boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

演出メモ②

『ロード・エルメロイII世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-』第6話は恒例のあおきえい絵コンテ回。偶然なのか狙っているのか、TROYCAの加藤誠監督作品(『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』『やがて君になる』)にあおきえいがコンテ参加するときは決まって6話だ。パトレイバーの松井刑事なら、TROYCAのマニア向けサービスと読むかもしれない*1

今回メモしておきたいのは、主に構図感覚。Aパートで多用されたシンメトリー、ダッチアングル、真俯瞰など左右のバランスや対角線を意識した構図が、まるで魔術的に作用していたかのような錯覚を起こさせる。「潤沢すぎて過剰な反応を呼んだ結界術式」という話の肝を画面構成でなぞらえ、見せていたわけだ。

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シンメトリックな人物配置、水平・垂直を意識したカメラアングルで印象付けていく演出は、過去の「TROYCA6話」でもお馴染み。

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最近よく使われている90度傾けたダッチアングルは、折り目正しい画面が続いた後だと一層驚かされる。

また、TROYCA以前のTYPE-MOON関連作を振り返っても、あおきえい節のシンメトリー構図は見受けられ、例えば『Fate/Zero』第1話の会話シーン。

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構図の狙いとしては同じかもしれないが、天秤が揺らぐような取引だからか、ここでは中心に配置された人物・オブジェクトが効果を上げている。そして、より徹底的に"対称性"にこだわった作品と言えば、『空の境界 未来福音 extra chorus』(2013)*2の一幕「1998年10月 02_daylight -October, 1998-」を挙げないわけにはいかない。

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宮月理々栖と安藤由子のふたりを対称の存在として描き、そこへ非対称であり、また対称でもある浅上藤乃を関与させ、未来と過去を映し出していく。

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時間的存在的画面的な対称を編み込んだこの一篇は、「シンメトリー」というコンセプトが感情を揺さぶり、強く訴えかける。それが指し示す先にあるのは祈りだ。対称であるからこそ気づける真意。画面の構図と物語の構図が重なり合い、同じ方向を見つめるラストシーンは美しく、あおきえい演出の正統を観た思いになる。

未来福音 extra chorus』に触れたついでに「猫」の話もしておこう。

幹也が式の部屋に一匹の猫を預けて出掛ける「1998年8月 01_feline -August, 1998-」、グレイが餌付けしてしまった野良猫に懐かれた『ロード・エルメロイII世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-』第0話、TYPE-MOON作品に携わる宿命というべきか、あおきえいは意外と猫に縁がある。

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そもそもが「ネコアルク」に代表されるように、猫をモチーフにしたキャラクターは数え切れず(式も猫のような習性)、TYPE-MOONのアニメ作品を演出する以上、縁があって当然という気もするのだけれど、動物としての猫、それも黒猫を扱ったエピソードに関わっているのは見逃せない。

というのも、よくよく観直してみると、『やがて君になる』6話にも登場していたからだ。

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侑が燈子を連れて河原に行く途中の通学路、塀の上にいる黒猫がふたりを見ている。人物の映っていないオフ台詞で進行していくパートのワンカットなので、深い意味を求めるものではないが、次にクレジットされた仕事が『ロード・エルメロイII世の事件簿 』0話ということを考えると、なかなかおもしろい。佐山聖子*3新海誠*4に続く"猫"演出家がじつは誕生しているのかもしれない。

 

*1:マンガ版終盤の「おれは偶然も2回までは許すことにしてるんだ。ただし3つも重なったらこいつは偶然とは思えん、何らかの必然があるんだ」というセリフから。

*2:あおきえいは監督・脚色・コンテでクレジットされている。

*3:『同居人はひざ、時々、頭のうえ。』『ふらいんぐうぃっち』『とある魔術の禁書目録III』など、猫の出てくるエピソードを数多く担当し、たしかな観察眼と愛情ある仕草の再現性は随一。

*4:短編アニメーション『猫の集会』を制作していたり、仕事場で猫を飼っていたりと、猫にちなんだ話に事欠かない。

東京、選択、反射――『天気の子』感想

新海誠最新作『天気の子』は身も蓋もなく言えば、「東京」の映画だ。「東京」と「新海誠」の関係は過去の作品群を振り返っても明らか。時に憧憬として、時に焦燥として、そして交差する場所として扱われている。もしかしたら、新海誠という人を映す鏡のような場所なのかもしれない。

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『天気の子』の始まり方で印象的だったのも、じつはそれだ。アバンタイトル、病室で母親の横に座る陽菜が雨に濡れた窓ガラスに映り込み、その奥には東京の街と海、雨雲が広がる。

反射/映り込みをファーストシーンに持ってくる演出は、新海作品ではお馴染みと言える。『秒速5センチメートル』や入口を同じにした『言の葉の庭』、また『雲のむこう、約束の場所』にも同様のカットがあり、いずれも「東京」を舞台に"反射"している。

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そこに映っているものはそれぞれの「東京」を象徴するものといっていい。だから予告(予報)にもあった陽菜のカットがアバンで使われていることには驚いた。最初からすべて示唆していたわけだ。

本作で描かれている東京は、猥雑で路地裏の匂いがする東京だ。もちろん、雨上がりの光の筋がアスファルトを照らし、街を美しく彩る瞬間はある。だが目に留まるのは、快適さの陰で回り続ける室外機であったり、空を遮る電線であったり、廃ビルの屋上に設置された鉄錆の浮いた手すり。おもしろいことに、ヤクザ風の事務所まで出てくる。世間知らずの少年が踏み込みすぎてしまった、という体であっさり処理されているが、今までの新海作品で最もアングラな部分に目を向け、立ち入ったことは間違いない。それを帆高の目から見た東京の現実として対面させ、行き過ぎれば暴力による報復が待っていると描く。そこに登場する拳銃というガジェットは、そんな暗いところが零れ落ちてきたある種の「お守り」だった。しかし帆高は陽菜に咎められると、人を殺しかねないことの重大さに気が付いて、反射的に投げ捨てる。ドラマの転換点だ。我が身を守るため肌身離さず持っていたものを投げ捨て、新たに守るべき人と出会う。そして東京にやって来て初めての「晴れ」を体験する。つまり、帆高は「東京」への抑止力を捨て、彼女と彼女の笑顔を選んだのだ。

