boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『ミラクル☆ガールズ』再見 「曇りのちみかげ」

先週、出先でたまたま入ったハードオフに大量のアニメVHSが並んでいた。保存状態はまちまちだったが、'80年代OVAを中心にマニアックなタイトルがズラリ。その中に長年探していた*1ミラクル☆ガールズ』があった。

1993年に放送された『ミラクル☆ガールズ』は、『美少女戦士セーラームーン』と同時期に「なかよし」で連載されていた秋元奈美の人気原作をアニメ化した全51話のTVシリーズ。作風の変化が激しく、ぴえろ魔法少女シリーズで実績のあった安濃高志が17話まで監督を担当していたが、諸々の事情により降板。監督不在の期間を経て、30話から『YAWARA!』のときたひろこに監督を依頼、まったく毛色の違うアニメになった。言わば「安濃期」「監督不在期」「ときた期」に分かれているところが大きな特色。ここでは「安濃期」の話をする。

アニメ版は原作の第3部(第5巻)にあたる「倉茂先輩のロンドン留学」からスタートするのだけど、第1話「曇りのちみかげ」をいきなり観て、世界観や人物設定に正しい理解を持つことのできた視聴者はいったい何人いたのだろうか、と思うほど説明がなく、フォローもない。誤解を覚悟で書くと、それが素晴らしいのだ。

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アバンタイトルは雲の隙間から覗く月、異国風の城、月光に照らされ芽を出す不思議な花のシーン。次に分子模型のブロックを積み上げるみかげ、「おはよう」と話しかける双子の姉・ともみの2人が登場する。みかげは天井に貼られた倉茂の写真までブロックが届いたら……と心の中で密やかな決心を固めているのだが、分子模型もその使い方もすべてアニメオリジナル(城、不思議な芽は2話以降の伏線となるカット)。最初から原作を外した入り方をしているわけだ。そして慌てて玄関から出ていったと思ったら、テレポートして自室に戻って忘れ物を拾い、ふたたびテレポート。そこからオープニングだ。驚かされるのは第1話を通して超能力に対する説明は一切されず、能力のことをだれが知っているのか、どういった条件で能力が使えるのか、分からないまま。視聴者は映像で描かれていることを手掛かりに推測するしかない。つまり安濃高志ファンは、説明台詞やナレーションに頼らない作家性の強い作品であることが超能力の扱いひとつ取ってみても分かるのだ(逆にいうと"その手"のファン以外からは不評を買ってもおかしくない作り)。さらに刮目すべきは詳細が明かされないうちに、能力を応用的に利用した演出を試みていること。

ともみはボーイフレンドの野田、その友人の山岸、みかげの想い人である倉茂の4人でハンバーガーショップに立ち寄って雑談をする。そこで山岸が倉茂の留学のことを切り出し、知らされていなかったともみは動揺してしまう。その動揺は感応先であるみかげにも伝わり、みかげは不審に思う。ともみは家に帰ってからもテレパシーをガードし、留学の件をみかげに知られないよう努力するのだが、ポイントとなるシーンはその後だ。

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ともみの入浴中、みかげは母親からシャンプーを持っていってあげてと頼まれる。そうして浴室に行き、ドアを開けた瞬間、漏れ出る湯気と一緒に倉茂の留学を知ってしまう。ともみの緩んだ心も出てしまっていたのだ。ショックを受けたみかげはせっかく積み上げてきた分子模型を崩してしまい――。

テレパスである双子の設定を生かした演出を披露したこのシーン、湯気とテレパスを絡めたアイディアに感心してしまうが、肝はともみのリアクションだ。何の台詞やモノローグもなく、ただドアの方を見つめて寂しげな表情を浮かべているだけ。なのに、漏れ出た自分の心をともみは分かっているんだなと読み取れる。加えて、みかげを本当に心配しているんだろうな、という気持ちも伝わってくる。言葉を必要としない、繊細な心情表現だ。以前にも、こういう静かで緊張感に満ちた方法で作られたアニメはあった。杉井ギサブロー総監督の大ヒット作で、奇しくもときたひろこの監督作でもある『タッチ』('85~'87)が代表例だろうか。『ミラクル☆ガールズ』と『タッチ』のスタイルを比べて、決定的な違いを見出すのは難しい。数少ない台詞と数少ないショットで構成され、キャラクターが演技をしていなくてもゆっくりとしたカメラワークや風景で心の中の動きを表現しようとする。敢えて違いを抽出するとしたら、カメラワークによって情感を生むか、ある象徴(小物、天候など)に感情を託すか、という様式的なところに差異を見つけることはできるかもしれないが、それだってケースバイケースだ。もっと大きくストーリーとキャラクターの心境をみつめる姿勢に……と深堀りしてもいいのだけど、これは収まりがつかない。別の機会に語ろう。

話を戻して、留学のことを知ってしまったみかげは、翌日から倉茂を避けようとする。テレパスで繋がっているはずのともみも満員電車の中で離ればなれになり、倉茂が同じ車両に乗っていると分かったら、先に違う駅で降りてしまったり、取り繕った笑顔が痛々しく、倉茂に対する複雑な感情がみかげに渦巻いていることが分かる。一方でメタファーの切れ味は鋭さを増す。屋根に取り付けられたパンタグラフと架線の摩擦、電車と駅の持つ接続・分断の意味性など、今日の生活感を重視したアニメーションに通じる表現が既に見られる。

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それでもともみは、何とか倉茂の前にみかげを立たせようと無理矢理引っ張り出すが、ともみの小指を使ってテレポートして消えてしまう。みかげはフラスコに何かの溶液を入れてひとり考え込む。このシークエンスは、倉茂がさも当たり前のようにテレポートを見ている=超能力を知っているという情報の提示から、フラスコに反射した自分の心を問い直すみかげの佇まいまで、ストーリー上の情報、演出密度が非常に高い。にもかかわらず、原作通りともみとみかげの担任教師である影浦の結婚が表面上進行しているのだから、混乱なく観るためには落ち着いて整理する必要があるかもしれない。

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しかし「曇りのちみかげ」の"安濃高志作品"らしさを語るならば、ここからだ。

