boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

高木弘樹さんのエミ

アニメーターの高木弘樹さんが亡くなられたという話を聞いた。正直、信じられない思いで一杯だ。あまりにも突然で心がざわめき立っている。

高木さんの膨大な仕事の中で一番心に残っているのは、ぴえろ魔法少女シリーズ、とくに『魔法のスター マジカルエミ』だ。15話「風が残したかざぐるま」の可憐なシェリー、ドタバタコメディのパワフルさが魅力の20話「危険なシャッターチャンス」、井上敦子さんとふたりで描かれた最終話「さよなら夢色マジシャン」のステージシーンなど、高木さんの絵はシャープでキレが良く、ファンの目から見て特徴的だった。

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アニメアール、じゃんぐるじむ、亜細亜堂による強力なグロス体制が整っていた『マジカルエミ』にあって、亜細亜堂のアクションといったら高木弘樹(エミの途中でグラビトンへ移籍)。『クリィミーマミ』の仕事も質、量ともにすばらしいけれど、『エミ』はさらに洗練された巧さが光っていたと思う。

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その集大成がOVA『蝉時雨』冒頭のステージシーンかもしれない。高木さんの描いたエミの中でも最高のひとつだと思っている。今観ても大胆なタイミングと動きの華麗さはまったく色褪せていない。

後に企画された証言集「いまだから語れる80年代アニメ秘話~美少女アニメの萌芽~」収録、菊池通隆×高木弘樹×糸島雅彦のアニメーター鼎談を読むと、高木さんが安濃高志監督や望月智充監督の演出スタイルに深い理解を示していたのだと分かるし、天才・洞沢由美子を語る口調は滑らかで、それも忘れられない。その一方、ビークラブスペシャル「魔女っ子倶楽部」のイラストコラムでは『魔女っ子クラブ4人組』に痛烈な批判を浴びせ、(もうあの子達を引っ張り出すのはやめてくれという)複雑なファンの心境を代弁するなど、自分の主張は言葉を濁さずはっきり言う。そんな高木さんの姿勢に、多少なりとも救われた気分になったことを覚えている。

『エミ』の他にも、『機動警察パトレイバー』(とりわけNEW OVA)や『BLEACH』であるとか、印象的な仕事を挙げていけばキリがない。今はありがとうございました、という言葉しか出てこない。本当に信じがたい……

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の色使いと設計

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の画作りには圧倒される。風になびく髪の柔らかさ、皺の描き込み、繊細な表情芝居……TVアニメの水準はどこまで引き上げられるのか。見ているこちらが心配になってしまうほどだ。そんな高密度の画作りを支える重要な要素のひとつに色使いがある。キャラクター本体のノーマル色、影色、シーンカラー(夕暮れ、室内etc)に加え、周囲の環境やオブジェクトからの照り返し、反射色を使った設計が特徴的。

この光と色の設計で思い出すのが新海誠作品だ。2007年公開の『秒速5センチメートル』の時点でハイライトと影の境目に彩度の違う色を足す試みがなされていたし、環境光、間接光を用いた反射色で塗り分け、キャラクターの輪郭線も同色の色トレスという『言の葉の庭』(2013)を忘れるわけにはいかない。風景と人物の一体感が生み出す独特の叙情性、それが新海誠の構築した手法だった。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に話を戻そう。本作は主人公であるヴァイオレットが世界をみつめ、愛を知る物語だ。ゆえにヴァイオレットが見る色、照らす光はそのままテーマと結ばれる。つまり人と出会い、その色を知っていくことだ。たとえばC.H郵便社に勤める自動手記人形のひとり、エリカ・ブラウン。緑を基調とした装いでデザインされており、第2話は彼女の持つ「緑」が画面を覆っていた。

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ヴァイオレット自身も同色のスカートをはき、各所に配置された緑の中で働く。そこには自動手記人形として共通する思いや、エリカ個人の心情を滲ませる意図もあったはずだ。第3話は養成所で知り合うルクリアの色。赤みがかった髪、煉瓦作りの学校、鮮やかな夕景が世界を彩り、ルクリアと兄の記憶を辿る。

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そうしてキャラクターと舞台の色彩を重ね、語られた思いを感情の表現力に乏しいヴァイオレットが感受する。人の気持ちを学んでいく。それが物語に設計されたコントラストであり、反射色だ。 

本作の色彩設計は『Free!』『映画 ハイ☆スピード!Free! Starting Days-』の米田侑加。世界観の絵筆である美術監督には渡邊美希子。このふたりは『小林さんちのメイドラゴン』を担当したコンビ。シリーズ演出に抜擢された藤田春香も色や影付けにこだわる演出家で、より自然で高度な光のコントロールを志向しているようだ。そして画作りの緻密さに比べて、物語の主題には過剰な装飾を施さない石立太一監督。これからヴァイオレットにどんな光を当て、色を見出だしていくのだろうか。楽しみだ。