何を選ぶかというドラマとして考えてみると、帆高を追い出した後、夏美に漏らす須賀のつぶやきは社会規範や現実に慣れ過ぎた、「大人」の心境を薄暗く表現したセリフに聞こえてくる。

人間歳取るとさあ。大事なものの順番を、入れ替えられなくなるんだよな。

娘とまた暮らすためには帆高を追い出すしかなかった。だが翌朝、須賀は半地下にある事務所の窓の外に雨水が大量に溜まって水圧が掛かっているにもかかわらず、強引に開けてしまう。水流で後味の悪さ、罪悪感を洗い流したかったのか、真意は分からない。ただ少しだけ、順番を入れ替えたことは事実だ。賢明な判断のできる「大人」ならやらない選択をしたのだから。

須賀の姪である夏美もそうだ。就活にマイナスになろうが構わず、警察署から逃げ出す帆高を助け、パトカーとカーチェイス。陽菜に人柱のことを明かした罪滅ぼしの気持ちがあったのだとしても、やり過ぎであることには変わりない。しかし、その表情はずっと自分を縛っていたものを振り払って駆け抜ける清々しさに溢れている。さらに凪の『君の名は。』的な男女入れ替え工作は、そんな大人たちが必死で大人であることを取っ払おうとしているときに容易く大人の目を欺く、どちらが大人か分からないしたたかな作戦だった。

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そうした状況の中で、帆高はもう一度拳銃を握り、「大人」の須賀に向かって銃口を突き付ける。帆高からすれば、嫌悪感さえ抱いて捨てたものを拾い直し、須賀からしてみればどうしようもなくなって見捨てたものに拳銃を向けられている格好だ。そして帆高は拳銃を警官の目を引くため投げ捨て、須賀は帆高を今度こそ見捨てずに助ける。ドラマが激しく交錯するポイントだ。帆高は当の陽菜に気持ち悪いと言われた「東京」「大人」への抑止力を手にしてでも陽菜のもとへ行きたい。けれど、それは手にしてはいけないものを手にしてしまった、ルールを破ったとも言える。手錠が掛けられるのはその罰かもしれない。しかしすぐに手放し、捨て去った。だからその先を「大人」であることを捨てた「大人」が引き受ける。
拳銃、指輪、手錠といった小道具と様々な心情が入り組んだ選択のドラマだ。ここまで見せておいて、陽菜に「自分のために願って」と帆高は言う。晴れなくたっていいと叫ぶのだ。

エピローグは、そんな選択に対して強く宣言するための儀式的な舞台だ。帆高の言葉は、改めて映画を鑑賞して噛み締めることができた。これには少し説明がいる。そもそも新海作品において、「大丈夫」とは何だったのだろうか。主だったセリフを挙げてみよう。

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20世紀のエアメイルみたいなものだよ。うん、だいじょーぶ! 

何が大丈夫なんだ。

ほしのこえ』(2002)

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大丈夫だよ。目が覚めたんだから。これから全部また……。

雲のむこう、約束の場所』(2004)

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貴樹くんは……きっと、この先も大丈夫だと思う。ぜったい!

秒速5センチメートル』(2007)

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それは人違いだよ。だって落ちたりしないもの。大丈夫、違うもん。心配しないで。

星を追う子ども』(2011)

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……ねえ、わたし。……まだ、大丈夫なのかな……?

言の葉の庭』(2013)

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君の名前は、三葉。……大丈夫、覚えてる! 三葉……。みつは、みつは、名前は三葉! きみの名前は……。

君の名は。』(2016)

恣意的に抽出してあるため、実際にはもっと使われている。共通しているニュアンスは喪失に立ち会う、あるいは予感する、そうした状況で出てくる言葉だということ。劇場作品すべてで、だ。それが分かって、もう一度観てみると、ある感情が湧きあがってきた。
あの『君の名は。』のラストシーン、すれ違う二人にミカコが、ノボルが、貴樹が、明里が重なって見えた。新海誠の世界で届かなかった彼ら、彼女たちが二人に映り込んでいるように思えてならなかった。帆高の言葉が反射する先もそう、喪失を目の前にして「大丈夫」といった彼と彼女。そこでようやく、ああ、『君の名は。』で示したディスコミュニケーションの向こう、ダイアローグの出口に立って、さらに進もうとしているんだなと伝わってきた。雨の降り続く東京で、最後に選択し、反射する言葉。

「僕たちは、大丈夫だ」

新海作品でこんなにも力強く、祈りを捧げる少女に向かってもう手を離さない、共に生きていくと宣言する少年が出てくるとは、10年前の自分に言っても信じないだろう。 まだしばらくの間、噛み締めていようと思う。

最後にもうひとり、「大丈夫」にたどり着いた人物について書いておきたい。コミカライズ版『秒速5センチメートル』最終話「空と海の詩」に登場する、27歳になった「コスモナウト」の主人公、花苗だ。帆高より遠い種子島から貴樹を探しに東京にやってきた花苗は戸惑い、迷いながら、貴樹へ繋がる"チケット"をもらう。そのとき、掛かってきた電話の相手に対して「大丈夫」という言葉で返答し、自分自身と向き合い、歩き出していく。このオリジナルエピソードは、新海誠という作家に秘められていたコミュニケーションの可能性を掬い取り、先んじて描いていたのかもしれない。空と海に囲まれた島から東京を眺め、大切なものを追いかける帆高と花苗。東京で口にする「大丈夫」の意味。『天気の子』鑑賞後に、読み返したくなる一篇だ。

 

『ミラクル☆ガールズ』再見 「曇りのちみかげ」

先週、出先でたまたま入ったハードオフに大量のアニメVHSが並んでいた。保存状態はまちまちだったが、'80年代OVAを中心にマニアックなタイトルがズラリ。その中に長年探していた*1ミラクル☆ガールズ』があった。

