boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

青い鳥を待つ図書委員

リズと青い鳥』の登場人物の中で、おそらく最も物怖じせず、鎧塚みぞれに正対するキャラクターは「図書委員」と名付けられた彼女だ。
心が揺れる、感情が揺れる、ポニーテールが揺れる。様々なものが「揺れる」本作にあって、図書委員は下級生でありながら、職務を忠実に全うするブレないキャラクターとして描かれている。
最初の出番はAパート、リズの文庫を読み耽るみぞれに下校の時間を告げる場面。

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「下校の時間でーす。すみやかに退出してくださーい」
「下校の時間でーす」
「あのー」
「カギ、しめるんですけど」

次はBパート、向日葵が咲き始める頃、文庫の返却に来たみぞれに対して、

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「あの」
「返却日、一ヶ月も過ぎてるんですけど」
「他にも借りたい人がいると思うんですけど――」
「……」
「図書館の本はみんなの本なんです(けど)」

無言を貫くみぞれを攻め立てている風に見えなくもないが、内容はほとんどコメディ。パッケージ特典の録音台本に「VSみぞれ」と書いてある通り、真面目な図書委員は反応の乏しいみぞれに頑張ってボールを投げているのだ。何よりこのシーンで可笑しくも愛しいのは、図書委員の言葉を遮るように助けに入った希美と一緒に廊下を歩いているとき、嬉しくなったみぞれが放つ渾身のジョーク。

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「『リズ』なら、私が借りたやつ貸したのに」
「…それ、だめなんだけど」
「え」
「又貸しに、なるんだけど」
「どうした? みぞれ」
「図書館の本は、人に貸したらだめなんだけど」
「はいはい、わかりました!」

図書委員の真似、しかも口癖である「けど」まで拾って“あの”みぞれが興奮気味にジョークを言う。優子あたりが見たら、涙を流しそうなワンシーンだ。ちょっと深読みすると、これはラストの「ハッピーアイスクリーム」に掛かっているのかもしれない。何故なら「ハッピー~」のト書きには「二人同時に同じことを言って、みぞれ、覚えたてを使ってみる」とあり、雛のインプリンティングのように“覚えたて“の図書委員を先に見せておいた、という伏線的な意味合いとして受け取ることもできるからだ(みぞれの興奮度合い、「ハッピーアイスクリーム」は希美がわかっていないところもポイント)。

そして最後はDパート、またもや返却日を過ぎてしまい、再三の注意を受けるみぞれ。

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「あの、次は返却日、守っていただきたいんですけど」
「……」
「……」
「はい…」
「(被せ)図書館の本は、みんなのものなんですけど」

三度目の正直か、ついにみぞれが返事をする。そのコミュニケーションの発生も感動的だけれど、返事を待っているときの図書委員の表情が見ものだ。キュッと口を結んで、あなたの返事をいつまでも待ちますよという姿勢を崩さない。図書委員はみぞれを待っていてくれる人物なのだ。「待つ女」気質のある鎧塚みぞれをさらに「待つ女」、それが図書委員(3年生に「次は」と声をかけるのも含みがあるように聞こえてしまうが、これは邪推)。それに何かを「待つ/待たせている」関係はこの後の階段を下りるシーンで「みぞれのソロ、完璧に支えるから。今は、ちょっと待ってて」という希美の台詞があるように、本作の象徴的な関係性と言える。

また図書委員はみぞれのカウンター的なキャラクターだが、演出においてもそうかもしれない。山田尚子監督は余白や空間を巧みに操る演出家だ。人物を左右いずれかに寄せたり、目元・口元を意識させたりとレイアウト上の精神作用を絶えずコントロールする。にもかかわらず、図書委員はいわゆる日の丸構図で中央にドッシリと構えさせ、みぞれと向き合わせている。まるで青い鳥を逃がさないというような、フレームの真ん中からまっすぐみつめる視線。彼女が待っているのは鳥の羽ばたく一冊の文庫。そして青い鳥を助けにくるのはいつも、「はいはい」と軽く返事をするリズ。ここでも青い鳥の扉を開けてやるのはリズなのだ。