その夜、ずっと悩んでいたみかげは起き出して、床に散らばった分子模型をもう一度積み始める。いちにいのさん! の掛け声や腕まくりする姿は可愛らしい。ただそれ以上に大切なのはひとりで考え込み、自問自答の末に答えを出す作劇だ。個人的にこれは『魔法のスター マジカルエミ』('85~'86)の「最終回3部作」*2に重なるように思える。『エミ』の主人公・舞とみかげの葛藤は異なるものだし、助走の時間も答えの内容も違う。それでも重なって見える理由は、演出に拠るところが大きい。

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「曇りのちみかげ」は何度も何度も雲間に浮かぶ月のショットを使い、抽象的なイメージを高めているが、天井に倉茂の写真を貼っていたように、序盤は上向きの表現が目立っていた。それが留学の件を知って以来、塞ぎがちになり、支配的な俯いたイメージで映像が構成され始める。下方向に意識が向くわけだ。そこから雲が晴れて顔を出す月のショットと、心の霧が晴れたみかげの表情を繋げることで転換する。つまり映像表現と心、その晴れ方が『エミ』と重なるわけだ(「新たな芽」が出るという共通点もある)。 

"晴れ"の日は続き、この後に影浦の結婚式が盛大に開かれる。紙吹雪の舞う中、幸せそうな新郎新婦だと思うのも束の間、パーティ会場にシーンが移ると、野田はともみに「みかげは大丈夫か?」と訊く。「大丈夫って思おうとしているみたい」と答えるともみに「あいつの心を読んでみたのか?」と続けて問いかけ、ここで倉茂だけじゃなく野田も能力を明かされたひとりだと分かるのだが、対するともみの詩的な言い回しがそれを忘れさせてしまう。

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真っ白だったよ。すごく透き通ってた。

その頃、みかげと倉茂は会場の外にあるバルコニーで話し合っていた。倉茂の留学を祝い、努めて明るく振る舞うみかげに、倉茂は懐中時計を手渡す。このシチュエーションはとても少女漫画原作アニメの初回とは思えない。最終回だと言われても納得する、そんなムードなのだ。そして見つめ合うふたりを見つめる、語り部としてのともみ。

みかげと倉茂先輩が笑っていた。空は厚い雲に覆われているけど、みかげの心の中は雪の結晶みたいだった。波のうねりが高くなった。

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みかげと倉茂、ともみとそれぞれを瞳、懐中時計、ガラスに反射させたカットが特徴的で素直に見るなら誰の心に誰が映っているのか、示したものと言っていいのだろう。それと気になったのが「雪の結晶」という言葉だ。

安濃高志作品を振り返ってみると、雪の結晶を視覚的に盛り込んだ『魔法の妖精ペルシャ』('84~'85)の異世界ラブリードリームがまず浮かんでくる。そして思考の飛躍が必要だけれど、結晶を構造する分子、そのイメージが含まれる作品もある。『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』('86)だ。『蝉時雨』ではアルバムを開いて、昔の写真を見ているとき、机に飾られた鏡が輝き出し、分子モデルのような光が映される。これはトポが舞を想って一時的に魔法をかけてくれた解釈や、あるいはあの夏の日の思い出が蘇ったほんのわずかな時間といった様々な読み方があり、分子モデルが使われた理由も、じつは深いものではないのかもしれない(記憶の連なり、結合いう絵にも見える)。

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とはいえ、『エミ』以降、数年ぶりとなるTVシリーズの監督作、その第1話にアニメオリジナルの小道具として分子模型を登場させ、最後に「さよなら夢色マジシャン」を彷彿とさせる雪を降らせているのだ。ついついモチーフの連続性に感ずるところあって書いたみたけれど、まあこれは横道だ。本来、もう少し手掛かりを得て深めていきたいテーマ。確かなことがあるとしたら、ともみの語った「雪の結晶」を含め、このラストシーンには安濃高志の詩情が横溢しているという事実だ。それは寡黙ながらも鮮やかに、演出が語っている。 

クレジットについても書いておく。「曇りのちみかげ」は絵コンテを小林常夫が切り、安濃高志が演出を担当している。すなわち、実際には何処までがコンテの領分なのか、正確に判断することはできない。しかしここまで濃密なフィルムに仕上がっている以上、コンテを任せる段階で念入りに確認したか、上がりにかなり手を入れているか、どちらかだろうと想像する。仮に修正していたとしても演出的性格の似ている小林常夫*3の絵コンテを膨らませる形で行っているように思えるし、それも機会があれば確かめたいところだ。何にせよ、これが圧倒的な作家性を持ったエピソードであることに変わりはない。ファン冥利に尽きるといってもいい。シリーズを各話単位で眺めても、比類するものはごくわずか。まだまだ観直して、安濃高志を見つけたい。

 

ミラクル☆ガールズ オリジナルサウンドトラック

ミラクル☆ガールズ オリジナルサウンドトラック

 

*1:2016年にキッズステーションで放送されたが、未だにDVD、Blu-ray化は発表されておらず、配信も行われていないため、録画以外ではVHS、あるいはLDでのみ鑑賞が可能となっている。

*2:36話「北風にひとりぼっち」、37話「ためらいの季節」、38話「さよなら夢色マジシャン」のことをファンは最終回3部作と呼んだ。

*3:後年の監督作になるが、『英國戀物語エマ 』の日常描写、生活感に軸足を置いた作りは安濃作品と近いものがあり、『ミラクル☆ガールズ』と比較してみるのも面白い。

『どんぐりの家』と安濃高志

アニメーション映画『どんぐりの家』を久しぶりに観た。以前に観たのは何かの上映会だったはずで、もう20年近く鑑賞する機会がなかったのだけど、安濃高志監督の演出について確認したいことがあって視聴。細部まで観直すことができた。

