boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

「復讐の赤い牙」のインパクト

木村圭市郎さんの逝去。仕方がないことだけれど、やはり寂しい。思えばインタビューやイベントで拝見するたび、気迫のこもった口調にたじろぎながらも、その豪快な人柄にどこか励まされていた。生涯現役を標榜し、やり遂げようとする生き様に憧れていたのかもしれない。

そんな木村さんの仕事で最も印象深いのは『タイガーマスク』だ。勢いがあり、メリハリを重視したタイミングで繰り広げられる立体的なアクション。巨漢の悪役レスラーが迫ってくる重量感、それを華麗なテクニックで手玉にとる軽業師のような体捌き、荒々しい描線とともに目に焼きついて離れない。わけても途轍もない衝撃を受けたのが、演出家・新田義方とタッグを組んだ回だった。アヴァンギャルドな画作りを狙う新田演出とパワフルな木村作画のコンビネーションは抜群で『タイガーマスク』で作画監督/木村圭市郎がクレジットされた12本のうち、新田義方とは5本でタッグを組み、傑作を作り上げている。個人的に忘れられないのは第21話「復讐の赤い牙」だ。これはタイガーマスクへの復讐を胸に秘めるマイク・ブリスコと反則攻撃をしないと心に誓ったタイガーのフェアプレー精神が激突する男臭いエピソード。ぶつかりあった末に友情を結び、互いに救済される話の筋もいいのだけど、なんといっても画面のインパクトが凄まじい。

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ミスターXが横柄な態度を取るのはいつものことだが、その足裏を映し、パカッと割れた中から現れるアイディア! 度肝を抜く構図とパース感だ。さらに乱闘シーンではエキセントリックな色使いの止め絵をフラッシュカット気味に繋ぐ。鋭角的なポージングも決まっていて、作画・演出の双方から「攻め」の気配がビシバシ伝わってくる。そしてケレンある派手な画を見せる一方、リアルな表現も追及する。

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揺らめくランプがジャイアント馬場に照り返す(吉松孝博さんによると映画『ウエスタン』を下敷きにしているのだとか)、顔面の凹凸を意識したライティング。TCJ制作の『遊星仮面』('66~67)でも似た表現を見た記憶があるので、実写的なライティングが試されていた時期だったのかもしれない。

それに『レインボー戦隊ロビン』のキャラクターデザイン/作画監督を任されているように*1、木村作画は少女も可憐だった。「復讐の赤い牙」の後、盲目の少女ちずるが目の手術を受ける27話「虎よ目をひらけ」。

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手術が成功し、世界を見る喜びを花から生まれるイメージのビジュアルに起こし、軽やかに跳ねるちずるは東映ヒロインのそれだったし、写真的な空(想像ではない本物の空を、という意図が強い)を背景にする意欲的な試みも新田演出らしい。

木村さんは演出家のコンテをかなり変えてしまっていたため、『タイガーマスク』の途中からクレジットされなくなり、東映を離れたことを明かされていたけれど、それは非常に残念に思う。シリーズ後半に現れた幻の脚本家・柴田夏余と木村、新田コンビが組んだ話数を一話でいいから観たかった……これは自分のワガママだ。

オトナアニメCOLLECTION いまだから語れる70年代アニメ秘話~テレビまんがの時代~

オトナアニメCOLLECTION いまだから語れる70年代アニメ秘話~テレビまんがの時代~

 

*1:キャラクターデザイン原案は石森章太郎。看護婦ロボットのリリは今日的な「属性」を数多く持った先駆的なヒロイン。ロビン、リリに関しては窪詔之回の人気も高い。

『SSSS.GRIDMAN』導入部の演出/情報量

謎に満ちていて、否応なしに引き込まれてしまう。目と耳を凝らして何かないかと探ってしまう。雨宮哲監督の『SSSS.GRIDMAN』は用心深く、視聴者を刺激する。

中でも、物語の導入部にあたる第1話「覚・醒」の演出はじつにミステリアスだった。記憶喪失の主人公である響裕太がクラスメートの宝多六花の家で目覚める場面、その唐突な展開に驚かされた一方、引っ掛かったのはセルで描かれたプロップの情報量。

