boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『さすがの猿飛』28話の回し蹴りメモ

NHK NEWS WEB 京アニ・つなぐ思い」のページに11月25日付けで「子どもに夢を ~“天才アニメーター” の素顔~」という記事が掲載された。これはアニメーター・木上益治の軌跡を辿る貴重な証言集。その中であにまる屋時代の同僚・奈須川充さんが『さすがの猿飛』の思い出を語っていた。

須川さんの思い出に残っているのが、テレビアニメ「さすがの猿飛」、第28話「ミカの愛した英雄バイク」。原画を担当した奈須川さんは、作業が間に合わず、木上さんに助けを求めました。快く引き受けた木上さんが描いたのは、主人公の猿飛肉丸がヒロインらに蹴られるシーン。演出の絵コンテにはただ単に「蹴る」としか指示が書かれていませんでしたが、木上さんはその「蹴る」という動作を膨らませ「回し蹴り」として描き出すことで、ダイナミックなシーンに作り上げていきました。どんな些細なワンカットにも一工夫を加え、クオリティを高めていくことに木上さんは徹底してこだわっていました。

 28話で肉丸が蹴られるシーンはAパート、美加がバイクでやってきてからの一幕。

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一見すると天丼のギャグカットだが、ワンカット内に3アクションを入れた贅沢な設計で、魔子の回し蹴りは、踵をターンさせ、蹴る瞬間わずかにジャンプする飛び後ろ回し蹴りだ。

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蹴りを放つ前の予備動作・ポージング、(蹴り脚の)足首の角度や空中姿勢、蹴られた肉丸の崩し方とオバケなど、細かいこだわりがふんだんに盛り込まれている。タイミング的には有名な16話のかすみ(肉丸の母)が肉丸を蹴るカットに近く、見比べてもいいかもしれない。

余談として、28話「ミカの愛した英雄バイク」まで猿飛のあにまる屋回は原画がスタジオ名で統一されており、次の35話から個人名がクレジットされる。けれど、そこに木上益治の名前はない。つまり、シリーズ中一度もクレジットされていないアニメーターなのだ。にもかかわらず、その仕事ぶりが関係者から語られる。京都時代も複数の名義を使ったり、ノンクレジットの仕事が多かったが、猿飛はじつに"らしい"な、と思う。

関連:WEBアニメスタイル もっとアニメを観よう  ■ 02/06/27 第2回 井上・今石・小黒座談会(2)

『ちはやふる3』の汗と浅香守生

6年ぶりのTVシリーズ第3期、『ちはやふる3』を観て思うことは、ひたすら純粋に「面白い」だ。競技かるたに懸ける情熱も、青春群像劇の中で絡み合う恋模様も、ずっと観ていたくなる。原作の勘所をつかまえる抜かりなさ、緊張感を孕みつつ、テンポ良く進める手際の鮮やかさ。浅香守生監督の『ちはやふる』はそう、そんなアニメだったと改めて思い出させてくれた。

浅香守生監督の作風について、印象深い言葉がある。それはマッドハウスの重鎮、川尻善昭監督のインタビューで出てきたこんな言葉だ。

──血と汗の匂いが画面からも伝わってくる感じがするので、少女漫画『ちはやふる』に携わられていたのが凄い意外だったんです。
川尻:昔やった『エースをねらえ』も少女漫画ですよ(笑)。
──『エースをねらえ』は演出されている出崎(統)さんの汗くささを感じる部分もあるんですが、『ちはやふる』はそういった雰囲気があまりないので意外だったんです。
川尻:それは、監督の浅香(守生)君の力量というのが凄くあります。作品に男の汗くささというのがない人ですから。

 ジャパニメーションを作った男 インタビュー川尻善昭(Rooftop2014年12月号)

「作品に男の汗くささというのがない人」という一文を読んで、何かストンと腑に落ちた気分になったことを今でも覚えている。演出デビュー作の『YAWARA!』、初監督作の『POPS』、代表作に数えられるであろう『カードキャプターさくら』はもちろん、太い眉毛と濃い顔つきの男子高校生を主人公にした異色の少女漫画『俺物語!!』にしても、汗くさいとは思わなかった。とはいえ、これは個人的な印象の話であって断定するものではないし、原作の雰囲気を大切にしていることゆえの必然かもしれない。

と、ここからが本題。つい先日放送された『ちはやふる3』の第4話と第5話(2話連続放送だった)は、まさに汗が迸る熱戦の連続。そこで描かれた「汗」ついて、すこし触れてみたい。

