する回。落ち込むアルファのかわいらしさ、空回りするシドの必死さと情けなさ。笑いあり涙あり、そこに中西和也あり。藺相如もびっくりの「完璧」だ。

 

■『MFゴースト』第8話「音声カウント」

脚本/稲荷明比古 絵コンテ/高橋成世 演出/安藤健 演出チーフ/濱田翔 作画監督佐藤哲也、長谷川圭、石井しずく 総作画監督恩田尚之坂本千代子、油井徹太郎

原作者をして「嫉妬してしまうレベル」と評された恩田尚之のキャラクターデザイン・作画力と目の離せないレースシーンの相乗効果が素晴らしかった本作。第8話は伝説のダウンヒラーを継ぐ男・片桐夏向渾身のコーナリングをノリのいい劇伴、スーパースローで盛り上げる演出のアドレナリンが一気に増幅。とくに「ヤジキタ兄妹」をオーバーテイクするパートは格別の仕上がりで、解説・実況のテンションが視聴者に乗り移ってくるようだった。

 

■『川越ボーイズ・シング』第8話「いつかのアイムソーリー」

脚本/川越学園文芸部 絵コンテ・演出・作画監督・原画/武内宣之

練習中に突然強盗が乱入してくるギャグのような前回の流れから、何故だか武内宣之回が降って湧いてくる。違うアニメを観ているのか?と疑いたくなってしまうくらい、凄まじい隔たりに困惑してしまったが、スタイリッシュなトメや超アップを使ったアヴァンギャルドなカッティング、アオリの切れ味は最高で、頭に大きなはてなを浮かべたまま観る至高の武内回という体験はおそらく二度とないだろう。サブタイトルがやたらと格好良いのもポイントだ。

他、候補としていた話数の一覧。

■『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』第7話(なんで春日影やったの!?)

■『事情を知らない転校生がグイグイくる』第4話(原作に対するアニメ的足し算)

■『天国大魔境』第10話(五十嵐海&竹内哲也回)

■『ONE PIECE』第1072話(ギア5に石谷恵)

■『英雄教室』第2話(中野英明のパロディ炸裂)

■『久保さんは僕を許さない』第11話(沖田博文デート回)

■『ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと〜』第4話(大島克也回)

■『薬屋のひとりごと』第4話(ちな&もああん回)

■『葬送のフリーレン』第8話(言っておくけど私、強いよ)

2023年は話題作が10月期スタートの新番組に集中した向きもあったが、蓋を開けてみると、あまり注目していなかった『MFゴースト』が尻上がりに調子を上げていき、穴馬的に盛り上げてくれたり、寿門堂制作の『ポーション頼みで生き延びます!』のチープさに逆説的な魅力を感じてしまったり、大粒小粒揃ってこそTVアニメだと深く感じ入ったクールだった。また、『百姓貴族』『オチビサン』『幼女社長R』といったショートアニメ群も楽しく、例えば『幼女社長R』21話「でんとう」は『美味しんぼ』の海原雄山を模したキャラを「息子」である大塚明夫が演じていた。リストには挙げていないが、こういったアニメも記録に残しておいた方がいいのかも知れない。

個人的に奇妙な執着を覚えてしまったアニメでいうと、『Buddy Daddies』がそうだ。殺し屋ふたりの子育て・バディもので、アイディアはいいが肝心の殺し屋部分をイマイチ上手く扱い切れていない。そんな風に思っていたのだけど、銃撃戦を『DARKER THAN BLACK』の岡村天斎に任せる差配であるとか、ロバート・ベントン監督の名作『クレイマー、クレイマー』のオマージュであろう繰り返し登場するフレンチトースト、P.A.WORKS出身の大東百合恵が手掛けるエンディングアニメーションの愛らしさなど、語弊はあるが欠点に目を瞑って贔屓したくなるアニメだったのだ。

飛び抜けていい話があるわけでなく、アイディアやテーマの結実には疑問も残る。しかし執着したい作り手と要素がある。そういう珍しいタイプの記憶に残しておきたい作品になったなと思う(『クレイマー、クレイマー』が思い出の映画だったということも多分に関係している)。

それでは、この先もいろいろなアニメに出会えることを願いつつ。来年もTVアニメを観よう!

『めぞん一刻』89話の名脚色

長くテレ玉で再放送中の『めぞん一刻』が佳境を迎えている。

響子を巡るライバルの三鷹が大いなる勘違いによって明日菜とめでたく婚約し、これで一段落かと思いきや、お次は五代の彼女(だと自身では思っている)こずえの活躍(?)でまた一波乱……というところから始まるのが89話「結ばれぬ愛! 五代と響子今日でお別れ?」だ。

この話数にはシリーズの中でも一二を争うであろう、素晴らしい脚色がある。それは一刻館の庭先で五代がこずえにされたキスの弁解を必死に行う場面だ。

五代の「単純なテ」を警戒しながら、横目でちょっと可哀想なものを見るようなニュアンスの響子。この後に行う“いたずら”を想定した表情芝居であり、原作と比べるとアニメ版の解釈がより響子にフォーカスしたものだと分かる。

そして五代に目をつぶらせ、キスをすると思わせておいて、ほっぺたをつねる。何を期待していたんだと強制的に目を覚まさせるわけだが、音無響子音無響子たる所以は、ここからだ。

原作では目をつぶった五代の次のページで、いきなり響子からキスされている大コマに移るという“唐突感”で読者を驚かせているのに対し、アニメはもう一度“いたずら”を成功させるため、音で勘付かれるわけにはいかぬとばかりにサンダルを脱ぎ、まじまじと五代の顔を眺めてから響子が背伸びをする。やろうと思えば原作と同じく「不意を打つ」見せ方で通せたはずだが、おそらくアニメの意図としては、五代ではなく響子の側に寄り添い、その様子を丹念に描写することで面倒くさいだけではない、音無響子の愛らしさ、新たな魅力を引き出したかったのだろう。作り手の作品への入れ込みが伝わってくるようだ。

カット割りもいい。五代が引っ掛けようとした際、響子の背伸びをするカットがあったが、今度は上履きを脱いだ状態で足元を見せている(原作では脱いでいない)。いわばその「差異と反復」を最大限活かした格好であり、履物を脱ぐ、つまり「建前と本心」という意味合いにも含みをもたせた作りがじつに憎い。さらに細かいのは、突然のキスに呆然と立ち尽くす五代をよそに、一刻館へ駆け込む響子の上履きを置く芝居だ。サンダルを持ったまま部屋に入ってしまうほど熱に浮かされているわけでもなく、一定の冷静さを保っている。その客観的な視点が嬉しさ満点の五代とのギャップを生む。手抜かりのない演出の気配りだ。

作画監督は毎回抜群の修正が光る中嶋敦子、絵コンテ・演出/澤井幸次。『めぞん一刻』の終盤は澤井、鈴木行チーフディレクター吉永尚之がローテーションで入魂といってもいいだろう見せ場のある回を作っており、それは後の『機動警察パトレイバー』や『らんま1/2』に繋がっていく。人気作の監督を務めているにもかかわらず、なかなか語られる機会のない作り手のすぐれた仕事。これからも折を見て書いていきたい。