boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『めぞん一刻』89話の名脚色

長くテレ玉で再放送中の『めぞん一刻』が佳境を迎えている。

響子を巡るライバルの三鷹が大いなる勘違いによって明日菜とめでたく婚約し、これで一段落かと思いきや、お次は五代の彼女(だと自身では思っている)こずえの活躍(?)でまた一波乱……というところから始まるのが89話「結ばれぬ愛! 五代と響子今日でお別れ?」だ。

この話数にはシリーズの中でも一二を争うであろう、素晴らしい脚色がある。それは一刻館の庭先で五代がこずえにされたキスの弁解を必死に行う場面だ。

五代の「単純なテ」を警戒しながら、横目でちょっと可哀想なものを見るようなニュアンスの響子。この後に行う“いたずら”を想定した表情芝居であり、原作と比べるとアニメ版の解釈がより響子にフォーカスしたものだと分かる。

そして五代に目をつぶらせ、キスをすると思わせておいて、ほっぺたをつねる。何を期待していたんだと強制的に目を覚まさせるわけだが、音無響子音無響子たる所以は、ここからだ。

原作では目をつぶった五代の次のページで、いきなり響子からキスされている大コマに移るという“唐突感”で読者を驚かせているのに対し、アニメはもう一度“いたずら”を成功させるため、音で勘付かれるわけにはいかぬとばかりにサンダルを脱ぎ、まじまじと五代の顔を眺めてから響子が背伸びをする。やろうと思えば原作と同じく「不意を打つ」見せ方で通せたはずだが、おそらくアニメの意図としては、五代ではなく響子の側に寄り添い、その様子を丹念に描写することで面倒くさいだけではない、音無響子の愛らしさ、新たな魅力を引き出したかったのだろう。作り手の作品への入れ込みが伝わってくるようだ。

カット割りもいい。五代が引っ掛けようとした際、響子の背伸びをするカットがあったが、今度は上履きを脱いだ状態で足元を見せている(原作では脱いでいない)。いわばその「差異と反復」を最大限活かした格好であり、履物を脱ぐ、つまり「建前と本心」という意味合いにも含みをもたせた作りがじつに憎い。さらに細かいのは、突然のキスに呆然と立ち尽くす五代をよそに、一刻館へ駆け込む響子の上履きを置く芝居だ。サンダルを持ったまま部屋に入ってしまうほど熱に浮かされているわけでもなく、一定の冷静さを保っている。その客観的な視点が嬉しさ満点の五代とのギャップを生む。手抜かりのない演出の気配りだ。

作画監督は毎回抜群の修正が光る中嶋敦子、絵コンテ・演出/澤井幸次。『めぞん一刻』の終盤は澤井、鈴木行チーフディレクター吉永尚之がローテーションで入魂といってもいいだろう見せ場のある回を作っており、それは後の『機動警察パトレイバー』や『らんま1/2』に繋がっていく。人気作の監督を務めているにもかかわらず、なかなか語られる機会のない作り手のすぐれた仕事。これからも折を見て書いていきたい。