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リビングをハイアングルで収めたカットは新旧の電話機、ソファー、テーブルなどの大きな家具、散らかった小物にいたるまですべて実線のあるセル。祐太が顔を洗うために向かった洗面所もセルで埋め尽くされ、歯ブラシが3本あったり、棚に並べられた洗面用具、洗剤が意味深だ。そんな風に思えるのも、「何が動くか(重要か)分からない」セルの情報量*1と「何が起こったのか分からない」祐太の状況が重なっているからにほかならない。「記憶喪失」を逆手にとった過剰な情報供与だ。

畳みかけるように、モニターにグリッドマンが見える祐太と記憶喪失を信じられない六花の噛み合わないジャンプカット。

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「間」を省略し、掛け合い漫才のようなテンポ感が可笑しみを与えているが、内容は継ぎ接ぎだらけ。微妙に画面がガタつき、ジャンク製品に囲まれた空間であることも皮肉めいている(太股の眩しいサービスカット的要素もある)。記憶はないがグリッドマンを知覚する祐太と「何が起こったのか知っている」六花の互いに持っている情報の隔たり。それは跳躍しても繋ぎ合わせられないということだろう。

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続くジャンクショップ「絢」前~祐太のマンションのシークエンスは、コミュニケーションの境界をレイアウトで表現、同時に電柱/電線の存在感が異彩を放つ。これは『電光超人グリッドマン』が電線を伝って移動していたことを思い出させるファン泣かせの意味合いに加え、境界線は引かれていても何処かで繋がっているイメージを狙っているのかもしれない。何より重要なのは、この世界の空には電線が架かっているという画の説得力だ。

振り返ってみれば、本作のファーストカットは電線の架かった空とは対照的な遮る物のない青空だった。そして学校の手すりに寄りかかって外を眺めていた新条アカネの伏目がちな表情の後、タイトルが表示される。

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無味乾燥のイメージを与えるコンクリートが画面の下半分を埋める、アカネの内面的バックショット。墜落防止の手すりに身体を預ける、退屈そうだったアカネが空を見上げるという行為自体、暗示的かもしれない。

また、導入部(日常パート)に音楽を付けていないのも、言い換えれば音楽によって感情を制御しない、ということだ。映像と効果音によって感情のグラデーションを付ける。読めないがゆえに嵌れば効果の大きい、尖った制作スタイル。つまりプロップにしろ音楽にしろ、情報を与えるところとそうでない部分を明確に分け、作品全体の情報量を巧みにコントロールしている。これは誰あろう、庵野秀明監督が得意とするメソッド*2だ。

特撮、怪獣、円谷、庵野秀明という文脈を辿り、その先に雨宮哲監督はいったい何を仕込んでいるのか。それが好奇心をかきたててやまない。

SSSS.GRIDMAN 第1巻 [Blu-ray]
 

*1:今 敏監督の「東京ゴッドファーザーズ雑考」より、端的にセルの効果を分析している文章を引用する。

“顕著な例は部屋の中である。部屋にある小物類が背景で描かれていると、「身の回りに在る」という実在感が希薄になる。またティッシュやコップが背景で描かれていると、当然それは「動かない」ものとして映り、画面から臨場感や活気のようなものを奪うことが多い”

*2:2000年刊「アニメスタイル」第1号ロングインタビュー「庵野秀明アニメスタイル」参照。

TROYKAの遮断機/七海燈子の踏切

 『やがて君になる』は演出に凝ったアニメだ。小糸侑と七海燈子、ふたりの心情を様々なフレーム、境界線によって描き出そうとしている。そのひとつ、「踏切」についての小話。

踏切は電車や人々が行き交う日常的な場所でありながら、「線」が多く、心理的距離を映すにはうってつけで、時には待ち時間(遮断された世界)まで発生する演出的特性に溢れた空間だ。第2話「発熱/初恋申請」Aパート終盤の踏切シーンは、その特性を存分に使った印象的な場面になっていた。