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吉野会大会A級準々決勝、綾瀬千早 vs 猪熊遥。元クイーン相手に苦戦を強いられる千早が、「ちは」を送って零れる一筋の汗があった。原作19巻の同シーンと並べてみよう。

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落ちていく汗にカメラワークを合わせ、千早の汗により強い決意を滲ませる。「ちは」は、作品上最重要といってもいい札であり、卓越した「感じ」を持つ相手からすれば格好の狙い札。それを送るということがどんな意味を持つのか、千早が何を胸に秘めて戦っているのか、汗が流れ落ちる"間"に託しているわけだ。時間をコントロールし、原作の絵を再現しながら膨らませる、映像/アニメーションならではの表現といえる。

試合が進み、ふたたび千早の頬を汗が伝って落ちるのは、「ちは」を取られてリズムを崩した猪熊遥が復調し、女王の頃の耳を取り戻しつつあるシーン。

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原作のコマ割りを踏襲したカット割り、違うのは光と影を使った汗の動き。無邪気な猪熊の笑いに対し、相手の強さへの畏敬か、あるいは嬉しさか、不意に笑みがこぼれる千早。「互いに笑っている」というのは、空札なのに札が動いてしまって「風圧ですよね」と二人揃って主張して笑い合う、次の取りへの伏線的な表情だが、アニメの方では千早が笑う前に光が当たっているところから汗が伝い、桜沢と理音が並んだカットを挟み、汗が影中へ伝って落ちる動きにもポイントを作っている。アップダウンの激しい試合展開、その喜びと怖れ、二重の意味付けを行う心憎い演出だ。

光から影へ伝う汗があるならば、影から光へと伝わる汗もある。

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決着となる「しのぶれど」の札が読まれる直前、千早が目を開き、コントラストの強い画面へと変わっていく最中、読手の口元をクローズアップ、光が広がっていき、読手のカットバック、千早のフラッシュカット→取り、と繋がっていく。よく見ると千早の頬の汗に光が掛かった瞬間にS音を発する読手の口元へとカットが切り替わっている。非常に細かいが、対比的/逆転的に汗を見せていることが分かる部分だ。

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勝負後に汗を滴り落とすのは、負けた猪熊遥。これは原作にはない画で表情は見えず、顎先から零れる汗は涙のようにも感じさせる。この猪熊のカット効いてくるのが、「衰えてくるといやになってやめてしまうものよ」と理音に話す桜沢の涙だ。零れるものと零れないもの、汗と涙、綾瀬千早と猪熊遥、猪熊遥と桜沢翠、反復と対比を様々な人間関係に重ね合わせ、見せていく。

他方で、こんな使われ方もしている。

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運命戦となった真島太一と須藤暁人の一戦、最後の決まり字が読まれるとき、画面が暗くなりポツンと汗が落ちたようなエフェクト入り、迷わず敵陣を攻めた太一が勝つ。もうひとつの戦いの汗、それがだれのドラマを示すものだったか、言わずもがな、伝わってくる。

ちはやふる』の試合に汗は不可欠だ。手に汗を握って応援し、汗を拭いながら耳を澄ます。その汗を、浅香守生監督は時にキラキラと光らせ、時に深い影の中に落とす。記号的にするのではなく、工夫と感動を持って、ドラマの助演に仕立て上げる。以前、『マッドハウスに夢中!!』というムックで真崎守監督が「散らしモノのリアリティ」*1を思いつくかどうかが、企画に乗るコツかもしれないと語っていたが、浅香守生監督の「散らしモノ」を見るに『ちはやふる』は最適な作品だ。浅香守生のリアリティ、「汗」はたぶん、そのひとつなのだろうと思う。

マッドハウスに夢中! (Oak book)

マッドハウスに夢中! (Oak book)

 

*1:「僕と彼(丸山正雄)が好きなのはね、チャンバラ映画なんかを見てて、マントをつけた旅人とかがよく出てくるでしょ。それが風が吹くとヒラヒラする、というあのリアリティー。それから木の葉とかの散らしモノ。ああいった細かな演出や、マントがヒラつくかどうかが、僕たちが企画に乗るコツかも知れない」p.76

『バビロン』2話の演出について

平衡感覚という言葉がある。比喩的にも使われるが、からだのバランスを敏感に察知し、それを保つ感覚のことだ。であるならば、野崎まどの同名小説をTVアニメ化した『バビロン』第2話に登場する平松絵見子こと「曲世愛」(まがせ あい)は、人の平衡感覚を失わせる能力を持った女、と言えるかもしれない。