なお、図書委員のキャストは、吹奏楽部員でクレジットされている馬渡絢子さんだそうだ。インパクトのある役だったのに、エンドロールに「図書委員」の役名がないのはちょっと切ない。“次は”しっかりと載せていただきたいんですけど。

22/7「あの日の彼女たち」考 day04 佐藤麗華


22/7 「あの日の彼女たち」day04 佐藤麗華

映像におけるファーストシーン、ファーストカットは特別だ。
そこで引き込まれるかどうか、視聴意欲をかき立てられるか否か。それがすべてではないにしろ、やはり主張のある切り出し方をするものにより惹かれるし、そういうものが観たい。「あの日の彼女たち」はどれを観ても最初の画作り、音作りに緊張感がある。しばしば冒頭のBL画面に音を先行させ、没入感を高めた編集が見受けられるが、それも工夫のひとつだろう。音という環境情報が「あの日」への糊代になっている。

「day04 佐藤麗華」はこわばった心をほぐす一編だ。撮影のときに「リーダーっぽい笑顔」を注文された麗華はそれがどういう笑顔か分からず、証明写真を撮って確かめてみるが……。証明写真機内から見下ろす構図のファーストカット。狭い室内で麗華は手を握り身をギュッと縮め、息を吸う。撮影が終わると溜め息まじりに脱力。取り出し口から出てきた証明写真には、心なしか硬い人工的な笑顔が写っている。

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なんてことはない、この最初のシーンで伏線的なのはカメラがじかに表情を捉えていないことだ。モニターや写真で確認できるとはいえ、それは違うレンズを通したもの。「本当の表情」は分からない。そうやって観ていくと全16カット中、麗華の表情を正面から直接映したカットはひとつしかないことに気づく。しかもそれすら上を向いて上下が逆さま。つまりメタフィクショナルな見方をすれば、「彼女たちの違う表情」を映すという本作のコンセプトに疑問を投げかけているわけだ。藤間桜のいう「それってどんな顔?」はまさに伏線を回収する台詞。ちょっと頭をひねると、何とも一筋縄ではいかない言葉のように聞こえてくる。

しかしこれはそんな固くなった心と体を柔らかくする、微笑ましいフィルムでもある。そこで象徴的に使われているのが、呼吸だ。最初の呼吸は満足な笑顔が作れず、証明写真機の中で思わずついた溜め息。二度目の呼吸は桜の背中の上。かつぎ合い(背中合わせで交互にかつぐ柔軟体操)の途中、麗華はゆっくりと息を吸い、自分の悩みを吐露する。ひとりで抱え込んだ溜め息とだれかの背中で支えられながら吐く息。その違いを自然なまま描き分けるところに、このフィルムの奥行きがある。

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かつぎ合いというアイディアもいい。アイドルと素顔、緊張と弛緩、対義関係にあるふたつの状態を背中合わせにしているようにも見えるからだ。ラストシーン、「重い?」と訊く麗華に桜はちょっとおどけて「今日だけじゃぞ」と答える。この「重い?」は精神的な意味合いと、もしかしたら様々な“状態”を訊いていたのかもしれない。だが桜はそれをあっさりと受け止める。そして鏡に反射する彼女たちの「側面」。ファーストシーンからずっと見えなかった麗華の表情を、桜を通して映す鮮やかなクロージング。

若林信監督はいったいどこまで構想を練り、映像を作り上げているのだろうか。見れば見るほど驚かされる。

22/7「あの日の彼女たち」考 day03 立川絢香


22/7 「あの日の彼女たち」day03 立川絢香

立川絢香は真意を悟らせない。

「あの日の彼女たち」キャラクターPVの中で最も鮮烈なイメージを残す1本かもしれない。「day03」の舞台は帰宅途中だと思われる列車内。映像的には「開く」ところから始まり、「閉まって」終わるという収まりのいいフィルム。だが、その内容は意味深長かつ幻惑的だ。