『どんぐりの家』は山本おさむの同名漫画を原作とした映画で、山本自身が総監督・脚本を手掛け、安濃高志は監督と絵コンテ(共同)を担当している。物語は田崎茂の妻・良子がろう重複障害を持つ圭子を出産するところから始まり、同じく重複障害の子を抱える家族、ろう学校の教師など、重複障害にかかわる社会的環境を様々な人々の視点で描き、共同作業所「どんぐりの家」の設立、運営に携わっていく姿を具体的に説明していく。アニメーションではあるが、フィルムの後半は県のろうあ協会理事の方をはじめ、「どんぐり」の支援者が当時のことを振り返って語る実写パートもあり、ドキュメンタリー映画の側面も持っている。

原作者が総監督と脚本に立っているだけあって、映画も概ね原作の流れを踏襲する形で作られているが、驚かされるのは何気ない風景に潜む緊張感だ。例えば、映画の冒頭部分を比べてみよう。原作は圭子の母である良子が出産を終え、看護婦と話したところでシーンが終わっているのに対し、映画は茂が仮死状態から蘇生した圭子の容態を聞き、良子のもとへ行くまでの様子を克明に描写している。茂は極めて静かだ。騒がしい受付を通り、エレベーターに乗り、他の夫婦や赤子の脇を通り抜け、良子の病室のドアをノックする。マルサインを出してようやく笑顔を浮かべる茂は良子の隣に座り、窓ガラスに息を吹きかけて「圭子」と書く。良子の手を握った茂の後ろでは、圭子の名前から水滴が垂れて崩れている……。

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この冒頭の場面で茂は一言も喋っていない。仮死状態から回復した我が子のことを喜ぶどころか、神妙な面持ちで黙ったまま歩いているのだ。新生児仮死による後遺症の心配、未来への不安、そうした悪い予感が茂の中に渦巻いている。それを言葉にしないまま、点滅する信号機と無言に潜ませるという張り詰めた演出。もしかしたら、圭子が声で伝えられないことへの伏線でもあったのかもしれない。個人的にここで脳裏をよぎったのは、『魔法のスター マジカルエミ』の特典映像として制作された「雲光る」だった。

監督、脚本・安濃高志で2002年に発表された『魔法のスター マジカルエミ 雲光る』はTVシリーズから時系列を遡り、主人公である香月舞の弟・岬が誕生する前後の様子を切り取った15分弱の短編だ。両作の風景はよく似ている。出産、雨、何度も開き閉じられる扉、そして映像の寡黙さ。『雲光る』はTVシリーズの主題歌が流れるシーンこそあれ、それだけだ。音楽は付けられていない。雨音の響くこのフィルムに収められているのは不在の緊張感、変わらないようで変わっていく日常、少しずつ成長する舞の《記憶》。安濃高志的としか言えないのは、自転車の補助輪を外すという(舞にとって)大きな出来事も、人物のいないカットで観客に見せておくに留まり、劇中で舞がそれを口にすることはない。穏やかに過ぎていく思える時間の中に、誰もいない不在の瞬間があり、成長の証がある。その風景を淡々と《記憶》しているのだ。

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『どんぐりの家』は『雲光る』より説明的ではあるものの、「説明できないこと」の艱難辛苦から目を背けず、光を向け描き出した作品だ。田崎夫妻と圭子の次に登場する柏木親子を見てみよう。

圭子と同じく重複障害を持つ柏木清。その母親は耳も聞こえず、話すこともできない清に疲れ果て、一時は身を投げようとするところまで追い詰められる。しかし跨線橋の手すりの上に清が並べた石を、清と同じ目線で眺めたとき、訴えていることに気づく。清は夕焼けの美しさを石にも見せようとしていたのだ。それを分かった母親は清が心の中に綺麗なものを持っていると分かり、もっと清と話そうと決意する。ここで初めて清のモノローグが入り、母親の理解が正しいことが明かされる。秀逸なのは、車両が通る度、揺れて落ちそうだった手すりの石の意味が反転し、「心の震え」へと変わっていることだ。ろう学校の先生に「綺麗事ばかり言う」と言っていた母親が、「綺麗なもの」を目の当たりにし、変化する心の内を石の揺れ/震えという描写で何の不足もなく語りきっている。

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この非常に細やかな心情の語り口には安濃高志を感じずにはいられない。身の回りにある何か、橋の上にただ転がっている石であっても登場人物を象徴するモチーフになり得る。それを実践してみせた感動的なシーンだ。

舞の補助輪と同じく、成長を分かりやすく示しているのが、大きくなった圭子の初潮。突然血を見て動揺させないため、良子は予め自分のありのままの姿を見せて学ばせる。やがて圭子にもその日がやってくるのだが、ストーリー構成が上手く、表現も鮮やかだ。場面としては「どんぐりの家」の動きが活発になり、光明が見え始めた次のシーン。

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遠くを見つめる良子のカットからの飛行機雲のモンタージュ、それを見上げる圭子へとつながっていく連続性のある映像で表現されているのは、何かが出来るという予感と青空に残った"跡"だ。良子が見せていた"跡"と飛行機の航跡が圭子に訴えかけ、「大人」に向けて圭子はひとり駆け出す*1

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飛行機雲は、前半に良子が圭子に限界を感じていたシーンにも出てきており、このときは画面に何本も走る電線と交差する格好で、良子の心を突き破っていくかのような映像になっていた。ある意味ではネガティブなイメージを与えていた飛行機雲を、今度は逆に肯定的なモチーフとして扱う。表現の意味合いを反転させる、柏木清の石と同じことを長いスパンでやっているのだ。繊細で念入りな演出だが、圭子だけでなく、母親であることから逃げたいと願っていた良子が、全霊をかけて「圭子のお母さんでよかった」と述懐するまで育んできた愛情にも飛行機雲のモチーフが掛かっている。ひとつのモチーフを親子で共有し、象徴するものとする。これは安濃高志のスタイルであり、また本作ならではの手法だとも言える。

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そして、茂を含めた田崎夫妻と圭子の関係に使われているのはジャングルジムだ。幼い圭子が他の子と違う、と茂が良子に話すシーンでは圭子に回転ジャングルジムの*2の影が落ちている。黙々と砂を掘り続ける圭子に、「他の子」たちの遊ぶ影が圭子を捕らえるように落ちるという不穏な画面。ジャングルジムは田崎親子にとって重いモチーフだったのだ。