1993年に放送された『ミラクル☆ガールズ』は、『美少女戦士セーラームーン』と同時期に「なかよし」で連載されていた秋元奈美の人気原作をアニメ化した全51話のTVシリーズ。作風の変化が激しく、ぴえろ魔法少女シリーズで実績のあった安濃高志が17話まで監督を担当していたが、諸々の事情により降板。監督不在の期間を経て、30話から『YAWARA!』のときたひろこに監督を依頼、まったく毛色の違うアニメになった。言わば「安濃期」「監督不在期」「ときた期」に分かれているところが大きな特色。ここでは「安濃期」の話をする。

アニメ版は原作の第3部(第5巻)にあたる「倉茂先輩のロンドン留学」からスタートするのだけど、第1話「曇りのちみかげ」をいきなり観て、世界観や人物設定に正しい理解を持つことのできた視聴者はいったい何人いたのだろうか、と思うほど説明がなく、フォローもない。誤解を覚悟で書くと、それが素晴らしいのだ。

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アバンタイトルは雲の隙間から覗く月、異国風の城、月光に照らされ芽を出す不思議な花のシーン。次に分子模型のブロックを積み上げるみかげ、「おはよう」と話しかける双子の姉・ともみの2人が登場する。みかげは天井に貼られた倉茂の写真までブロックが届いたら……と心の中で密やかな決心を固めているのだが、分子模型もその使い方もすべてアニメオリジナル(城、不思議な芽は2話以降の伏線となるカット)。最初から原作を外した入り方をしているわけだ。そして慌てて玄関から出ていったと思ったら、テレポートして自室に戻って忘れ物を拾い、ふたたびテレポート。そこからオープニングだ。驚かされるのは第1話を通して超能力に対する説明は一切されず、能力のことをだれが知っているのか、どういった条件で能力が使えるのか、分からないまま。視聴者は映像で描かれていることを手掛かりに推測するしかない。つまり安濃高志ファンは、説明台詞やナレーションに頼らない作家性の強い作品であることが超能力の扱いひとつ取ってみても分かるのだ(逆にいうと"その手"のファン以外からは不評を買ってもおかしくない作り)。さらに刮目すべきは詳細が明かされないうちに、能力を応用的に利用した演出を試みていること。

ともみはボーイフレンドの野田、その友人の山岸、みかげの想い人である倉茂の4人でハンバーガーショップに立ち寄って雑談をする。そこで山岸が倉茂の留学のことを切り出し、知らされていなかったともみは動揺してしまう。その動揺は感応先であるみかげにも伝わり、みかげは不審に思う。ともみは家に帰ってからもテレパシーをガードし、留学の件をみかげに知られないよう努力するのだが、ポイントとなるシーンはその後だ。

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ともみの入浴中、みかげは母親からシャンプーを持っていってあげてと頼まれる。そうして浴室に行き、ドアを開けた瞬間、漏れ出る湯気と一緒に倉茂の留学を知ってしまう。ともみの緩んだ心も出てしまっていたのだ。ショックを受けたみかげはせっかく積み上げてきた分子模型を崩してしまい――。

テレパスである双子の設定を生かした演出を披露したこのシーン、湯気とテレパスを絡めたアイディアに感心してしまうが、肝はともみのリアクションだ。何の台詞やモノローグもなく、ただドアの方を見つめて寂しげな表情を浮かべているだけ。なのに、漏れ出た自分の心をともみは分かっているんだなと読み取れる。加えて、みかげを本当に心配しているんだろうな、という気持ちも伝わってくる。言葉を必要としない、繊細な心情表現だ。以前にも、こういう静かで緊張感に満ちた方法で作られたアニメはあった。杉井ギサブロー総監督の大ヒット作で、奇しくもときたひろこの監督作でもある『タッチ』('85~'87)が代表例だろうか。『ミラクル☆ガールズ』と『タッチ』のスタイルを比べて、決定的な違いを見出すのは難しい。数少ない台詞と数少ないショットで構成され、キャラクターが演技をしていなくてもゆっくりとしたカメラワークや風景で心の中の動きを表現しようとする。敢えて違いを抽出するとしたら、カメラワークによって情感を生むか、ある象徴(小物、天候など)に感情を託すか、という様式的なところに差異を見つけることはできるかもしれないが、それだってケースバイケースだ。もっと大きくストーリーとキャラクターの心境をみつめる姿勢に……と深堀りしてもいいのだけど、これは収まりがつかない。別の機会に語ろう。

話を戻して、留学のことを知ってしまったみかげは、翌日から倉茂を避けようとする。テレパスで繋がっているはずのともみも満員電車の中で離ればなれになり、倉茂が同じ車両に乗っていると分かったら、先に違う駅で降りてしまったり、取り繕った笑顔が痛々しく、倉茂に対する複雑な感情がみかげに渦巻いていることが分かる。一方でメタファーの切れ味は鋭さを増す。屋根に取り付けられたパンタグラフと架線の摩擦、電車と駅の持つ接続・分断の意味性など、今日の生活感を重視したアニメーションに通じる表現が既に見られる。

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それでもともみは、何とか倉茂の前にみかげを立たせようと無理矢理引っ張り出すが、ともみの小指を使ってテレポートして消えてしまう。みかげはフラスコに何かの溶液を入れてひとり考え込む。このシークエンスは、倉茂がさも当たり前のようにテレポートを見ている=超能力を知っているという情報の提示から、フラスコに反射した自分の心を問い直すみかげの佇まいまで、ストーリー上の情報、演出密度が非常に高い。にもかかわらず、原作通りともみとみかげの担任教師である影浦の結婚が表面上進行しているのだから、混乱なく観るためには落ち着いて整理する必要があるかもしれない。

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しかし「曇りのちみかげ」の"安濃高志作品"らしさを語るならば、ここからだ。

その夜、ずっと悩んでいたみかげは起き出して、床に散らばった分子模型をもう一度積み始める。いちにいのさん! の掛け声や腕まくりする姿は可愛らしい。ただそれ以上に大切なのはひとりで考え込み、自問自答の末に答えを出す作劇だ。個人的にこれは『魔法のスター マジカルエミ』('85~'86)の「最終回3部作」*2に重なるように思える。『エミ』の主人公・舞とみかげの葛藤は異なるものだし、助走の時間も答えの内容も違う。それでも重なって見える理由は、演出に拠るところが大きい。