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最初から追ってみよう。まず飛び込んでくるのは絢香がイヤホンで聴いている大音量の音楽。連結部から貫通扉を開けると音量は小さくなり、絢香は車両の中を歩いていく。すると鞄を抱えて眠りこけている戸田ジュンを見つけ、イタズラ交じりにほっぺたをつんつん……*1ただ車内を歩き、ジュンの頬をつつくだけなのに、映像構成に軽い混乱を覚えてしまう。

そのトリッキーな演出の正体、混乱を誘う要素の第一は方向性だ。ファーストカットで左向きにとっていた進行方向が3カット目では右向きになり、ジュンを見つけると左、そのまま固定されるのかと思いきや、頬をつつくカットは窓ガラスの逆向き反射カット。そしてジュンが目覚めるとふたたび左という風に目まぐるしく画面上の向き(上手下手)が反転していく。

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さらに拍車をかけるのは、出没自在に思わせる編集の妙。3カット目で歩いていた絢香が、次のカットでは既にジュンの乗った車両に立っている。跳躍された時間は「映像より先行して閉まる扉の音」*2に吸収され、これはとくに違和感のないカッティングだが、頬をつついた後、繋ぎの間に絢香はジュンの横へと“出没”する。連続的な時間のジャンプと向きの反転を重ねた、いわば編集のトリック。ジュンも驚いているが、映像にも驚きがあるという仕掛けだ。

見逃せない表現でいうと、熟睡するジュンの前まで歩いてきた絢香に掛かる影。撮影の見どころともいえるこのカットは、イヤホンを外す芝居と相まって非常に意味深だ。素顔が光に照らされるのではなく、無表情の中の表情が影によって浮かんでくるというような、これも通常の逆、反転の演出だろう。

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だからこそ、ちょっとオーバーリアクションで純真なジュンが愛らしく(ポッキーを食べる前後のポージング、芝居はじつに堀口悠紀子的)、絢香がどうしてジュンをからかったのか、何となく理解が及ぶ。

後半の恋愛話もそんな「からかい」の延長線上のあるもの。映像のフックは反射と視線、立ち位置だ。席がこれだけ空いているのに、おそらく絢香に合わせて立ったジュン。そこに性格的な優しさであるとか、思いやりが垣間見える。そして視線を外したまま始まる突然の告白。走る車両の進行方向で惑わした前半に比べ、後半は言葉によって向きを狂わせている。止まった車内で行われる行き先不明の話。ドアガラスの反射を利用した切り返し、視線の泳ぐジュンと微動だにしない絢香。互いの表情を見せないシチュエーション作りが巧みだ(向かい合っているのに、向き合えない会話)。

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注目したいのは好きな人がどんな人かと訊かれ、「いとこのお姉さん」と答えるまでのすこし考えるそぶり、視線。絢香のわずかな心の動きが観客にだけ伝わる(直後の発車ベルが助演音響)。予想外の答えだったのか、ハッとするジュンとようやく視線が合ったと思ったら、待ってましたとばかりにドアが閉まってしまう。話の終着と同時に発車。ジュンが閉まる扉を振り返り、結果的に乗り過ごすという秀逸なオチに加え、2人の関係性における変化、「何かが始まった」と思わせる裏地の機微が心憎い。「閉まって」終わると共に「開く」意味合いもあるわけだ。

立川絢香は真意を悟らせない。しかし反転した見方をしてみると……幻惑的な映像演出の奥に意外な一面が見えてくるかもしれない*3

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マスターショット3[応用編] 1つ上のクオリティを目指すための撮影術

マスターショット3[応用編] 1つ上のクオリティを目指すための撮影術

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*1:頬をつつく直前、わずかにタメる。

*2:Jカットと呼ばれる編集技法。

*3:笑顔の裏の裏をどう読むか。

22/7「あの日の彼女たち」考 day02 河野都


22/7 「あの日の彼女たち」day02 河野都

「day02 河野都」は要約すれば、「ファミレスのコールボタン*1をいつ押すか」という話。にぎやかな場所を舞台にしているためか、雰囲気は明るく、空気感や色合いもはっきりしていてどこかコメディタッチ。明朗快活、身振り手振りの大きい都、冷静に物事を決めたい性格の丸山あかね。対照的な2人*2のコールボタンを巡る攻防戦、コントチックなノリが愉しい。しかしよくよく観ると、作為的な会話劇に見せない工夫を凝らした映像であることに気付かされる。
たとえば、何度も使われるツーショットの構図。画面の中心にカメラを設定するのではなく、少しだけ都側に寄り、やや俯瞰のアングルで2人を収めている。状況的な力関係、流れの向きを自然に印象付ける、抜かりないカメラポジション。視線/目線の設計も技巧的だ。44秒辺りのバストアップ(あかねの見た目)までカメラ目線のカットを使わず、観客を巻き込んだ視線の衝突、同一化と緊張感が連動する形になっている。

