boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『リズと青い鳥』の下校シーンとシンクロ

凛とした朝の空気の中、軽快な足音が響く。鎧塚みぞれはその音を聞いて、傘木希美の気配を察する。校門から聞こえてくる足音は、物語の始まりを告げる音だ。そして校門につづく階段を降りる足音、これはふたりの少女が鳥籠から出ていく音。『リズと青い鳥』は音によって象られている。

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不思議に思っていたことがある。ふたりが下校するラストシーン、どうして会話の時系列だけ別にしているのだろう、と*1。食べたいものを互いに言い、「ありがとう?」「なんで疑問形なのっ」という登校シーンのやりとりを反復した後、階段を降りるふたりのカットでようやく映像と一致する。けれど、足音は映像にはめてあるのだ。この足音についての意図は劇場パンフレットのインタビュー等で明かされている。

冒頭とラストのシーンは、希美とみぞれの足音が音楽になっていくようなイメージなんです。この足音は音楽の牛尾さんがコントロールしてくださっているのですが、偶然、二人の会話がシンクロする瞬間に二人の足音も重なったんです。

DISCUSSION 種崎敦美×東山奈央×山田尚子(『リズと青い鳥』パンフレットより)

足音を音楽のように鳴らし続け、シンクロの瞬間の小さな奇跡をより響かせる。本作らしい美しいエピソードだが、大切にしたいのは「シンクロ」という観点だ。

細かく見ていこう。下校シーンはみぞれが階段を降りるところから始まる。直前の二つの色彩が混ざり合うカットから希美のセリフを先行させているため、既に画面と会話は非同期。つまり「非シンクロ状態」でスタートしているわけだ。映像とシンクロするのは、校門を出てしばらく歩いた後の階段を降りる途中。希美は振り返って「みぞれ。私、みぞれのソロ、完璧に支えるから。今は、ちょっと待ってて」と話しかける。

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ここではいくつかの意味合いを受け取れる。このセリフは「丁寧に自分の心を解く」とト書きにあるように、希美にとって非常に重要なものだ。対してみぞれは「私もオーボエ続ける」と返答する。映像は同期(通常に戻っている)したが、はたしてみぞれの答えは希美の真意とシンクロしているのだろうか。様々な解釈があっていい場面だ。また登校シーンとは逆に希美がみぞれを見上げ、「鳥籠」の校門を先に出たみぞれ、「心の階段」を先に降りた希美という対比的な構図も出来上がっている。

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「本番、がんばろう」

二人 同時に同じこと言って

みぞれ 覚えたてを使ってみる

「! ハッピーアイスクリーム!」

希美 わからない…

「何? みぞれアイスが食べたいの? じゃ、アイスにするか。決まりーっ」

リズと青い鳥』 録音台本 p.165-166

先に引用したインタビューに出てきた「二人の会話がシンクロした瞬間」とは階段を降りて、ふたりが歩いているときのことだ。ズレていた足音が重なり、非同期から始まった会話も同期するという複層的なシンクロのレイヤーが感動を呼ぶが、もうすこし作品に寄り掛かってみたい。

というのも、序盤のシーンでみぞれは「本番なんて、一生こなくていい」とつぶやいていた。「はやく本番で吹きたい」希美とは正反対だったのだろう。それが希美と一緒に奮起の言葉を口にするようになったのだから、これは立派な成長だ。けれども、みぞれの"性質"に注目すると別の見方が浮かび上がってくる。ヒントは録音台本にある「覚えたてを使ってみる」というト書き。みぞれには雛のインプリンティングを思わせる、印象的な言動*2を真似する癖がある。代表例は図書委員だ。

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図書委員は本の返却期限を守らなかったみぞれに対して、何度も「~ですけど」口調でしっかり職務を全うする物言いをする。すぐにその真似をして希美にジョークを放つみぞれは微笑ましく、さらに後ろをついて歩く様子と重なって「雛鳥」のイメージが形成されていく。要するに「ハッピーアイスクリーム」はみぞれの雛的な面が表出したセリフだということだ。ただ、ここで考えてみたいのは、それを発話するに至った「本番、がんばろう」。希美は作中、口パクで「がんばろうね」とみぞれに言っていたり、「本番楽しみだね」と声をかけている通り、発言に不思議はない。問題はみぞれで、たしかに成長の意味は強いだろう。しかしインプリンティングの性質からすれば――もしかしたら希美が言うかもしれないこと、あるいは口に出しそうなことを、希望を込めて(真似して)言ってみたのではないか。

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図書委員の真似をしていたときと同様、横位置でやや身を乗り出して興奮している様子からも、シーンの共通性は伺える。もちろんこれはひとつの見方に過ぎないが、心憎いなと思わせてくれるのは「じゃ、アイスにするか。決まりーっ」の次カットだ。

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みぞれがしばしば見せる嬉しさの感情表現としての目を瞑った表情、そして、希美の表情変化に目を向けると。

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静止画にすると瞭然、希美が一瞬、後ろにいるみぞれと似た表情をしているのだ。みぞれが希美のようなことを言い、希美がみぞれのような顔をする。台本のト書きをそのまま汲めば「ハッピーアイスクリーㇺ」がどういった言葉なのか知らない希美と、知っているみぞれの間にはまだズレがある。それでもなお、重なっていると思わせる表情のシンクロ。おそらく希美が目を閉じた時間をあと数コマ長くすれば、視覚的にわかりやすくなっただろう。何故そうしなかったかと言えば、セリフ・足音のシンクロと合わせ、「まばたきするほどの時間」だけ重なっているように感じさせたかったからではないかと思う。ラストシーンにいたっても徹底的に「非シンクロ」状態を維持するのも演出なら、一瞬にハッピーエンドの"気配"を込めるのも演出だ。互いの顔を見ていないところで同じ顔をしている――それを観客だけに伝える。けれども、足音に休止符が打たれる最後のカットは互いの顔を見合った、振り返ってみぞれを見る希美だ。