しかし圭子が中学部に上がる頃、それは変わったのだと語られる。月の綺麗な夜、圭子は髪型を好きだったポニーテールにして、帰宅した茂の前に恥ずかしがりながら出てくる。舞台は公園に移り、親子水いらず箱型ブランコに乗りながら、良子は圭子が電車の乗り換えをして一人で通学することを明かす。つまり、自立した社会生活を送る準備が整ったサインだ。

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少しずつ親元を離れていく圭子を寂しく思い、ずっと一緒にいたいと泣いてすがる良子を茂は優しく抱き留めてやる。そんな二人に対して圭子は軽やかにジャングルジムを登り、大きな月をバックに笑顔で手を振る。もうあの日の影が圭子に落ちることはない。それどころか、見上げるほどに成長した。クライマックスに相応しい美しい光景だ。「球体」ジャングルジムのモチーフを、月という大きな球体とジャングルジムで迎えて昇華させ、影ではなく光を当てるきめ細やかな映像演出。アニメーション作品として高い評価を受けた所以は、こういった豊かな表現にもあるのだと思う。

最後に、Wikipediaやデータベースに掲載されていない作画、演出スタッフのクレジットを書いておく。

コンテ/安濃高志小林常夫佐藤卓哉小林治

レイアウト協力/荒川真嗣、大竹正枝、芝山努、山田みちしろ

演出助手/矢野篤

作画監督柳田義明藤森雅也、生野裕子、山口博史、関根昌之

原画/高野登、田中平八郎、前田康成、櫻井美知代、渡部ユウコ、津幡佳明、羽根章悦、千葉ゆみ、湯浅政明、清水洋、鈴木満、宇田川一彦、関口雅浩、山川浩臣、服部一郎、野崎恒仲、加来哲郎、村田充範、柳野龍男、桑野佳子、中村紀、才木康寛、

動画チェック/弓納持幸子、原鐵夫、岸誠二

 

*1:この場面は人物芝居の密度も高く、原画が気になるパートのひとつ。

*2:製作した日都産業によれば、遊具の正式名称はグローブジャングル。

新海誠が描いてきた雨――『天気の子』公開に寄せて

新海誠監督の最新作『天気の子』の公開がいよいよ目前まで迫っている。

予告編を見ても明らかなように『天気の子』のテーマに「雨」が深く関係しているのは間違いない。連日降り続く雨と“100%の晴れ女”というキーワード、それが世界をどんな風に動かしていくのか、封切りが待ち遠しい。

ところで、新海誠監督は「雨」に並々ならぬ思い入れを持つひとだ。その結実した形のひとつが様々な雨によって移り変わる心情を細やかに描いてみせた『言の葉の庭』であり、「雨と新海」の極北といってもいい。

では、新海誠がいつから雨を降らせてきたのかというと、古く自主制作時代からだ。

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 季節は春の初めでその日は雨だった。だからの彼女の髪も僕の体も重く湿り、辺りは雨のとてもいい匂いで満ちた。

1999年公開の短編アニメーション『彼女と彼女の猫』はこんなモノローグで始まっている。ブレてないな、と思わせるのは、ただ雨が降っている状態を描くのではなく、雨を通じて季節感と心の動きをに繋がりを持たせていることだ。これは20年経った今でも変わりがない。

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新海誠の名を一躍有名にした2002年の短編SFアニメーション『ほしのこえ』においても雨は重要な役割を果たしている。ミカコとノボルがコンビニで買ったアイスをバス停で食べようかという場面、二人は雨に打たれながらバス停に行き、雨宿りをする。ノボルはミカコが地球を離れてからも雨のバス停でミカコのメールを読み、ミカコはシリウス星系第四惑星アガルタの調査中、突然降りだした雨にあのバス停の日を想う。雨と思い出の結びつき、雨に濡れた身体的感覚、匂いなどの雨にまつわる五感性とある種の官能性(脚フェチ的な視線)、『ほしのこえ』で描かれた雨は『言の葉の庭』の原型になっている部分も多く、初期作にして「雨と新海」の関係は完成されている。

続く、初の劇場長編アニメーション作品『雲の向こう、約束の場所』(2004年公開)では雨が主役となるシーンは少ないが、第1部でタクヤとサユリが偶然会った日は雨が降っており、二人だけで話したことがない緊張からか、傘の石突や手元を弄るサユリの仕草はいじらしく、どこか『言の葉の庭』のユキノを思わせる。また雨音と人物が奏でる新海的な「間」の作り方も見どころ。

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3年後の第2部でもタクヤはマキと一緒に傘を差して歩くシーンがあり、空を見上げるヒロキに対してタクヤには雨が用いられていることが分かる。

前後して、この頃発表された『Wind -a breath of heart-』『はるのあしおと』各オープニング、サブカルチャー誌「新現実 Vol.01」掲載の短編漫画『塔の向こう』*1にも雨のモチーフは共通して見られ、特に駅のホームを描写するときには、必ずと言っていいほど雨の中。接続と分断が行き来する電車や駅と、登場人物の心模様を映像的に表現できる雨は相性がいいのだろう。

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そして2007年に公開された連作短編アニメーション『秒速5センチメートル』。

この作品に雨のイメージを持っている人は少ないかもしれない。貴樹が明里に会いにいく日、朝降っていた雨が次第に雪へと変わる第1話「桜花抄」、桜の花びらが舞う踏切のラストシーンが印象的な第3話「秒速5センチメートル」、桜と雪の映画であることに疑いはない。しかし移りゆく心と季節を描く中には雨の風景もたしかに残っている。

それは第2話「コスモナウト」の中盤、進路調査に悩む花苗が高台に佇む貴樹を見つけ、その帰り道、NASDA宇宙開発事業団)のトレーラーが通り過ぎるのを待っているシーン。花苗は「時速5キロなんだって」と何気なくトレーラーの運搬スピードのことを口にし、貴樹は不意を突かれたかのようにハッとした表情で花苗を見る。その後に土砂降りの雨が降ってくるのだ。