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面白いのは視線がぶつかる緊張そのものをコメディにしてしまっていることで、なかなかコールボタンを押させないあかねに対し、都は人差し指を伸ばしたまま右手を大きく振り上げ――眩しい光が画面を包む。この光の変化は滝川みう潜在的な輝きを照らした「day01」のものと似ているが、ここでは演出ジョークのような扱い。相手の出方を見て動かない2人、その横を何食わぬ装いでウエイトレスが通り過ぎ――同時に観ているこちらの緊張も去っていく。不意に視線を動かす都、何かを見つけたような顔で外を見つめ、その表情に釣られ横を向いてしまうあかね――ポチッとな。細かい視線の動き、表情芝居、リズミカルなカッティングがすばらしく、一呼吸遅れて反応するあかねが微笑ましい。

そして一旦BLカットを挟んで時間を飛ばした後、緊張の注文を終えたあかねの安堵を余所に、あかねの思い付かないような注文をする都。「え?」というリアクションの横顔をボカしたままのカットアウトが小気味よく、対比的な切り返しがちょっぴり意地悪だ。

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話としてシンボリックな部分があるとしたら、ボタンを押すという行為(どういういきさつでアイドルになったのか、いつ決めたのか)と「何かを見つける」(違う側面の発見)ことの比喩だろうか。バックストーリーも気になるところだ。あかねの浮かべる安堵の表情(ファミレス慣れしていない感じ)や彼女の横に置かれた水色のリュックサック、やたらと上機嫌だった都、このファミレスに来るまでの物語を考えてみたくさせる材料が散りばめられている。ユーモラスで想像しがいのある一編だと思う。

マスターショット2 [ダイアローグ編]

マスターショット2 [ダイアローグ編]

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*1:正式にはワイヤレスチャイム、あるいはコードレスチャイムと呼ばれる製品。

*2:都はちゃっかりしているし、あかねも案外ノリがいい。じつは似ているのかもしれない。

22/7「あの日の彼女たち」考 day01 滝川みう

以前まとめたエントリを書いたのだけど、22/7「あの日の彼女たち」キャラクターPVをリピート再生しているうちに、順を追ってもう一度書きたくなった。

今回は「day01 滝川みう」を取り上げてみたい。


22/7 「あの日の彼女たち」day01 滝川みう

PVのスタートはBL画面。真っ黒な画の次に出てくるのは、澄んだ青空と雪の積もったビルの屋上。塔屋の外には室外機が置かれ、扉の前から足跡が伸びている。そしてタイトルバック。カメラは足跡を追っていき、風に吹かれ白い息を吐く少女を映す。透き通るような空気感、足跡にかかる光と影、わずか数カットで作り手の求める映像のリアリズムと感性が滲み出ているが、個人的に最も惹かれたのは「あの日」という言葉、時間への解釈だった。

作劇的には、たとえば滝川みうが塔屋の扉を開いて「歩き出す」場面を設定し、始まりとするパターンも考えられたと思う。けれどその場合、あるものが失われてしまう。それは作品の根幹である「あの日」と名付けられた時間だ。仮想的な現在/未来から振り返る視点性を持つ映像である以上、今から第一歩を踏み出す画では彼女たちの成長を描くという物語性を帯びてしまう。雪上の足跡をカメラが追う、つまり彼女たちの軌跡を追うことであり、扉の中からみうを映すのは既に出来上がっている「あの日」というフレームを意識させるためかもしれない。