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「曇りのちみかげ」は何度も何度も雲間に浮かぶ月のショットを使い、抽象的なイメージを高めているが、天井に倉茂の写真を貼っていたように、序盤は上向きの表現が目立っていた。それが留学の件を知って以来、塞ぎがちになり、支配的な俯いたイメージで映像が構成され始める。下方向に意識が向くわけだ。そこから雲が晴れて顔を出す月のショットと、心の霧が晴れたみかげの表情を繋げることで転換する。つまり映像表現と心、その晴れ方が『エミ』と重なるのだ(「新たな芽」が出るという共通点もある)。 

"晴れ"の日は続き、この後に影浦の結婚式が盛大に開かれる。紙吹雪の舞う中、幸せそうな新郎新婦だと思うのも束の間、パーティ会場にシーンが移ると、野田はともみに「みかげは大丈夫か?」と訊く。「大丈夫って思おうとしているみたい」と答えるともみに「あいつの心を読んでみたのか?」と続けて問いかけ、ここで倉茂だけじゃなく野田も能力を明かされたひとりだと分かるのだが、対するともみの詩的な言い回しがそれを忘れさせてしまう。

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真っ白だったよ。すごく透き通ってた。

その頃、みかげと倉茂は会場の外にあるバルコニーで話し合っていた。倉茂の留学を祝い、努めて明るく振る舞うみかげに、倉茂は懐中時計を手渡す。このシチュエーションはとても少女漫画原作アニメの初回とは思えない。最終回だと言われても納得する、そんなムードなのだ。そして見つめ合うふたりを見つめる、語り部としてのともみ。

みかげと倉茂先輩が笑っていた。空は厚い雲に覆われているけど、みかげの心の中は雪の結晶みたいだった。波のうねりが高くなった。

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みかげと倉茂、ともみとそれぞれを瞳、懐中時計、ガラスに反射させたカットが特徴的で素直に見るなら誰の心に誰が映っているのか、示したものと言っていいのだろう。それと気になったのが「雪の結晶」という言葉だ。

安濃高志作品を振り返ってみると、雪の結晶を視覚的に盛り込んだ『魔法の妖精ペルシャ』('84~'85)の異世界ラブリードリームがまず浮かんでくる。そして思考の飛躍が必要だけれど、結晶を構造する分子、そのイメージが含まれる作品もある。『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』('86)だ。『蝉時雨』ではアルバムを開いて、昔の写真を見ているとき、机に飾られた鏡が輝き出し、分子モデルのような光が映される。これはトポが舞を想って一時的に魔法をかけてくれた解釈や、あるいはあの夏の日の思い出が蘇ったほんのわずかな時間といった様々な読み方があり、分子モデルが使われた理由も、じつは深いものではないのかもしれない(記憶の連なり、結合いう絵にも見える)。

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とはいえ、『エミ』以降、数年ぶりとなるTVシリーズの監督作、その第1話にアニメオリジナルの小道具として分子模型を登場させ、最後に「さよなら夢色マジシャン」を彷彿とさせる雪を降らせているのだ。ついついモチーフの連続性に感ずるところあって書いたみたけれど、まあこれは横道だ。本来、もう少し手掛かりを得て深めていきたいテーマ。確かなことがあるとしたら、ともみの語った「雪の結晶」を含め、このラストシーンには安濃高志の詩情が横溢しているという事実だ。それは寡黙ながらも鮮やかに、演出が語っている。 

クレジットについても書いておく。「曇りのちみかげ」は絵コンテを小林常夫が切り、安濃高志が演出を担当している。すなわち、実際には何処までがコンテの領分なのか、正確に判断することはできない。しかしここまで濃密なフィルムに仕上がっている以上、コンテを任せる段階で念入りに確認したか、上がりにかなり手を入れているか、どちらかだろうと想像する。仮に修正していたとしても演出的性格の似ている小林常夫*3の絵コンテを膨らませる形で行っているように思えるし、それも機会があれば確かめたいところだ。何にせよ、これが圧倒的な作家性を持ったエピソードであることに変わりはない。ファン冥利に尽きるといってもいい。シリーズを各話単位で眺めても、比類するものはごくわずか。まだまだ観直して、安濃高志を見つけたい。

 

ミラクル☆ガールズ オリジナルサウンドトラック

ミラクル☆ガールズ オリジナルサウンドトラック

 

*1:2016年にキッズステーションで放送されたが、未だにDVD、Blu-ray化は発表されておらず、配信も行われていないため、録画以外ではVHS、あるいはLDでのみ鑑賞が可能となっている。

*2:36話「北風にひとりぼっち」、37話「ためらいの季節」、38話「さよなら夢色マジシャン」のことをファンは最終回3部作と呼んだ。

*3:後年の監督作になるが、『英國戀物語エマ 』の日常描写、生活感に軸足を置いた作りは安濃作品と近いものがあり、『ミラクル☆ガールズ』と比較してみるのも面白い。

『どんぐりの家』と安濃高志

アニメーション映画『どんぐりの家』を久しぶりに観た。以前に観たのは何かの上映会だったはずで、もう20年近く鑑賞する機会がなかったのだけど、安濃高志監督の演出について確認したいことがあって視聴。細部まで観直すことができた。

『どんぐりの家』は山本おさむの同名漫画を原作とした映画で、山本自身が総監督・脚本を手掛け、安濃高志は監督と絵コンテ(共同)を担当している。物語は田崎茂の妻・良子がろう重複障害を持つ圭子を出産するところから始まり、同じく重複障害の子を抱える家族、ろう学校の教師など、重複障害にかかわる社会的環境を様々な人々の視点で描き、共同作業所「どんぐりの家」の設立、運営に携わっていく姿を具体的に説明していく。アニメーションではあるが、フィルムの後半は県のろうあ協会理事の方をはじめ、「どんぐり」の支援者が当時のことを振り返って語る実写パートもあり、ドキュメンタリー映画の側面も持っている。