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このシーンは「ねえ、秒速5センチなんだって」と明里が言った「桜花抄」のファーストショット、冒頭と明確に重ねられている。水たまりに広がる波紋、明里を追いかける貴樹、貴樹の後ろを走る花苗、登場人物の関係性が対比的なショットによって示唆されているわけだ。

また二人を打った「コスモナウト」の雨は、コミュニケーションの断絶を表した雨でもある。雨に濡れても花苗は高台で貴樹から言われた言葉を思い出して束の間の幸せに浸り、貴樹は遠い宇宙の深淵にあるはずの世界の秘密を探す孤独な旅に思いを馳せる。

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ここには遥か彼方の惑星で降り出した雨にノボルとの思い出を胸に抱いたミカコ、『ほしのこえ』への目線もあるのだろう。物理的な距離の断絶とコミュニケーションの断絶、通じ合えない心と距離の関係を雨によって描き出している。それに雨だからか、花苗のブラ紐が外れかかった新海的サービスショットも健在。バス停のミカコを彷彿とさせる、ほんのりとした色気のあるカットだ。

そしてもうひとつ、『秒速5センチメートル』と雨を語る上で外せないのが、本編制作に先立って書かれたスケッチ小説の一篇「窓のそとの空」*2。六月、台風の朝、雨の電車に乗るのが嫌で学校をさぼった中学三年生の小川深雪を主人公に、小説の創作に思い悩む少女の心情と台風の目の中で広がる世界の輝きに打たれる在り様が瑞々しい掌編だ。

高層のベランダから空を見ながら、青は不安で悲しい色だ、と深雪は思う。青はこんなに遠く、こんなに高い。届くわけがないのに、私は手を伸ばしたくなってしまう。わけもわからず、でも目の前に横たわる圧倒的な時間と空間に身をすくませて、深雪は泣き崩れる。

届かないものに手を伸ばし、眼前に広がる圧倒的な光景に打ち震えて涙がこぼれる。これはどこからどう見ても完璧な、新海誠の情景だ。風景と人物が一体となって呼び起こす情動。それについて美術作品集「空の記憶」のインタビューでこんな風に答えている。

描きたいのは、《ただの風景》というより人間を含めた情景なんです。特にそれを意識したのは『秒速~』第2話「コスモナウト」の花苗です。あの中で花苗は、絶望的な恋愛をしていて最後までうまくいかない。そこだけ切り取るとすごく悲しい話なんですけど、一歩引いてカメラで観てみると、彼女はとても美しい情景の中にいるんですね。つらい状況にあったとしても、それは情景としてはすごく美しくて、そしてつらいと感じている彼女自身がその美しさを構成する一部であるということを描きたかった。人が美しい情景に含まれていることを救いとして描きたい、そう思ったんです。

花苗が美しい世界に囲まれた祝福された存在であるという感覚をビジュアルで見せたいというのは、絵コンテのト書きにもメモしてあり、技術的にも『秒速5センチメートル』はハイライトと影の境目に彩度の違う色を足してマッチングを向上させるなど工夫が凝らされている。雨と情景、美しい世界との一体感、その身体性を含め、『言の葉の庭』に至る道程に澄田花苗という少女は立っているのだ。

雨の描写で言えば、『秒速』以後の『ef - the latter tale』オープニング、長編アニメーション『星を追う子ども』でも見られる波紋、晴れ間に落ちる雨は継続的特徴と捉えることができるかもしれない。

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おそらく新海誠監督は、波紋が広がるという意味を特別なものだと思っている。雨粒が水面に物理的に作用して波紋を広げることが、人との出会いだったり、自分が世界といかに関わっていくかということへのモチーフとして位置付けている気がするのだ。そうして関係を結んだ世界が表情を変える一瞬の時間こそ、眩い光の射す天気雨ではないかと思う。雨は決して陰鬱な気分にさせるだけのものではない。画面をグレーに染めるのが雨の役割じゃない。そんな信念を感じさせる作品が、2013年5月31日公開の『言の葉の庭』だ。

反射光や環境光を彩色に取り入れることで浮かび上がり、一方で輪郭線と一体化する技術的アップデート。雨の日の出会い、雨と駅のホーム、天気雨が演出する日常の中の非日常、日差しにさらされて立ち上る水蒸気、様々な場所へ映り込む水紋、ありとあらゆるコンセプトで雨を描き、ビジュアルの密度を高めた「雨と新海」の集大成。

本作が過去作と違うのは、かつて背景と共にあった雨が前景化し、モノローグ主体だった物語がダイアローグへと移り変わっていることだ。コミュニケーションの断絶ではなく、心の触れ合いを雨という題材によってこと細かに表現する。それとミカコ、花苗と受け継がれてきた雨の日の身体性を自覚的に用いているところも大きな違いだ。

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もしかしたら、道に迷ってしまった二人の「雨宿り」というテーマも『ほしのこえ』へのアンサーフィルム的な側面を持たしているのかもしれない。あのバス停の雨宿りは切ない思い出を象る遠いものとなってしまったが、タカオとユキノは心をぶつけ合い、自分の足で歩き始めている。たとえあの雨宿りが仮初めの場所だったとしても、雨の日に邂逅した二人は雨に救われて、ふたたび歩き出すことができたのだ。そこに後ろ向きな思いや障害はない。ロマンチック・ラブの否定とは違う出口に雨が降り始めた。この方向へ歩くどころか全速力で走っていった作品が、雨にかわって隕石が降ってくるという一大エンターテインメント、まだ記憶に新しい2016年の長編アニメーション『君の名は。』だ。

言の葉の庭』でとことん雨を降らせた反動か、『君の名は。』の雨のシーンは瀧が山上にある宮水神社の御神体へ向かうときの雷雨やクレーターの底を歩く一連、エピローグの一部くらい。水煙、波紋といった新海的雨表現は見られるものの、全編を見渡すと隕石がはっきり見えるよう晴れた映画である印象が強い。

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ただし、エピローグの雨から雪へと変わっているシーンの繋ぎは「桜花抄」の天候を再現しており、季節の移ろいとすれ違いを連想させる、心を揺さぶった雨だった。再会が叶うかどうかという場面で『秒速』のニュアンスを差し込んでくるあたり、抜かりない。