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そしてそんなみうを見つめるもう一人の少女、斎藤ニコル。環境音の違いによって内外の対比を感覚的に伝えると共に、彼女の存在は「フレーム」に新たな意味を持たせる。フレームとは言い換えれば、本来彼女たちが収まる場所。アイドルという枠だ。そのフレーム、扉を開けると強い風が吹き、鮮やかな陽光に照らされる「滝川みう」が振り向く。光の変化の表現、思わず息を呑み踏み出すことなく後ずさった芝居*1、瞬きすらせずみうを見つめていた意味――「リハ、始まるけど」*2に込められた彼女たちの関係値と“今”。そこから伝わる「彼女たち」(複数形)ではあるけれど、「彼女」(単数形)でもあるという、明確な言葉にできないニュアンス。ラストの脱力し、深呼吸、グッと力を入れ直す芝居も弛緩(普段着)と緊張(アイドル)のメタファーのよう。

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 「day01 滝川みう」を通して分かるのは、若林信監督が1分程の映像に想像的な物語性と意味性をいかに巧みに描き入れているかということだ。ミクロな話であると同時にシンボリックな「短編映画」として見せる。その制作スタイルは、この後のPVにも引き継がれていく。

マスターショット100 低予算映画を大作に変える撮影術

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*1:もし踏み出していたら足跡は重なっていたのか、いなかったのか。

*2:「リハ」という現在進行形の言葉によって、「day01」の“地点”がうっすらと浮かび上がってくる。

ビデオコンテの資料性――『さよならの朝に約束の花をかざろう』

岡田麿里の描く絵コンテ」に興味があった。映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』は都合7人が絵コンテにクレジットされているが、個性派揃いの演出陣にあって目を引く絵コンテ/岡田麿里の存在感。いったいどんなコンテを、そもそもどんな絵を描いているのか。特装限定版にビデオコンテが収録されると知り、いちばん先にそれを見ようと思っていた。

さよならの朝に約束の花をかざろう』はA~Gの7パートで構成されており、掴みのアクションを見せるBパートのコンテを小林寛、農場の穏やかな生活を描いたCパートを副監督の篠原俊哉が担当し、岡田麿里と縁の深い2人が前半を受け持つ形。中盤にあたるレイリアを救出しようと動くDパートには塩谷直義(レナトが暴れるシーン)、橘正紀*1が振られ、Eパートのドレイルを引き受けたのはコアディレクター・平松禎史。終盤のメザーテが戦争を仕掛けられるFパートには乱戦、出血なんでもござれの安藤真裕が満を持して登場。その他のパートは篠原俊哉を中心に共同で描かれたものになっている。

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岡田麿里監督がコンテを描いているのはタイトル前、Bパートラストの朝日を見るくだりとFパートのマキアの髪を切るクリムなど。そして予想通りというべきか、ディタの出産も監督の手が入っている。

見どころはやはり、F220~F260のメザーテ城門が破られ、必死の奮戦を見せるエリアルと出産の痛みに耐えるディタを交互に映すシーン。これはコンテ上でもエリアル安藤真裕、マキア、ディタ/岡田麿里と分かれており、映像的・コンテ的クロスカッティング。安藤コンテの線の勢いと岡田麿里の情念の塊とも言えるカットの交差は、ビデオコンテで観ても独特の迫力がある(あの出血はやり過ぎだと思わないでもない)。

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本作のビデオコンテはト書きや台詞、尺*2が読めないかわりに、完成映像を右下に映す方式を採り、比較鑑賞がしやすくなっている。岡田コンテの画は簡素に見えて繊細だ。レイアウト、芝居を緻密にコントロールするというより、キャラクターの内面に紐付くある種の残酷さや抑えがたい情動を表現しようとしているように思える。それが完成画面にどのくらい反映されているか読み込む面白さがある一方で、ト書きの“遊び”を見つけたり、欠番を確認したりすることはできなくなってしまった。ビデオコンテの資料的デメリットがあるとすればそこだろう。