第2話「標的」はかなり特殊なスタイルのエピソードだった。主人公である正崎善の部下・文緒厚彦が突然の自殺を遂げ、その死に疑問を持つ正崎が見つけた平松という女性。特殊と書いたのは、平松に行われる事情聴取の演出に対してだ。階段を上っているのか下りているか分からない平松の的を得ない受け答えを大胆かつ官能的に、そして意図的に「奇を衒って」描いている。

■異なる3つの画面アスペクト比/カラースクリプト(ライティング)

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 「標的」を特徴付けている最も前面的な演出は、シーンに合わせたアスペクト比の変更だろう。正崎による事件の調査と平松への聴取が交互が入る構成に対し、前者を通常のワイド画面、後者を上下黒帯の疑似的なシネマスコープサイズにしている。加えて後半では(仮定上の)回想の場面に4:3のノーマルサイズを用いて平松の性的な人物像を煽り、それぞれの光、色味に差を付けることで、文字通り色も形も定まらない印象を強調。奇怪な女という情報のみが増えていく。

 ■彷徨い、見つめる視線/クローズアップ

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平松の奇態な振る舞いの中で特に効果を上げているのが、視線の運動だ。じっと睨みつける正崎をはぐらかすように視線を彷徨わせたかと思えば柔和に、しかし底知れない視線でまっすぐ見つめてくる。それはまるで相対する人物を観察し、何かを探っているのかと思わせる視線。聴取は最終的に平松の質問を受けて終える形になるが、じつは聴取が始まった時から調べられていたのは正崎の方だったのではないか、そんな疑問を抱かせるのだ。

それを強く感じさせるのが、クローズアップのサイズ。何度もインサートされる「観察的」なクローズアップは徐々に接近し、超クローズアップと呼ばれるサイズまで寄ってくる。迫っている対象は、おそらく相手の「本質」だ。そして忘れてはならないのが視線の運動に不可欠な瞬き(目パチ)の使い方。閉じる動作そのものをカット割りの"糊代"にしたり、心に潜り込んでいく契機のように見せたりしながら、きわめつけは聴取のラストカット。

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平松と正崎のリンクした瞬き。相手の呼吸とぴったり合わせる、つまり平松のセリフの通り、「正義とは何か」を問うことが正崎の本質(作品の大テーマ)であると探り終えたかのよう。正崎は何も掴んでいないに等しいにもかかわらず、だ。非情なまでに皮肉めいている。

■方向性/遠近の逆転、混乱

富野由悠季「映像の原則」でも書かれている有名な原則のひとつに「方向性」がある。かいつまんで言えば「視線・動きの方向性そのものが意味を含んでいる」ことであり、映像表現の基礎的な(富野的といってもいい)話だ。

この『バビロン』第2話を見ても方向性は概ね整理されて始まるが、ポイントはやはり逆転のタイミング。

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3度目の聴取シーンは天井に埋め込まれた室内機のパネル越しの俯瞰でスタートし、左右の方向性のみならず、見下ろし、見上げる視点と次々に切り返し、逆転していく。視線の運動とも密接に関係しながら、複雑な方向性を編んでいくが、それに「意味があるのか」と思わせるところが肝だ。方向性が意味を持っているのならば、正崎の方向性(質問)は意味を成していない。注意を引き付ける空調の音といい、空間的対話的混乱を引き起こすシーンだ。

続いて逆転を許してしまうのは、画面サイズとライティングが通常に戻った最後の聴取。調書にサインする代わりに正崎の話を聞かせて欲しいと願い出る平松。

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扇情的にも見える平松の唇や手振りのクローズアップから方向性を入れ替え、被写体はズーム、背景は引きながらアオる変形ドリーズーム。さらには、捕まえた獲物を逃がさないかの如く迫り出してくる分割ショット。どれだけ接近したのかと思えば、当たり前だが距離は変わっておらず、縦に切られた壁の線(溝)を見ると、正崎の方に空間的余裕があるレイアウト。にもかかわらず、わざと「スペースのある檻」に入れてあげたのだと思えるほど、方向性(主導権)は逆転している。すべては知らず知らずのうちに接近を許し、懐に入り込まれてしまう心理的掌握術の演出。ひどく巧妙というほかない。

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画のアイディアにも驚かされる。性行為について訊く際どい口腔内(から撮っている風の)カット、価値観の違いを認め合うべきかを問う「首切り(合体)分割」など、主導権を握る平松の優位性をあの手この手で見せつけてくる。一見、対話のバランスを保っているようでいて、その実、正崎が既に精神的な平衡感覚を狂わされていることの証左だ。