最新作『天気の子』は予告を"予報"としていたり、「まるで世界の秘密そのものみたいに、彼女は見える」といった『言の葉の庭』の予告を意識するように、「これは僕と彼女だけが知っている世界の秘密についての物語だ」というセリフで予報が締められていたりと、もうずっと長い間語られてきた「雨」と「世界の秘密」を新たな切り口で語り直す映画ではないかと思う。

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タイトルに「天気」と付けているだけあって、天気雨のイメージが豊富。自然現象としての天気雨を描いてきた作家が今度は超自然的な力で天気雨を降らせるのか。光と雨のコントラストが生み出す新機軸の映像表現に挑戦した雰囲気さえ漂うが、変わらないものもある。

新海誠が降らす雨は、時に人との約束だったり、夕立のアスファルトの匂いであったり、巡っていく季節の中で何かを運ぶ、あるいは待つという現象的象徴だ。雨の雲間に射す光は美しく、澄んだ青空にもいつしか雲がかかり、雨粒が水面に落ちて波紋が生まれる。その波紋は心を動かし、世界を紡ぐ。それだけは変わらない、たしかなものだ。加えて雨に付随する身体表現。『君の名は。』では瀧が三葉と入れ替わる度に胸を揉むくらい吹っ切れていたが、『天気の子』もなにやら仕掛けてくる気がしてならない。ユキノの採寸シーンを超える新海的エロスをフィルムに焼きつけて欲しい。

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秒速5センチメートル 特別限定生産版 DVD-BOX

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*1:後に「雲のむこう、約束の場所」complete book、「新海誠Walker」にも収録された。

*2:秒速5センチメートル』DVD-BOXブックレットに掲載されている。

『シティーハンター2』17話の2人原画と一肌

『劇場版シティーハンター 〈新宿プライベート・アイズ〉』が封切りされた頃に書こうと思っていた『シティーハンター2』17話についてのエントリ。

それは以前、西村誠芳さんがこんなツイートをしていたことが発端だ。

性質の異なる原画が少人数で描いているため、絵柄やタイミングがシーン単位で変わり、誰が描いたのか一目瞭然だという現象は昭和~平成初期*1でよく見られた光景だった(量的には減ったものの、今でもある)。だから作画マニアだったり、特定のアニメーターを追いかけるファンには記憶されやすい傾向にあるのだけど、『シティーハンター2』17話「大和撫子志願!? モッコリは国境を越えて(前編)」はまた別の筋からも有名な回で、「ああ、これは2人原画だったのか」とちょっとした発見というか、驚きがあった。

持って回った言い方をしてしまったけれど、別の筋とは「警視庁の女狐」と呼ばれる美人刑事・野上冴子のお色気方面だ。冴子のサービスが顕著な17話Aパートは、ハイジャック犯への身代金受け渡しの役を買って出た冴子が、下着姿で犯人の目を引き付けておき、無線で確認するといって操縦室に連れていき、犯人の姿を捉えた冴羽獠がお得意の超ピンポイント狙撃で解決、と『シティーハンター』らしい流れ。重要なのは、普段ガードの堅い冴子が文字通り一肌脱いでいることだ。

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切迫した状況にもかかわらず、獠は冴子のブラ紐を正確に撃ち抜く神業を披露する。そして『シティーハンターTVシリーズ史上で唯一、冴子の乳首が露出する。

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カット頭のわずか2コマだけ薄く乳首が描かれているが、コマ送りなしで視認するのは困難だ。が、オッパイに懸ける情熱の賜物か、冴子のサービスカットと言えばコレという認識がされている(と思う)。

冴子のオッパイだけではなく、このAパートは西澤晋的見どころも多く、特に角ばったモブ描写がたまらない。

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工夫のある表現もいい。これは冴子がハイジャックされた旅客機に歩いて向かう際に起こる蜃気楼。

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真夏の直射日光によってアスファルトが熱せられて起こるゆらゆらとした蜃気楼や逃げ水は、撮影で行われるケースがよく見られる中、ここでは作画と組み合わせて再現。実体を掴ませない冴子のキャラクターが強調されている。実験的でおもしろい表現だ。

なお、BパートはAパートに比べ、アニメ的な誇張とコミカルな芝居が特徴的で2人原画の利点というべきか、方向性の違いをはっきりと見て取れる。後に超人的な作画スケジュールをこなす西村誠芳と今もってスケジュールを支え続けるコンテ職人・西澤晋が組んでいたというのは、妙に感じ入ってしまうところもあるけれど、それはまた別の話。

ちなみに、この記事では「シティーハンター」とカタカナで表記している作品名は、本来なら「CITY HUNTER」と書いた方がベターかもしれない。この表記揺れについてはアニメ様365日第354回『CITY HUNTER』に詳しい。ご一読あれ。

 

*1:シティーハンター2』は1988年4月から1989年7月まで放送されており、昭和から平成に移ったTVアニメの一本。

演出メモ①

5/23放送『アイカツフレンズ!』58話、6/2放送『キラッとプリ☆チャン』60話と短いスパンで絵コンテ・演出/大島克也の回が目を引いたのでメモ。

アニメ@wikiでざっとクレジットを読むかぎり、サンライズ制作出身の若手だろうか。まだ演出家としてのキャリアは浅いようだけれど、放送された話数はどちらも勢いがあり、見た目に楽しいアイディアが目白押し。

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例えば天翔ひびきがソルベット王国に入国できず、衛兵と言い争いになる場面。ひびきの後ろからラブリーフレンズ(秘書)が駆けつけて衛兵と対峙、遅れてピュアパレットの二人がスライドイン。剣呑な雰囲気がこのスライドによって和らいでいるし、画面中央からQTBしたのに、その中央へ再び視線を誘導するというのもギャグチック。シャルルへ向けた次のPANへの繋ぎにも一役買っている。

フレームインのアイディアは随所に見られ、

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キラッとプリ☆チャン』ではワイプにPANを合わせ、逆方向からキャラクターが入ってくる。場面転換+方向転換の合わせ技で「ここで何かが変わる」伏線的なカメラワークになっている。