しかし、コンテ段階で想定された「時間」と「流れ」を容易に知れるというのは、他にはないメリットだ*3。製本された絵コンテを読むとき、ネックになりやすい演出家のイメージする時間感覚に対しての読解。それを完成映像と比較し、体感できるのだから貴重だ。発展させて、将来的に「ビデオコンテコメンタリー」なんてものが実装されないだろうかと考えてしまった。井上俊之原画集にコメンタリーを付けたP.A.WORKSならあるいは……「コンテに話題を絞ったコメンタリー」の需要が問題かもしれない。

*1:マキアとレイリアの再会シーン。『プリンセス・プリンシパル』の監督が“姫”のパートを担当していることになる。

*2:カット単位で秒数は表示されているが、それが元の絵コンテで指定された秒数かどうか確かめられない。

*3:「編集」を勘案しておく必要はある。

「復讐の赤い牙」のインパクト

木村圭市郎さんの逝去。仕方がないことだけれど、やはり寂しい。思えばインタビューやイベントで拝見するたび、気迫のこもった口調にたじろぎながらも、その豪快な人柄にどこか励まされていた。生涯現役を標榜し、やり遂げようとする生き様に憧れていたのかもしれない。

そんな木村さんの仕事で最も印象深いのは『タイガーマスク』だ。勢いがあり、メリハリを重視したタイミングで繰り広げられる立体的なアクション。巨漢の悪役レスラーが迫ってくる重量感、それを華麗なテクニックで手玉にとる軽業師のような体捌き、荒々しい描線とともに目に焼きついて離れない。わけても途轍もない衝撃を受けたのが、演出家・新田義方とタッグを組んだ回だった。アヴァンギャルドな画作りを狙う新田演出とパワフルな木村作画のコンビネーションは抜群で『タイガーマスク』で作画監督/木村圭市郎がクレジットされた12本のうち、新田義方とは5本でタッグを組み、傑作を作り上げている。個人的に忘れられないのは第21話「復讐の赤い牙」だ。これはタイガーマスクへの復讐を胸に秘めるマイク・ブリスコと反則攻撃をしないと心に誓ったタイガーのフェアプレー精神が激突する男臭いエピソード。ぶつかりあった末に友情を結び、互いに救済される話の筋もいいのだけど、なんといっても画面のインパクトが凄まじい。

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ミスターXが横柄な態度を取るのはいつものことだが、その足裏を映し、パカッと割れた中から現れるアイディア! 度肝を抜く構図とパース感だ。さらに乱闘シーンではエキセントリックな色使いの止め絵をフラッシュカット気味に繋ぐ。鋭角的なポージングも決まっていて、作画・演出の双方から「攻め」の気配がビシバシ伝わってくる。そしてケレンある派手な画を見せる一方、リアルな表現も追及する。

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揺らめくランプがジャイアント馬場に照り返す(吉松孝博さんによると映画『ウエスタン』を下敷きにしているのだとか)、顔面の凹凸を意識したライティング。TCJ制作の『遊星仮面』('66~67)でも似た表現を見た記憶があるので、実写的なライティングが試されていた時期だったのかもしれない。

それに『レインボー戦隊ロビン』のキャラクターデザイン/作画監督を任されているように*1、木村作画は少女も可憐だった。「復讐の赤い牙」の後、盲目の少女ちずるが目の手術を受ける27話「虎よ目をひらけ」。

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手術が成功し、世界を見る喜びを花から生まれるイメージのビジュアルに起こし、軽やかに跳ねるちずるは東映ヒロインのそれだったし、写真的な空(想像ではない本物の空を、という意図が強い)を背景にする意欲的な試みも新田演出らしい。

木村さんは演出家のコンテをかなり変えてしまっていたため、『タイガーマスク』の途中からクレジットされなくなり、東映を離れたことを明かされていたけれど、それは非常に残念に思う。シリーズ後半に現れた幻の脚本家・柴田夏余と木村、新田コンビが組んだ話数を一話でいいから観たかった……これは自分のワガママだ。

オトナアニメCOLLECTION いまだから語れる70年代アニメ秘話~テレビまんがの時代~

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*1:キャラクターデザイン原案は石森章太郎。看護婦ロボットのリリは今日的な「属性」を数多く持った先駆的なヒロイン。ロビン、リリに関しては窪詔之回の人気も高い。