 

『恋は雨上がりのように』 #3 雨雫の表現

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勢いで告白してしまった夢から醒めたあきら。勘違いされたという失敗の念が強いのだろう、髪は千々に乱れ、苦い表情。起き上がり、ベッドから出ようとしたとき、右足の剥がれかけたペディキュアが目に止まる。あきらは除光液とハートの形をしたネイルのボトルを取り出して、ペディキュアを落としながらつぶやく。

「ありがとうってなに。もしかして私、なにか間違えた?」

ここまでが『恋は雨上がりのように』第3話のアバンタイトルだ。いつも心憎いアバンで始まる本作にあって、これは殊更にまた暗喩めいている。「ハートの雫」を使って、もう一度塗り直す(告白をやり直す)というのだから。第3話のサブタイトルは「雨雫」。アバンを見ても分かる通り、様々な「雫」をキーとし、陸上への思いと近藤への思慕、あきらの想いを受けた近藤の戸惑いを追ったものになっている。

たとえばAパート、陸上部の後輩に誘われて部活を見学するあきらは、思わぬ会話の流れからファミレスに来ようとする後輩に「来ないで」と語気を強めて拒んでしまう。そして走り去る場面、俯瞰であきらと陸上部のメンバーを捉えたストップモーション。そこに浮かぶ雫。

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上空から降り出した雨が地面に落ちる直前、空中にある雨粒をイメージ的に入れ込む。陸上への未練がありながら、時間を止めてしまっているあきらの比喩であり、泣き出しそうな胸の内を「止まった雫」で表現しているわけだ。

雨に打たれながらあきらが向かったファミレス。その告白シーンでは近藤の時間が停止する。

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土砂降りの雨音が消え去り、あきらの呼吸と足音、滴り落ちる水の音だけが聞こえてくる刹那の静寂。そこからの繋がりもいい。Bパート冒頭、車の中でタバコを吸う近藤の目の前で動くワイパー、拭き去っても後から後から降ってくる大きな雨粒。告白が雫となってオーバーラップしてくる、という構成だ。

ここで伏線的に盛られていた缶コーヒーをタバコの吸殻入れにしてしまう描写。羅生門の一節をそらんじて現実味のない、どうしようもないことだと思っていながら、まだ入っているコーヒーに灰を落とす。それが回収されるのはBパート後半、あきらを送っていく車内のシーン。あらためて好きだと大声で叫ばれ、動揺からコーヒーに口をつけてしまい、あきらのことばかり考えていた自分にハッとする。

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車内のラスト、震えたあきらの腕に窓ガラスをつたう雨雫の影を映すカットが秀逸。どうしていいか分からない、返事を待っている。そんな心理を沈黙のまま補う表現だ。今回の絵コンテ・演出は助監督を務める河野亜矢子。この文学的で情緒溢れる仕上がりは脚本と演出の合わせ技だろうか。あの手この手で攻める「雫」をまた見たい。

 

『恋は雨上がりのように』 #1 

渡辺歩監督の新作『恋は雨上がりのように』。

初回放映の後、すかさず原作を読み直してしまった。原作を大胆に再構成しているのに、違和感がない。17歳の女子高生・橘あきらは45歳のファミレス店長である近藤正己の何に惹かれたのか。原作以上にスムーズな導入かもしれないな、と思った。

WIT STUDIOの贅沢な作画表現には惚れ惚れするばかりだし(当たり前のように椅子を引いて座る……!)、何より演出の構想力がすばらしい。思わず感嘆の溜息が漏れたのは、あきらの瞳に水滴が映りこんだカットを観たときだ。

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近藤と初めて出会った雨の日。あきらのみつめる先には、雨と共に芽生えた恋心がある。そして遡っていくあきらの記憶。曇り空が耐え切れず泣き出した冷たい雨、目の前にあったファミレス。そこから現在の休憩室に時間を戻すのも上手い。現在と過去をカットバックしていく度に刺激される五感。雨とコーヒーとワイシャツの匂い……鮮やかな構成のアレンジ。これには舌を巻くほかない。

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イメージ喚起力も際立っている。あきらを包む炭酸の泡のようなヴィジョンと何度も登場する水滴。その交感がもたらす恋の陰影、潤い。アニメの出来栄えにしろ、物語にしろ、こんなものを毎週観てしまっていいのかという気持ちになる。だから、近藤が見せる中年の悲哀は緩衝材に丁度いい。真っ直ぐなあきらの視線を堪えるには近藤というバッファが必要だ。渡辺歩監督はなかなか前に踏み出せない中年の男をこれからどんな風に振り向かせるのか。楽しみで仕方がない。