また共通して見られたのは、カメラに寄って敢えてフレームを狭く使ったおしくらまんじゅうのようなカットや萌黄えものツインテールオバケ、ピュアパレットのはしゃぎすぎた雪遊びなど、ちょっとした笑いを誘う動き・表情。遊び心のある奥行き、空間設計も独創的。

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同大島演出回の『アイカツフレンズ!』43話にも目を向けると、天に向かって拳を突き上げるカメラ対空ショットもあるけれど、こちらは所謂ウルトラマンの変身バンクパロディに近いかもしれない。

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いずれにせよ、フィルムに対するテンションの高さは目覚ましく、チャレンジ精神溢れる演出は次も観たいと思わせるものばかり。今後の活躍が楽しみな演出家がまたひとり。

 

キラッとプリ☆チャン♪ソングコレクション~2ndチャンネル~ DX

キラッとプリ☆チャン♪ソングコレクション~2ndチャンネル~ DX

 

コンテ力

思い出したように読み返す記事がある。そのひとつが『かんなぎ』を特集したオトナアニメ Vol.10掲載の高橋渉監督による寄稿だ。

 「コンテ力」というものがある。今勝手につけた。それは構図や。つなぎ。芝居のとりかた。絵の巧拙やらシリーズのトーンやらとか、そんな後からの修正が容易なものではない。「情念」。いや彼の場合は「怨念」か。とにかくそれがドパドパ出ている量の大小が「コンテ力」。これは消せない。「良い悪い」はおいといて消してはいけないもの。

こんな出だしから始まる、山本監督のコンテがいかに攻めに寄っていたかを語り尽くした文章。時には「確信に満ちた指定の数々が目指す理想はどれも高い。文句言えない。うるさそうだし」と忌憚なく釘を刺しているあたりもいい。京都アニメーションは高橋監督の所属するシンエイ動画元請のグロスを請け負っていたため(原動画のクレジットはアニメーションDoであることも多かった)、演出家同士が互いを意識するという関係もあったようだ。幽★遊★白書』の原画をしていた頃の西尾鉄也が新房・若林回をライバル視していた話に近いかもしれない。これはその『ハレグゥ』『あたしンち』演出版といった感じだろうか。

もう10年以上前の寄稿文ではあるけれど、アニメーションの絵コンテを考える、語ろうとしたときにフッと頭の片隅を過ぎるのがこの「コンテ力」だ。たとえば、今敏監督の技巧を凝らしたコンテを眺めて浮かぶ情念は「合理と論理」「ひとさじの遊び心」。高橋統子監督のコンテ・演出回で叩き付けられるのは、「感情の雨」。川面真也監督なら「限りのない間と風景」といったように、個々のカット内容であったり、テクニック以上に、覆しようのない演出家の根底的なファクターをもう一度考えようという個人的なきっかけのひとつになっている。無論、言うは易く行うは難し、観察力の至らなさを実感してばかりなのだけれど、「Roundabout 小林敦仕事集」の編集をしているときにも読み返して何とかコンテに込められた情念を掬い取って伝えたいと、気持ちを入れ直したりもした。

同号には、「“fix(カメラ固定)”vs“カメラワーク” 私と山本監督とのささやかな戦い」と題した平池芳正監督の文章も寄せられている。こちらも好きな記事だ。様々な角度からアニメを語ろうと試みた2000年代後半の雰囲気が残っている気がする。まあ、今となっては思うところも色々と……オトナアニメ、なんだかんだ37号も出ていたのだなあ(別冊ムック系を含めると50冊近い)。

オトナアニメ Vol.10 (洋泉社MOOK)

オトナアニメ Vol.10 (洋泉社MOOK)

 

話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選

年末恒例の企画、今年放送されたTVアニメの中からエピソード単位で10本選ぶ、「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」。

以下、コメント付きでリストアップ。

■ 『恋は雨上がりのように』 第12話「つゆのあとさき」

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脚本/赤尾でこ 絵コンテ/渡辺歩 演出/益山亮司、河野亜矢子 作画監督/加藤万由子、小磯由佳、荒尾英幸、清水慶太、西原恵利香、奥田明世、竹本佳子、長原圭太、山本祐子

数本の監督作を抱える多忙な演出家・渡辺歩の“本気”を久しぶりに見た思いがした本作。渡辺演出の真骨頂は『のび太結婚前夜』に代表されるように叙情性を持って人物の内面を描くことだ。そして、ここぞというときには労を惜しまない画作りをする。青空の反射する水溜りの上を走り出したあきら、抱き止める近藤、二人を回り込みで祝福するカメラワーク。ありえたかもしれない未来と踏み出すための約束。後には雨上がりの空の余韻がいつまでも残る。「結婚前夜」の渡辺歩は、青春を忘れていなかった。

関連記事:『恋は雨上がりのように』12話の詩情

 ■『ゆるキャン△』 第5話「二つのキャンプ、二人の景色」

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脚本/伊藤睦美 絵コンテ/京極義昭 演出/鎌仲史陽 作画監督大島美和、堤谷典子

それぞれのスタイル、それぞれのキャンプ。一緒にいなくても同じ景色を共有できる。『ゆるキャン△』的なメッセージ性の強い第5話は京極監督のコンテワークも冴え、賑やかなキャンプ描写から静かな感動を呼ぶラストシーンへの転換が見事。注目の集まったアバンの犬子ブラの重量感も設営よろしく、リアリティを追求する一環だったのかもしれない。

■『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 第5話「人を結ぶ手紙を書くのか?」

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脚本/鈴木貴昭 絵コンテ/山田尚子 演出/藤田春香、澤真平 作画監督/植野千世子

印象的なエピソードが並ぶシリーズにあって、宮廷女官と王女の絆を描いた一編を山田尚子が担当。絵コンテのみの参加であるにもかかわらず、特徴的なレイアウト、表情芝居、視線誘導など存分に個性を発揮。植野千世子の修正も素晴らしく、寓話的な物語に人の手のあたたかみ、たしかな実感を与えている。ただ一点、サブタイトルだけはもう少し内容に即した物でもよかったのではないかと思った。京都アニメーションのご愛嬌。