絵コンテ・演出は、富井ななせ。ネットの情報を調べると、演出家としてのキャリアはまだ浅い様子で、そのスタイルは殆ど知られていない。第4話の絵コンテも担当し、視線に対する敏感さや会話シーンにおける画面分割、アイロニー・メタファーの一部に共通性を見い出せなくもないが、TVシリーズの場合、監督の演出方針による影響やコンテチェック、修正も入るため、出来るならもう少し仕事を眺めてから個性を感じとりたいところ(本文中で触れていない部分で言えば、平松の独特な話し方のリズム、間芝居が指定通りか否か、キャストの演技プランとの兼ね合いなど)。

曲世愛の正体を知るのが先か、富井演出の真価を見るのが先か。たしかめられる日を首を長くして待ちたい。

 

バビロン 1 ―女― (講談社タイガ)

バビロン 1 ―女― (講談社タイガ)

 

木上益治とプロレス

詳しい素性はわからない。けれど、非の打ち所がないその実力はファンならだれでも知っている――それが木上益治という人だった。

監督を務めた『MUNTO』シリーズのDVD特典でオーディオコメンタリーに出演したり、メイキング映像に顔出しをしている以外、ほとんど露出がなく*1京都アニメーションに来た経緯などをわずかに周辺のスタッフが話す程度で、多くは謎に包まれていた。

そこへスポットを当てたのが、「週刊女性」2019年10/22号(10/8発売)掲載の記事。専門学校時代から京都アニメーションに入社するまでの経緯を関係者に取材し、まとめたものだ。興味深い話ばかりだったが、個人的に気になったのはあにまる屋に所属していたときのプロレスに関する部分。

 あにまる屋は別名“野獣屋”と呼ばれる、一風変わったアニメ会社で、毎日のように近くの寿司店で飲み会を開いていたという。

「普段は口数が少なくて黙々と仕事をする木上さんでしたが、酒は飲むほうでした。

 アントニオ猪木やアニメの悪口を聞くと、暴力まではいかないけれども、ピュッと酒をかける(笑)。大友克洋さんと『AKIRA』の仕事をしたとき、絵にこだわる大友さんが殴られたという噂があってね。“だったら、あにまるの連中に違いない”という話になって、うちでは○○ということになって、木上の可能性は限りなくゼロだけど、真相は不明です(笑)」

 みんなプロレス好きだったので、蔵前の国技館などに新日本プロレスの観戦に行くことも。社屋の大家さんに頼んで福利厚生施設としてスペースを借りトレーニング器具を置いて、身体を鍛えたこともあったという。

「木上くんは、筋トレはそれほどしなかったけれども、観戦は大好き。ある夜、真っ暗な会社に忘れ物を取りに戻った社員がいて、薄暗い中で彼がプロレスのビデオを見ていたそうですよ」(本多さん)

アニメの悪口を聞くと、酒をかける

木上益治のプロレス好きというトピックは、例えば京アニスタッフブログ「THE☆アニメバカ一代」でも書かれていて、人となりを知れるおもしろい趣味だなと思っていた。

ところで、八木さん。

私は初代タイガーのデビュー戦を81年に蔵前で観戦しました。

ああ、あまりにもなつかしい…

レンズ☆熱

ここで書かれている初代タイガーのデビュー戦とは1981年4月23日に蔵前国技館で行われた伝説のタイガーマスク vs ダイナマイト・キッド戦のことだ。また、この日のメインイベントがアントニオ猪木 vs スタン・ハンセンであり、それは「週刊女性」の記事で語られている『怪物くん』へと繋がる。

 あにまる屋時代の先輩でいまもフリーで映画監督を続けている福冨博さん(69)も、木上さんのすごみを語る。

「画の線がきれいで、迷いがないのが特徴。『超人ロック』では僕が監督で、彼がレイアウターをやったんですが、画の直しはいっさいなかった。

『怪物くん』では原作にないプロレスのシーンを作って入れたけど、原作の藤子不二雄(A)さんからはまったくクレームもなかったですしね。

 彼はもともと『バットマン』や『スパイダーマン』などのアメリカンコミックに憧れてこの世界に入ってきたようです。大人向けのものも描けるし、子ども向けも描ける、数少ない天才ですよ」

画の線がきれいで迷いがない

福冨監督が話されているプロレスシーンのある『怪物くん』で有名なのは1982年2月9日放送の125話「カミキル博士とハイタ氏(前篇)」だろう。このエピソードは劇画調のプロレスラーが多数登場する異色の話数として知られ、上述の猪木やハンセンをモデルにしたキャラクターも出てくるのだ(木上益治は原画でクレジットされており、プロレスシーンを担当したと思われる)。