原作者が総監督と脚本に立っているだけあって、映画も概ね原作の流れを踏襲する形で作られているが、驚かされるのは何気ない風景に潜む緊張感だ。例えば、映画の冒頭部分を比べてみよう。原作は圭子の母である良子が出産を終え、看護婦と話したところでシーンが終わっているのに対し、映画は茂が仮死状態から蘇生した圭子の容態を聞き、良子のもとへ行くまでの様子を克明に描写している。茂は極めて静かだ。騒がしい受付を通り、エレベーターに乗り、他の夫婦や赤子の脇を通り抜け、良子の病室のドアをノックする。マルサインを出してようやく笑顔を浮かべる茂は良子の隣に座り、窓ガラスに息を吹きかけて「圭子」と書く。良子の手を握った茂の後ろでは、圭子の名前から水滴が垂れて崩れている……。

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この冒頭の場面で茂は一言も喋っていない。仮死状態から回復した我が子のことを喜ぶどころか、神妙な面持ちで黙ったまま歩いているのだ。新生児仮死による後遺症の心配、未来への不安、そうした悪い予感が茂の中に渦巻いている。それを言葉にしないまま、点滅する信号機と無言に潜ませるという張り詰めた演出。もしかしたら、圭子が声で伝えられないことへの伏線でもあったのかもしれない。個人的にここで脳裏をよぎったのは、『魔法のスター マジカルエミ』の特典映像として制作された「雲光る」だった。

監督、脚本・安濃高志で2002年に発表された『魔法のスター マジカルエミ 雲光る』はTVシリーズから時系列を遡り、主人公である香月舞の弟・岬が誕生する前後の様子を切り取った15分弱の短編だ。両作の風景はよく似ている。出産、雨、何度も開き閉じられる扉、そして映像の寡黙さ。『雲光る』はTVシリーズの主題歌が流れるシーンこそあれ、それだけだ。音楽は付けられていない。雨音の響くこのフィルムに収められているのは不在の緊張感、変わらないようで変わっていく日常、少しずつ成長する舞の《記憶》。安濃高志的としか言えないのは、自転車の補助輪を外すという(舞にとって)大きな出来事も、人物のいないカットで観客に見せておくに留まり、劇中で舞がそれを口にすることはない。穏やかに過ぎていく思える時間の中に、誰もいない不在の瞬間があり、成長の証がある。その風景を淡々と《記憶》しているのだ。

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『どんぐりの家』は『雲光る』より説明的ではあるものの、「説明できないこと」の艱難辛苦から目を背けず、光を向け描き出した作品だ。田崎夫妻と圭子の次に登場する柏木親子を見てみよう。

圭子と同じく重複障害を持つ柏木清。その母親は耳も聞こえず、話すこともできない清に疲れ果て、一時は身を投げようとするところまで追い詰められる。しかし跨線橋の手すりの上に清が並べた石を、清と同じ目線で眺めたとき、訴えていることに気づく。清は夕焼けの美しさを石にも見せようとしていたのだ。それを分かった母親は清が心の中に綺麗なものを持っていると分かり、もっと清と話そうと決意する。ここで初めて清のモノローグが入り、母親の理解が正しいことが明かされる。秀逸なのは、車両が通る度、揺れて落ちそうだった手すりの石の意味が反転し、「心の震え」へと変わっていることだ。ろう学校の先生に「綺麗事ばかり言う」と言っていた母親が、「綺麗なもの」を目の当たりにし、変化する心の内を石の揺れ/震えという描写で何の不足もなく語りきっている。

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この非常に細やかな心情の語り口には安濃高志を感じずにはいられない。身の回りにある何か、橋の上にただ転がっている石であっても登場人物を象徴するモチーフになり得る。それを実践してみせた感動的なシーンだ。

舞の補助輪と同じく、成長を分かりやすく示しているのが、大きくなった圭子の初潮。突然血を見て動揺させないため、良子は予め自分のありのままの姿を見せて学ばせる。やがて圭子にもその日がやってくるのだが、ストーリー構成が上手く、表現も鮮やかだ。場面としては「どんぐりの家」の動きが活発になり、光明が見え始めた次のシーン。

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遠くを見つめる良子のカットからの飛行機雲のモンタージュ、それを見上げる圭子へとつながっていく連続性のある映像で表現されているのは、何かが出来るという予感と青空に残った"跡"だ。良子が見せていた"跡"と飛行機の航跡が圭子に訴えかけ、「大人」に向けて圭子はひとり駆け出す*1

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飛行機雲は、前半に良子が圭子に限界を感じていたシーンにも出てきており、このときは画面に何本も走る電線と交差する格好で、良子の心を突き破っていくかのような映像になっていた。ある意味ではネガティブなイメージを与えていた飛行機雲を、今度は逆に肯定的なモチーフとして扱う。表現の意味合いを反転させる、柏木清の石と同じことを長いスパンでやっているのだ。繊細で念入りな演出だが、圭子だけでなく、母親であることから逃げたいと願っていた良子が、全霊をかけて「圭子のお母さんでよかった」と述懐するまで育んできた愛情にも飛行機雲のモチーフが掛かっている。ひとつのモチーフを親子で共有し、象徴するものとする。これは安濃高志のスタイルであり、また本作ならではの手法だとも言える。

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そして、茂を含めた田崎夫妻と圭子の関係に使われているのはジャングルジムだ。幼い圭子が他の子と違う、と茂が良子に話すシーンでは圭子に回転ジャングルジムの*2の影が落ちている。黙々と砂を掘り続ける圭子に、「他の子」たちの遊ぶ影が圭子を捕らえるように落ちるという不穏な画面。ジャングルジムは田崎親子にとって重いモチーフだったのだ。

しかし圭子が中学部に上がる頃、それは変わったのだと語られる。月の綺麗な夜、圭子は髪型を好きだったポニーテールにして、帰宅した茂の前に恥ずかしがりながら出てくる。舞台は公園に移り、親子水いらず箱型ブランコに乗りながら、良子は圭子が電車の乗り換えをして一人で通学することを明かす。つまり、自立した社会生活を送る準備が整ったサインだ。

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少しずつ親元を離れていく圭子を寂しく思い、ずっと一緒にいたいと泣いてすがる良子を茂は優しく抱き留めてやる。そんな二人に対して圭子は軽やかにジャングルジムを登り、大きな月をバックに笑顔で手を振る。もうあの日の影が圭子に落ちることはない。それどころか、見上げるほどに成長した。クライマックスに相応しい美しい光景だ。「球体」ジャングルジムのモチーフを、月という大きな球体とジャングルジムで迎えて昇華させ、影ではなく光を当てるきめ細やかな映像演出。アニメーション作品として高い評価を受けた所以は、こういった豊かな表現にもあるのだと思う。