 関連記事:『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の視線誘導・ピン送りメモ

■『宇宙よりも遠い場所』 第13話「きっとまた旅に出る」

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脚本/花田十輝 絵コンテ・演出/いしづかあつこ 作画監督吉松孝博、室山祥子

『よりもい』は友情を巡る物語だ。旅が終わると、旅の仲間とは解散する。しかし離れることで新しい友情が始まる。離れている間に、目の前にいない相手のことを考える時間が育まれる。終わりは、終わりじゃない。そのシンプルで力強い友情の形を13話かけて見せてもらった。これでもかというくらい積み上げた最後の最後、圧巻はラスト30秒だ。「残念だったな」の返信に添えられた一枚の画像。目元を震わせながら涙を溜めて、それでも笑っていたキマリと同じ顔を、あの時の自分はきっとしていただろう。

■『あまんちゅ!〜あどばんす〜』 第4話「秋とふわりふわりの幸せのコト」

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脚本/福田裕子 絵コンテ/佐山聖子 演出/佐々木純人 作画監督/加藤愛、高橋みか、鈴木彩

秋の素敵をてことぴかりが各々違うところで発見する、ちょっと不思議で安らぐ小話。空想する夢の中、秋の味覚、桜紅葉の美しさ、急かさずゆっくりと穏やかな時間を自分たちのペースで楽しむ。佐山聖子監督は今年も大車輪の活躍。アクセントの打ち方が心地良く、いつでも安心して観ていられる。

 ■『ハイスコアガール』 第3話「ROUND3」

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脚本/浦畑達彦 絵コンテ・演出/山川吉樹

いつもの駄菓子屋、いつもの『ストⅡ』筐体。けれど晶の様子がおかしい。目が眩むほどの日差しを浴び、出口で佇む晶の様子はまるで消えゆくかのようで――耳をつんざく蝉時雨、何も語らない晶の胸の内を無言のまま物語るアバンタイトルの切なさは絶品。対照的に己の心と向き合い、空港へ駆け出すハルオのシークエンスは雄弁で『ハイスコアガール』を映像化することの意義を、改めて感じた瞬間でもあった。遊び心とドラマ作り、山川吉樹監督の手腕が光る好編だ。

 ■『ウマ娘 プリティーダービー』 第13話「響け、ファンファーレ!」

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脚本/杉浦理史 絵コンテ/及川啓 演出/太田知章、及川啓、許琮、本間修、今泉賢一、阿部ゆり子 作画監督椛島洋介、辻智子、井上裕亮、宮崎司、小島明日香、宮下雄次、合田真さ美、阿部美佐緒、川面恒介、秋山有希、若山正志、河野直人、伊礼えり

サイレンススズカが逃げて、マルゼンスキーが二番手、その後ろにダイワスカーレット、そんな世代を超えた競馬ファンの夢が実現したドリームマッチ。誰が勝ってもおかしくない超豪華メンバー、手に汗握るレース展開、しかしもっとも胸を熱くさせるのは、レースの外から見守ることしかできないトレーナーの決意だ。思えば、同じP.A.WORKS制作の『SHIROBAKO』もそうだった。夢を叶えた人を応援し、見届ける人がいる。その構図が感動的なのだ。

■『アイカツフレンズ!』 第23話「叫ぶ、瞬間」

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脚本・絵コンテ・演出/京極尚彦 作画監督/秋津達哉

スペシャルな演出家と新進気鋭のアニメーターがタッグを組んだ、蝶乃舞花が蝶乃舞花であることを思い切り証明した話数。物語を劇的に盛り上げる術を熟知した京極イズムが所狭しと散りばめられ、天候のコントロール、クロスカッティング、ゲストキャラクターの存在感、唯一無二の迫力があった。中でも舞花の兄・舞人の少ない口数に秘められた闘志、思いやりが心に響く。飛ぶんだ!

キラッとプリ☆チャン』 第31話「マンガの現場いってみた!」

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脚本/佐藤裕 絵コンテ/博史池畠 演出/米田光宏 作画監修/斉藤里枝、川島尚

怒涛の秋田書店ネタを繰り出した『プリ☆チャン』屈指の変化球、いやビーンボール。緒方恵美演じる濃すぎる編集「神戸」と永辻まとん先生の掛け合い漫才のようなやり取りに潜む、ブラックなパロディの数々。「機械に砂を撒くといっとけ」(輪転機に砂を入れる)という台詞や手塚治虫をモデルにしたであろう漫画ゴッドロボ1号の爆発オチ、容赦のない展開がいっそ清々しい。博史池畠監督の面目躍如だ。

■『やがて君になる』 第6話「言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて」

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脚本/花田十輝 絵コンテ/あおきえい 演出/渡部周 作画監督/仁井学

喰霊-零-』が終わった辺りからだったか、絵コンテ/あおきえいというクレジットが様々な作品を賑わせていた時期があった。抜群の演出力を武器に、ファンを魅了しては去っていく各話コンテの侍。TROYCA取締役、看板監督となった今、その刀の切れ味に変わりはないのか――。一目見れば分かる。錆びつかせていなかった。誰がやるだろう、あんな眼鏡の使い方を。だれが思いつくだろう、あんな河原の仕掛けを。侍・あおきえい、その腕前に一切の翳りなし。

 

他、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』『ヤマノススメ サードシーズン』『SSSS.GRIDMAN』『ダーリン・イン・ザ・フランキス高雄統子回、『ブラッククローバー』63話など、候補に挙げていた作品は数知れず。結果的に気負いなく何度も鑑賞したものを中心にチョイス。今年はPN・ひらがな系アニメーターの活躍やNetflix配信、『あの日の彼女たち』『ベイビーアイラブユーだぜ』といったWeb公開作品も話題をさらい、折に触れて「TVアニメ」の枠組みを自分なりに再考しなければなあ、と思うことしきりの一年だった。

来年はどんなアニメーションに、どの媒体で出会えるのか。楽しみに待ちたい。