フィルターワーク、スローモーションのアイディアもさることながら、特に目を引いたのはローポジション、ローアングルで見上げる遮断機のカット。「まぁ仮に女同士じゃなくたってわたし…好きになるとか、ないですけど」という侑の台詞に合わせて、真上から遮断機が降下。遮断桿が下降位置のブレーキで弾んで停止するのに合わせてカットバック、急に立ち止まる燈子にぶつかる侑、という連鎖的な繋ぎが秀逸。燈子の心のような踏切、弾む遮断桿はまるで燈子の琴線。原作通りのシチュエーションをより比喩的な演出で膨らませている。

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ここで思い出したのが、同じTROYCAが制作した『Re:CREATORS』第1話の冒頭だ。駅のホームを力なく歩くセツナのロングショットの後、遮断棹を垂直に固定したまま回転降下するトリッキーなカット。 

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奇妙に流転する世界、本来下にぶら下がるはずのテープが横になびく、物理法則の逆転。被造物、引いては物語の属性を暗示する遮断機。踏切を生かした演出は数あれど、こんな意味深な遮断機のカメラワークは見覚えがないな、と感心してしまった。だから『やがて君になる』の当該シーンは「TROYCAの遮断機にまたやられた」と思った。尤も、加藤誠監督は『Re:CREATORS』の副監督でもあり、多少意識的に設計している気もするのだけど……それはまあ、考えすぎかもしれない。

『色づく世界の明日から』と篠原俊哉のポッキー

P.A.WORKS×篠原俊哉の新作『色づく世界の明日から』が始まった。魔法の使える社会で魔法が使えず、幼い頃に色覚を失ってしまい、灰色の世界を見つめてきた少女・月白瞳美が祖母の時間魔法によって突然60年前へと渡るファンタジックな作品だ。

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第1話Aパートで瞳美は過去へと時間移動することになるが、そこで気になるプロップがあった。彼女が手に持っているポッキーだ。花火の約束をした祖母を待っている間、瞳美はポッキーを口にする。そして時空を超えるバスに乗車しているときにも少しかじり、現金を持っていなかった瞳美は運賃代わりに箱ごと手渡す。Aパートを通して微妙に時間を持て余している雰囲気であるとか、持っていて自然な表現としてポッキーが一役買っており、なんというか演出的な趣向が感じられた。

それもそのはず、じつは篠原俊哉監督は(妙な言い方で申し訳ないけれど)名うてのポッキー使いなのだ。監督作である『凪のあすから』18話と各話演出で入った『Charlotte』(12話、ED)でも印象的な小道具として登場しており、興味深いなと思っていた。

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ポッキーがどんな性質を持ったアイテムか考えてみると、まずCMの影響(歴代のトップアイドルや女優が起用されている)もあってか、美少女と相性がいい。画的に可愛らしく、くわえたり持っている姿が様になる。また、携帯に適しており、食べるとポキッと軽快な音が鳴る。つまりリアクションが付けやすく、カット内の契機にしやすい。これは演出上便利だなと思う。他方で、「食べかけのまま戻せる」という“機能”を備えているお菓子だ。

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例を挙げれば、『Charlotte』12話の奈緒は食べかけのポッキーを箱に戻し、有宇に渡している。ひょっとすると見逃してしまいそうなロングショットの芝居だが、「恋人になる約束」「能力の略奪」に「食べかけのポッキー」を加えることで奈緒の心理描写を深めているわけだ(鏡の使い方もテクニカルなシークエンス)。

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『色づく世界の明日から』にも食べかけたポッキーを戻している場面がある。待ち合わせに祖母が来たところと、(箱の中に戻す芝居は描かれていないが)おそらく戻していると思われるバスの席から立ち上がるシーンの二箇所。これは「そういうの、どうでもいい」と言って祖母に「あなたの悪いクセよ」とたしなめられているように、食べかけであるかどうかなんてどうだっていいと心を閉ざしている表現かもしれないし、あるいは過去への時間移動に引っ掛けて「戻す」ということ意図した芝居なのかもしれない。いずれにせよ、解釈の余地を残す、暗喩的な使われ方だ。バスを降りるシーンでは円筒形の箱の底から映すアングルを利用して「2078.9」を見せているのも効果的(わざわざ説明しない)で、映像演出におけるプロップの活用例として面白いものだった。

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次はいったいどんな形で用いられるのか、篠原俊哉監督のポッキーに乞うご期待。