boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『恋は雨上がりのように』 #3 雨雫の表現

f:id:tatsu2:20180126141308p:plain

勢いで告白してしまった夢から醒めたあきら。勘違いされたという失敗の念が強いのだろう、髪は千々に乱れ、苦い表情。起き上がり、ベッドから出ようとしたとき、右足の剥がれかけたペディキュアが目に止まる。あきらは除光液とハートの形をしたネイルのボトルを取り出して、ペディキュアを落としながらつぶやく。

「ありがとうってなに。もしかして私、なにか間違えた?」

ここまでが『恋は雨上がりのように』第3話のアバンタイトルだ。いつも心憎いアバンで始まる本作にあって、これは殊更にまた暗喩めいている。「ハートの雫」を使って、もう一度塗り直す(告白をやり直す)というのだから。第3話のサブタイトルは「雨雫」。アバンを見ても分かる通り、様々な「雫」をキーとし、陸上への思いと近藤への思慕、あきらの想いを受けた近藤の戸惑いを追ったものになっている。

たとえばAパート、陸上部の後輩に誘われて部活を見学するあきらは、思わぬ会話の流れからファミレスに来ようとする後輩に「来ないで」と語気を強めて拒んでしまう。そして走り去る場面、俯瞰であきらと陸上部のメンバーを捉えたストップモーション。そこに浮かぶ雫。

f:id:tatsu2:20180126111018p:plain

上空から降り出した雨が地面に落ちる直前、空中にある雨粒をイメージ的に入れ込む。陸上への未練がありながら、時間を止めてしまっているあきらの比喩であり、泣き出しそうな胸の内を「止まった雫」で表現しているわけだ。

雨に打たれながらあきらが向かったファミレス。その告白シーンでは近藤の時間が停止する。

f:id:tatsu2:20180127100652p:plain

土砂降りの雨音が消え去り、あきらの呼吸と足音、滴り落ちる水の音だけが聞こえてくる刹那の静寂。そこからの繋がりもいい。Bパート冒頭、車の中でタバコを吸う近藤の目の前で動くワイパー、拭き去っても後から後から降ってくる大きな雨粒。告白が雫となってオーバーラップしてくる、という構成だ。

ここで伏線的に盛られていた缶コーヒーをタバコの吸殻入れにしてしまう描写。羅生門の一節をそらんじて現実味のない、どうしようもないことだと思っていながら、まだ入っているコーヒーに灰を落とす。それが回収されるのはBパート後半、あきらを送っていく車内のシーン。あらためて好きだと大声で叫ばれ、動揺からコーヒーに口をつけてしまい、あきらのことばかり考えていた自分にハッとする。

f:id:tatsu2:20180127103941p:plain

車内のラスト、震えたあきらの腕に窓ガラスをつたう雨雫の影を映すカットが秀逸。どうしていいか分からない、返事を待っている。そんな心理を沈黙のまま補う表現だ。今回の絵コンテ・演出は助監督を務める河野亜矢子。この文学的で情緒溢れる仕上がりは脚本と演出の合わせ技だろうか。あの手この手で攻める「雫」をまた見たい。

 

『恋は雨上がりのように』 #1 

渡辺歩監督の新作『恋は雨上がりのように』。

初回放映の後、すかさず原作を読み直してしまった。原作を大胆に再構成しているのに、違和感がない。17歳の女子高生・橘あきらは45歳のファミレス店長である近藤正己の何に惹かれたのか。原作以上にスムーズな導入かもしれないな、と思った。

WIT STUDIOの贅沢な作画表現には惚れ惚れするばかりだし(当たり前のように椅子を引いて座る……!)、何より演出の構想力がすばらしい。思わず感嘆の溜息が漏れたのは、あきらの瞳に水滴が映りこんだカットを観たときだ。

f:id:tatsu2:20180113004114p:plain

近藤と初めて出会った雨の日。あきらのみつめる先には、雨と共に芽生えた恋心がある。そして遡っていくあきらの記憶。曇り空が耐え切れず泣き出した冷たい雨、目の前にあったファミレス。そこから現在の休憩室に時間を戻すのも上手い。現在と過去をカットバックしていく度に刺激される五感。雨とコーヒーとワイシャツの匂い……鮮やかな構成のアレンジ。これには舌を巻くほかない。

f:id:tatsu2:20180112162458p:plain

イメージ喚起力も際立っている。あきらを包む炭酸の泡のようなヴィジョンと何度も登場する水滴。その交感がもたらす恋の陰影、潤い。アニメの出来栄えにしろ、物語にしろ、こんなものを毎週観てしまっていいのかという気持ちになる。だから、近藤が見せる中年の悲哀は緩衝材に丁度いい。真っ直ぐなあきらの視線を堪えるには近藤というバッファが必要だ。渡辺歩監督はなかなか前に踏み出せない中年の男をこれからどんな風に振り向かせるのか。楽しみで仕方がない。

 

『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』感想

先週の土曜日、公開初日に『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』を鑑賞。何も調べず劇場に足を運んで正解だった。これは未成熟な面映いラブストーリーであり、サービス精神に溢れた舞台探訪型ロードムービーだ。

近年、京都アニメーションは「コミュニケーションと変化」を描く作品を数多く制作してきた。本作も扱っている核は「変化」にある。そして同じ恋愛劇でも『たまこラブストーリー』と違うのは、「付き合ってからの変化」を描いていること。富樫勇太と中二病小鳥遊六花はこれから先も一緒いられるのか。いつまで中二病を続けられるのか。純無垢のままではいられない――そんな変化への逃避行。