最後に、Wikipediaやデータベースに掲載されていない作画、演出スタッフのクレジットを書いておく。

コンテ/安濃高志小林常夫佐藤卓哉小林治

レイアウト協力/荒川真嗣、大竹正枝、芝山努、山田みちしろ

演出助手/矢野篤

作画監督柳田義明藤森雅也、生野裕子、山口博史、関根昌之

原画/高野登、田中平八郎、前田康成、櫻井美知代、渡部ユウコ、津幡佳明、羽根章悦、千葉ゆみ、湯浅政明、清水洋、鈴木満、宇田川一彦、関口雅浩、山川浩臣、服部一郎、野崎恒仲、加来哲郎、村田充範、柳野龍男、桑野佳子、中村紀、才木康寛、

動画チェック/弓納持幸子、原鐵夫、岸誠二

 

*1:この場面は人物芝居の密度も高く、原画が気になるパートのひとつ。

*2:製作した日都産業によれば、遊具の正式名称はグローブジャングル。

新海誠が描いてきた雨――『天気の子』公開に寄せて

新海誠監督の最新作『天気の子』の公開がいよいよ目前まで迫っている。

予告編を見ても明らかなように『天気の子』のテーマに「雨」が深く関係しているのは間違いない。連日降り続く雨と“100%の晴れ女”というキーワード、それが世界をどんな風に動かしていくのか、封切りが待ち遠しい。

ところで、新海誠監督は「雨」に並々ならぬ思い入れを持つひとだ。その結実した形のひとつが様々な雨によって移り変わる心情を細やかに描いてみせた『言の葉の庭』であり、「雨と新海」の極北といってもいい。

では、新海誠がいつから雨を降らせてきたのかというと、古く自主制作時代からだ。

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 季節は春の初めでその日は雨だった。だからの彼女の髪も僕の体も重く湿り、辺りは雨のとてもいい匂いで満ちた。

1999年公開の短編アニメーション『彼女と彼女の猫』はこんなモノローグで始まっている。ブレてないな、と思わせるのは、ただ雨が降っている状態を描くのではなく、雨を通じて季節感と心の動きをに繋がりを持たせていることだ。これは20年経った今でも変わりがない。

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新海誠の名を一躍有名にした2002年の短編SFアニメーション『ほしのこえ』においても雨は重要な役割を果たしている。ミカコとノボルがコンビニで買ったアイスをバス停で食べようかという場面、二人は雨に打たれながらバス停に行き、雨宿りをする。ノボルはミカコが地球を離れてからも雨のバス停でミカコのメールを読み、ミカコはシリウス星系第四惑星アガルタの調査中、突然降りだした雨にあのバス停の日を想う。雨と思い出の結びつき、雨に濡れた身体的感覚、匂いなどの雨にまつわる五感性とある種の官能性(脚フェチ的な視線)、『ほしのこえ』で描かれた雨は『言の葉の庭』の原型になっている部分も多く、初期作にして「雨と新海」の関係は完成されている。

続く、初の劇場長編アニメーション作品『雲の向こう、約束の場所』(2004年公開)では雨が主役となるシーンは少ないが、第1部でタクヤとサユリが偶然会った日は雨が降っており、二人だけで話したことがない緊張からか、傘の石突や手元を弄るサユリの仕草はいじらしく、どこか『言の葉の庭』のユキノを思わせる。また雨音と人物が奏でる新海的な「間」の作り方も見どころ。

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3年後の第2部でもタクヤはマキと一緒に傘を差して歩くシーンがあり、空を見上げるヒロキに対してタクヤには雨が用いられていることが分かる。

前後して、この頃発表された『Wind -a breath of heart-』『はるのあしおと』各オープニング、サブカルチャー誌「新現実 Vol.01」掲載の短編漫画『塔の向こう』*1にも雨のモチーフは共通して見られ、特に駅のホームを描写するときには、必ずと言っていいほど雨の中。接続と分断が行き来する電車や駅と、登場人物の心模様を映像的に表現できる雨は相性がいいのだろう。

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そして2007年に公開された連作短編アニメーション『秒速5センチメートル』。

この作品に雨のイメージを持っている人は少ないかもしれない。貴樹が明里に会いにいく日、朝降っていた雨が次第に雪へと変わる第1話「桜花抄」、桜の花びらが舞う踏切のラストシーンが印象的な第3話「秒速5センチメートル」、桜と雪の映画であることに疑いはない。しかし移りゆく心と季節を描く中には雨の風景もたしかに残っている。

それは第2話「コスモナウト」の中盤、進路調査に悩む花苗が高台に佇む貴樹を見つけ、その帰り道、NASDA宇宙開発事業団)のトレーラーが通り過ぎるのを待っているシーン。花苗は「時速5キロなんだって」と何気なくトレーラーの運搬スピードのことを口にし、貴樹は不意を突かれたかのようにハッとした表情で花苗を見る。その後に土砂降りの雨が降ってくるのだ。

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このシーンは「ねえ、秒速5センチなんだって」と明里が言った「桜花抄」のファーストショット、冒頭と明確に重ねられている。水たまりに広がる波紋、明里を追いかける貴樹、貴樹の後ろを走る花苗、登場人物の関係性が対比的なショットによって示唆されているわけだ。

また二人を打った「コスモナウト」の雨は、コミュニケーションの断絶を表した雨でもある。雨に濡れても花苗は高台で貴樹から言われた言葉を思い出して束の間の幸せに浸り、貴樹は遠い宇宙の深淵にあるはずの世界の秘密を探す孤独な旅に思いを馳せる。

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ここには遥か彼方の惑星で降り出した雨にノボルとの思い出を胸に抱いたミカコ、『ほしのこえ』への目線もあるのだろう。物理的な距離の断絶とコミュニケーションの断絶、通じ合えない心と距離の関係を雨によって描き出している。それに雨だからか、花苗のブラ紐が外れかかった新海的サービスショットも健在。バス停のミカコを彷彿とさせる、ほんのりとした色気のあるカットだ。