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アニメーター・木上益治の肉体的なアクション感覚の原点は、この辺りにある気がしてならない。 洗練されたアクションを描く一方、乱闘的なシーンを設計して賑わいのある画面を作る、というのも特徴のひとつではないかと思う。近年(京都アニメーション元請以降)の作品で関連する作品、パートをいくつか挙げてみると。

■『フルメタル・パニック? ふもっふ』(2003) 7話「 やりすぎのウォークライ」

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■『けいおん!!』(2010) 4話「修学旅行!」

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 ■『日常』(2011) 6話「日常の第六話」

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実際の動きにどこまで手を入れているかは分からないものの、木上調とも呼べるタメツメ、タイミングがあることはたしか。プロレス技の応酬となった『日常』6話は、木上益治×プロレスの集大成的な話数。元々プロレスネタの多いマンガだが、プロレス好きの血が滾ったのか、アニメ版はより細かく描写されており、鹿へのジャーマン・スープレックスは背後を取る動きといい、ダイナミックさといい、非常に臨場感あるシーンに仕上がっている。さらに言えば、蔵前で観戦したという初代タイガーマスクのデビュー戦で、タイガーが決め技に使ったのが、ジャーマン・スープレックスホールドである。描くべきして描かれたという気もするから不思議だ。

そして、『怪物くん』のプロレスシーンに見られる(福冨流)回り込み+走り作画も、形を変えて受け継がれている。

■『たまこまーけっと』(2013) 9話「歌っちゃうんだ、恋の歌」

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 ■『響け!ユーフォニアム』(2015) 12話「わたしのユーフォニアム

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この「上手くなりたい」と心の中で叫んで走り出す黄前久美子は、続けて「だれにも負けたくない」という気持ちを吐露する。それは木上益治にも通ずるものがあると思うのだ。

日本代表「白井健三」の床運動の演技に驚きました。

 「シライ」と命名されるかもしれない「後方伸身宙返り4回ひねり」

 人がこれほど高速の回転を人力のみで出来るものなのか?
私には何回ひねったのかどう回転したのかまるで確認できませんでした。

 観る力が衰えたのか、体操選手の技術が進んだのか…
どちらにせよ作画出来そうもない。

 意味不明な敗北感でテンション下がりぎみです。

シライ☆ひねり

 

三好は最近、仕事をしていて手元で進む仕事に違和感を抱くことがあります。
「これは私が描いた原画なの?…」と。

つまり、ぼんやりしていると、いつの間にか原画が上がっている…
今終わらせた仕事の過程が曖昧で、はっきりと思い出せない…
こういう症状で考えられるのは… ボケ… いやいや、そんな訳はない。

これはそう…昔、寝ている間に妖精が現れて代わりに仕事してくれないかなー、とか思ったことがあったけど、ちょうどそんな感じ…
ストレスが無くていいのだけど、でも何かおかしい。

勿論、遣り甲斐もあり充実しているのですが若い頃に感じた、バカみたいな衝動が希薄になっている… そのせいか?

何故だろうと考えた時に、あることに気が付きました。

これは技術を持った体が勝手に仕事をしているのだ、と。

体が私を蔑ろにしたことで心が仕事から離れてしまっているのだ、と。

これはまずい!
職人には絶対必要な「慣れ」あるいは「熟れ」ではありますが、気持ちの乗っていない仕事では観る人に伝わらない。

心底反省!

何とか主導権を体から取り戻して若かった頃のように「当たって砕けろ的創意工夫」を常に心掛け、仕事に向き合いたいと思います。

慣れ?☆ボケ?

 『Free!』のハイカロリーな泳ぎや『無彩限のファントム・ワールド』のリンボーダンスにも顕著なように、文章からも様々な人体の動きを観察し、追及していることが窺い知れる。何より凄いのは、常に何かと戦い続け、技術向上を怠らないプロ意識とその姿勢だ。プロレスはそんな戦うアニメーターにとって、格好の相手だったのかもしれない。

今回はプロレスを切り口に追ってみたけれど、木上益治という人の仕事の、これはほんの一部だ。まだまだ、語られていない"覆面"があるはず。シンエイ、あにまる屋時代の作品から観直して、じっくりと確かめていきたい。

 

第1話 怪物くん登場

第1話 怪物くん登場

 

*1:例外的なイベントとして、2011年に「京都アニメーション・スタッフ座談会−アニメーション制作の現場から−」に登壇している。