とはいえ、そこは石原立也監督。シリアスに振りすぎず、逃避行の影で行われるファンサービスが特徴で、『たまこまーけっと』のうさぎ山商店街を訪ねたり*1、ゲームセンターの景品にデラがいたりと(『無彩限のファントム・ワールド』のルルも?)、趣向を凝らした楽しい仕掛けがたくさん用意されている。

とりわけ目を瞠ったのは『涼宮ハルヒの消失』を彷彿とさせるファミレスのシーンだ。勇太と十花の緊迫した問答、外で鳴り響く踏み切りの音。これは『消失』の公式ガイドブックで明かされた「踏み切りによる境界」の音響*2。それをほぼそのまま使っているのだ。いわば演出レベルのセルフオマージュ。しかしそこからの変化がおもしろい。十花が来ていることを知らない六花はドリンクバーで複数のジュースを混ぜて新しい飲み物を作り、境界を混淆とさせる。その緩さが石原流。もしかしたら、ある種の演出ギャグだったのかもしれない。驚かされたと言えば、航空機。今の時代に手描きの航空機! ここに注力をするのかと感心してしまった。もちろん、人物芝居にも手抜かりはない。たとえば、六花の部屋に十花が現れた際、去り際に勇太の妹である樟葉の頭をポンと触っていくカット。表面上は怒っているようでも、慈愛に満ちた本心が隠されているのだと伝わる心情芝居にホッとしたことを覚えている。

シリーズの最終章として物語も綺麗にまとまっているし、個人的にはエンドロール、メインスタッフの並びがいいなあと思った。キャラクターデザイン・総作画監督池田和美、絵コンテ/石原立也、演出/石原立也武本康弘、北之原孝將と流れていく。つまり90年代からスタジオを支えてきた屋台骨と言える顔ぶれだ*3。作品の舞台を巡り、スタッフとスタジオのフィルモグラフィーに思いを馳せる。そして露になる「変化」するものとしないもの。重層的な感慨があった。

ただ、あの映画の冒頭で行われるフォトセッションだけは何回観ても慣れない。背中がムズムズしてしまう。『リズと青い鳥』にも設けられるのだろうか……

 


「映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-」本予告

*1:響け!ユーフォニアム』の久美子がよく座っていたベンチ、Key原作の舞台とされる御坊、札幌や龍飛崎なども巡っている。

*2:パート演出を担当したのは高雄統子

*3:木上さんも多田文雄名義で原画のトップクレジット。

「若林信仕事集2」を読む

コミックマーケット93頒布、サークル・アニメ風来坊より発行された『若林信仕事集2』。発行責任者及び編集は若林信。TVアニメ『エロマンガ先生』第8話絵コンテ集だ。独特なスタイルであるのは、コンテの上に直接フキダシを重ねて解説文を書いていることだろう。

部分的に見えづらい文字もあるが、解説とコンテを一つの誌面に収めるという取り回しの良さ(映像と見比べたり、メイキングブックとしての手軽さ)は他のコンテ集にないアドバンテージ。言うなれば「絵コンテコメンタリー本」であるわけだ。特長的なアニメーターの仕事、脚本からの変更点、重要なシーンの演出意図などが記されており、ファンにとっては堪らない述懐が散りばめられている。

f:id:tatsu2:20180102082148p:plain

たとえばcut279*1。 ラストシーン、紗霧がカーテンに手を伸ばす前のACTION欄に書かれた「勇気を出して!!」という言葉。その解説は「ト書きでも何でもないですが気に入っています」。そうそうこういうものを読みたいんだ、と思った。描き手の心模様が不意に紗霧と同調しているかのよう*2

本作の強みでもある「紗霧カット」もそうだ。8話の当該カットはcut223,225。

f:id:tatsu2:20180102082926p:plain

何故このカットを紗霧アニメーター・小林恵祐にやってもらいたかったのか――「。」を付けるためだという。グラスを飲んで皆の姿を嬉しげに見つめる正宗のカットは絶対に必要であると力強く語られている。本書の素晴らしさは「誰が描いてくれたのか」に加えて、その成果、狙いが克明に記されていることだ。設計図に直筆の解説書が付属しているのだから、読み手の胸もつい騒がしくなる。

また、面白いのは「癖として地味かつ重くなりがち」と言いながらも、開放的なレイアウトやアニメ的な表現を意図的に取り入れようと工夫している点。

cut54、広角の紗霧。ト書きには「昔のアニメみたいな」(押井アニメ的な?)。

f:id:tatsu2:20180102085845p:plain

 cut166、牧野秀則パート。自分にはないアニメ表現でとてもありがたかった、との解説。

f:id:tatsu2:20180102090906g:plain

 『若林信仕事集1』(謎の彼女X第6話)を読み返してみると、共通しているのは作り物ではない自然な間、呼吸と効果的な構図の追求、ドラマへの客観的な視線だろうか。記号でカットを割らず、人物の佇まい、心理描写を意識しながら、感情の温度を絶えず見つめている。踏み込みは鋭いが、優しさを忘れない。映画的なイメージを志向しつつも、フィクショナルの力を知っている。

とても楽しみ甲斐のある秀抜な同人誌だ。読めば読むほど若林信という人を深掘りしたくなる。『エロマンガ先生』が特集されたアニメスタイル012と合わせて読めばなおよし。「仕事集」シリーズの続刊もぜひ、お願いしたい。

 f:id:tatsu2:20180102081420p:plain

 

アニメスタイル012 (メディアパルムック)

アニメスタイル012 (メディアパルムック)

 

*1:ここでは絵コンテのカットナンバーに拠る。実際にはこのコンテに掲載されていないカットが足されているため、本編映像とはナンバーが異なるかもしれない。

*2:cut270、正宗が「情けないよな」と言うカットから、ラストまで中島千明パート。