そしてもうひとつ、『秒速5センチメートル』と雨を語る上で外せないのが、本編制作に先立って書かれたスケッチ小説の一篇「窓のそとの空」*2。六月、台風の朝、雨の電車に乗るのが嫌で学校をさぼった中学三年生の小川深雪を主人公に、小説の創作に思い悩む少女の心情と台風の目の中で広がる世界の輝きに打たれる在り様が瑞々しい掌編だ。

高層のベランダから空を見ながら、青は不安で悲しい色だ、と深雪は思う。青はこんなに遠く、こんなに高い。届くわけがないのに、私は手を伸ばしたくなってしまう。わけもわからず、でも目の前に横たわる圧倒的な時間と空間に身をすくませて、深雪は泣き崩れる。

届かないものに手を伸ばし、眼前に広がる圧倒的な光景に打ち震えて涙がこぼれる。これはどこからどう見ても完璧な、新海誠の情景だ。風景と人物が一体となって呼び起こす情動。それについて美術作品集「空の記憶」のインタビューでこんな風に答えている。

描きたいのは、《ただの風景》というより人間を含めた情景なんです。特にそれを意識したのは『秒速~』第2話「コスモナウト」の花苗です。あの中で花苗は、絶望的な恋愛をしていて最後までうまくいかない。そこだけ切り取るとすごく悲しい話なんですけど、一歩引いてカメラで観てみると、彼女はとても美しい情景の中にいるんですね。つらい状況にあったとしても、それは情景としてはすごく美しくて、そしてつらいと感じている彼女自身がその美しさを構成する一部であるということを描きたかった。人が美しい情景に含まれていることを救いとして描きたい、そう思ったんです。

花苗が美しい世界に囲まれた祝福された存在であるという感覚をビジュアルで見せたいというのは、絵コンテのト書きにもメモしてあり、技術的にも『秒速5センチメートル』はハイライトと影の境目に彩度の違う色を足してマッチングを向上させるなど工夫が凝らされている。雨と情景、美しい世界との一体感、その身体性を含め、『言の葉の庭』に至る道程に澄田花苗という少女は立っているのだ。

雨の描写で言えば、『秒速』以後の『ef - the latter tale』オープニング、長編アニメーション『星を追う子ども』でも見られる波紋、晴れ間に落ちる雨は継続的特徴と捉えることができるかもしれない。

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おそらく新海誠監督は、波紋が広がるという意味を特別なものだと思っている。雨粒が水面に物理的に作用して波紋を広げることが、人との出会いだったり、自分が世界といかに関わっていくかということへのモチーフとして位置付けている気がするのだ。そうして関係を結んだ世界が表情を変える一瞬の時間こそ、眩い光の射す天気雨ではないかと思う。雨は決して陰鬱な気分にさせるだけのものではない。画面をグレーに染めるのが雨の役割じゃない。そんな信念を感じさせる作品が、2013年5月31日公開の『言の葉の庭』だ。

反射光や環境光を彩色に取り入れることで浮かび上がり、一方で輪郭線と一体化する技術的アップデート。雨の日の出会い、雨と駅のホーム、天気雨が演出する日常の中の非日常、日差しにさらされて立ち上る水蒸気、様々な場所へ映り込む水紋、ありとあらゆるコンセプトで雨を描き、ビジュアルの密度を高めた「雨と新海」の集大成。

本作が過去作と違うのは、かつて背景と共にあった雨が前景化し、モノローグ主体だった物語がダイアローグへと移り変わっていることだ。コミュニケーションの断絶ではなく、心の触れ合いを雨という題材によってこと細かに表現する。それとミカコ、花苗と受け継がれてきた雨の日の身体性を自覚的に用いているところも大きな違いだ。

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もしかしたら、道に迷ってしまった二人の「雨宿り」というテーマも『ほしのこえ』へのアンサーフィルム的な側面を持たしているのかもしれない。あのバス停の雨宿りは切ない思い出を象る遠いものとなってしまったが、タカオとユキノは心をぶつけ合い、自分の足で歩き始めている。たとえあの雨宿りが仮初めの場所だったとしても、雨の日に邂逅した二人は雨に救われて、ふたたび歩き出すことができたのだ。そこに後ろ向きな思いや障害はない。ロマンチック・ラブの否定とは違う出口に雨が降り始めた。この方向へ歩くどころか全速力で走っていった作品が、雨にかわって隕石が降ってくるという一大エンターテインメント、まだ記憶に新しい2016年の長編アニメーション『君の名は。』だ。

言の葉の庭』でとことん雨を降らせた反動か、『君の名は。』の雨のシーンは瀧が山上にある宮水神社の御神体へ向かうときの雷雨やクレーターの底を歩く一連、エピローグの一部くらい。水煙、波紋といった新海的雨表現は見られるものの、全編を見渡すと隕石がはっきり見えるよう晴れた映画である印象が強い。

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ただし、エピローグの雨から雪へと変わっているシーンの繋ぎは「桜花抄」の天候を再現しており、季節の移ろいとすれ違いを連想させる、心を揺さぶった雨だった。再会が叶うかどうかという場面で『秒速』のニュアンスを差し込んでくるあたり、抜かりない。

最新作『天気の子』は予告を"予報"としていたり、「まるで世界の秘密そのものみたいに、彼女は見える」といった『言の葉の庭』の予告を意識するように、「これは僕と彼女だけが知っている世界の秘密についての物語だ」というセリフで予報が締められていたりと、もうずっと長い間語られてきた「雨」と「世界の秘密」を新たな切り口で語り直す映画ではないかと思う。

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タイトルに「天気」と付けているだけあって、天気雨のイメージが豊富。自然現象としての天気雨を描いてきた作家が今度は超自然的な力で天気雨を降らせるのか。光と雨のコントラストが生み出す新機軸の映像表現に挑戦した雰囲気さえ漂うが、変わらないものもある。

新海誠が降らす雨は、時に人との約束だったり、夕立のアスファルトの匂いであったり、巡っていく季節の中で何かを運ぶ、あるいは待つという現象的象徴だ。雨の雲間に射す光は美しく、澄んだ青空にもいつしか雲がかかり、雨粒が水面に落ちて波紋が生まれる。その波紋は心を動かし、世界を紡ぐ。それだけは変わらない、たしかなものだ。加えて雨に付随する身体表現。『君の名は。』では瀧が三葉と入れ替わる度に胸を揉むくらい吹っ切れていたが、『天気の子』もなにやら仕掛けてくる気がしてならない。ユキノの採寸シーンを超える新海的エロスをフィルムに焼きつけて欲しい。

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秒速5センチメートル 特別限定生産版 DVD-BOX

秒速5センチメートル 特別限定生産版 DVD-BOX

 

*1:後に「雲のむこう、約束の場所」complete book、「新海誠Walker」にも収録された。

*2:秒速5センチメートル』DVD-BOXブックレットに掲載されている。

『シティーハンター2』17話の2人原画

『劇場版シティーハンター 〈新宿プライベート・アイズ〉』が封切りされた頃に書こうと思っていた『シティーハンター2』17話についてのエントリ。

それは以前、西村誠芳さんがこんなツイートをしていたことが発端だ。

性質の異なる原画が少人数で描いているため、絵柄やタイミングがシーン単位で変わり、誰が描いたのか一目瞭然だという現象は昭和~平成初期*1でよく見られた光景だった(量的には減ったものの、今でもある)。だから作画マニアだったり、特定のアニメーターを追いかけるファンには記憶されやすい傾向にあるのだけど、『シティーハンター2』17話「大和撫子志願!? モッコリは国境を越えて(前編)」はまた別の筋からも有名な回で、「ああ、これは2人原画だったのか」とちょっとした発見というか、驚きがあった。

持って回った言い方をしてしまったけれど、別の筋とは「警視庁の女狐」と呼ばれる美人刑事・野上冴子のお色気方面だ。冴子のサービスが顕著な17話Aパートは、ハイジャック犯への身代金受け渡しの役を買って出た冴子が、下着姿で犯人の目を引き付けておき、無線で確認するといって操縦室に連れていき、犯人の姿を捉えた冴羽獠がお得意の超ピンポイント狙撃で解決、と『シティーハンター』らしい流れ。重要なのは、普段ガードの堅い冴子が文字通り一肌脱いでいることだ。

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切迫した状況にもかかわらず、獠は冴子のブラ紐を正確に撃ち抜く神業を披露する。そして『シティーハンターTVシリーズ史上で唯一、冴子の乳首が露出する。

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カット頭のわずか2コマだけ薄く乳首が描かれているが、コマ送りなしで視認するのは困難だ。が、オッパイに懸ける情熱の賜物か、冴子のサービスカットと言えばコレという認識がされている(と思う)。

冴子のオッパイだけではなく、このAパートは西澤晋的見どころも多く、特に角ばったモブ描写がたまらない。

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工夫のある表現もいい。これは冴子がハイジャックされた旅客機に歩いて向かう際に起こる蜃気楼。

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真夏の直射日光によってアスファルトが熱せられて起こるゆらゆらとした蜃気楼や逃げ水は、撮影で行われるケースがよく見られる中、ここでは作画と組み合わせて再現。実体を掴ませない冴子のキャラクターが強調されている。実験的でおもしろい表現だ。

なお、BパートはAパートに比べ、アニメ的な誇張とコミカルな芝居が特徴的で2人原画の利点というべきか、方向性の違いをはっきりと見て取れる。後に超人的な作画スケジュールをこなす西村誠芳と今もってスケジュールを支え続けるコンテ職人・西澤晋が組んでいたというのは、妙に感じ入ってしまうところもあるけれど、それはまた別の話。

ちなみに、この記事では「シティーハンター」とカタカナで表記している作品名は、本来なら「CITY HUNTER」と書いた方がベターかもしれない。この表記揺れについてはアニメ様365日第354回『CITY HUNTER』に詳しい。ご一読あれ。

 

*1:シティーハンター2』は1988年4月から1989年7月まで放送されており、昭和から平成に移ったTVアニメの一本。

演出メモ①

5/23放送『アイカツフレンズ!』58話、6/2放送『キラッとプリ☆チャン』60話と短いスパンで絵コンテ・演出/大島克也の回が目を引いたのでメモ。

アニメ@wikiでざっとクレジットを読むかぎり、サンライズ制作出身の若手だろうか。まだ演出家としてのキャリアは浅いようだけれど、放送された話数はどちらも勢いがあり、見た目に楽しいアイディアが目白押し。

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例えば天翔ひびきがソルベット王国に入国できず、衛兵と言い争いになる場面。ひびきの後ろからラブリーフレンズ(秘書)が駆けつけて衛兵と対峙、遅れてピュアパレットの二人がスライドイン。剣呑な雰囲気がこのスライドによって和らいでいるし、画面中央からQTBしたのに、その中央へ再び視線を誘導するというのもギャグチック。シャルルへ向けた次のPANへの繋ぎにも一役買っている。

フレームインのアイディアは随所に見られ、

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キラッとプリ☆チャン』ではワイプにPANを合わせ、逆方向からキャラクターが入ってくる。場面転換+方向転換の合わせ技で「ここで何かが変わる」伏線的なカメラワークになっている。

また共通して見られたのは、カメラに寄って敢えてフレームを狭く使ったおしくらまんじゅうのようなカットや萌黄えものツインテールオバケ、ピュアパレットのはしゃぎすぎた雪遊びなど、ちょっとした笑いを誘う動き・表情。遊び心のある奥行き、空間設計も独創的。

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同大島演出回の『アイカツフレンズ!』43話にも目を向けると、天に向かって拳を突き上げるカメラ対空ショットもあるけれど、こちらは所謂ウルトラマンの変身バンクパロディに近いかもしれない。

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いずれにせよ、フィルムに対するテンションの高さは目覚ましく、チャレンジ精神溢れる演出は次も観たいと思わせるものばかり。今後の活躍が楽しみな演出家がまたひとり。

 

キラッとプリ☆チャン♪ソングコレクション~2ndチャンネル~ DX

キラッとプリ☆チャン♪ソングコレクション~2ndチャンネル~ DX