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「ビックリのみぞれ」が見ている希美の顔は、観客の想像とシンクロしているのか。ふたりのシンクロ/非シンクロが、ふたりの未来を想像する観客への問いに変わる。『リズと青い鳥』は繊細極まる、ガラス細工を思わせる作品だが、軽やかなターンで振り返った希美への解釈にはグッと体重を預けてもいい。決してひとつの答えに集約しないからだ。まばたきするほど短いシンクロに、ずっと思いを乗せて考え続けることができる。

たとえば、だ。台本のト書きには反するが、仮に希美が「ハッピーアイスクリーム」を知っていて、知らない振りをしているとすればどうか。みぞれとの出会いをよく覚えていないと言っておきながら、廊下を歩きながら思い出していたように。その場合、ズレがひとつ解消され、シンクロがひとつ重なる。表情の意味を再考する必要が出てくるし、振り返った意図にも何かを加えなければならないだろう。思えば『リズと青い鳥』は姿が見えないまま、響く足音から始まった物語だ。 見えないからこそ、足音ひとつ聞き漏らさないよう耳を澄ませる。画面には映っていない、見えない希美の顔。ピンと鳴る最後の音は、そんな見えないものへ希望をおくる、優しい視線だったのかもしれない。

*1:パッケージ特典の録音台本にも「別時系列」と明記してある。

*2:登校シーンのみぞれは行動的に希美を真似ている。

「アニゲー☆イレブン」あおきえい出演回の新房格言

BS11「アニゲー☆イレブン!」3月6日放送回に『ID: INVADED イド:インヴェイデッド』のあおきえい監督、キャラクターデザイン・総作画監督を務める碇谷敦の両名がゲスト出演。

あおき監督による絵コンテの極意を説明する(実現可能であるか/面白いか、面白くないか)コーナーや碇谷敦の格闘シーン解説など、ファン向けに踏み込んだ内容もあり、楽しく視聴していたのだけど、メモしておきたいのは【制作チームを運営する秘訣!】と銘打たれた話題で新房昭之監督の名前が出てきたときのこと。

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僕の大先輩の新房さんというアニメ監督さん、新房昭之さんという『化物語』とか『まどか☆マギカ』とかの監督さんが仰ってたんですけど、「テレビシリーズというのは穴の開いた船だと。だから出航したら沈んでいく運命なんだと。穴が開いていて皆で水をかき出して、なるべく一回出航したら止まらないで最後まで目的地にたどり着くんだって。たどり着かなくて沈没しちゃったらNGで、ちゃんとなんとかたどり着いたらOKですよ」というのを前に聞いて、本当にその通りだなっていう風に思いますね。

不思議と馴染み深い話のように思えて記憶をたぐっていたら、これは「アニメスタイル 2000年 第1号」で庵野秀明監督が語っていたものと同様の組織論だった。

何度も言うようだけど、基本的にはアニメって穴の開いた船だから。沈む前に港に着けるかという、それだけなんですよ。そのためには排水作業をどうするかという、ダメージコントロールでしかない。最悪の事態を想定して、それに対処するためのシフトを作っておくだけなんです。まあ、それは組織論の基本でね。アニメの場合、それをあまり考えていない人が多い。

庵野秀明アニメスタイル P.81

紙面には【「月刊アニメージュ」(徳間書店)90年4月号の『ふしぎの海のナディア』の取材記事でも、同様の喩え話で、アニメ制作について語っている】という注記があり、庵野監督が言う通り、都合何度か話しているようだ。なので、それが新房監督の知るところとなり(全くの別口の可能性もある)、あおき監督に伝わっていてもなんらおかしくないのだが、まさかこんな場所で庵野秀明の言葉が迫ってくるとは思ってもいなかった。ちなみに現在、日曜0時からBS日テレで『新世紀エヴァンゲリオン』が再放送されており、同日0時30分よりBS11で『ID: INVADED イド:インヴェイデッド』が放送中。面白い偶然もあるものだ。

アニメスタイル015 (メディアパルムック)

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『秒速5センチメートル』の明滅と点滅

1995年3月4日、大雪の降りしきる中、遠野貴樹は離ればなれになった篠原明里に会い行った。これは『秒速5センチメートル』第1話「桜花抄」の出来事だ。映画の公開が2007年3月3日だから、いま振り返れば作中の時間経過より長い月日が流れたことになる。

そんな"記念日"に『秒速』を観ていて、この映画はあらゆる場面で明滅と点滅が繰り返されているな、と思った。たとえば冒頭、タイトルが表示される直前のカット。

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「タカキくん、来年も一緒に桜、見れるといいね」というセリフの一瞬後、貴樹の視界を遮る車両の窓ガラスに反射するフレアの明滅。非常に意味深かつ新海誠的としか言いようのない光の操り方だが、意識して見ていくと、明滅/点滅が使われているシーンの多さに驚かされる。

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下校風景の輪郭を鮮やかに切り取った夕焼けをバックに灯りだす街灯、点滅する洗濯機の操作パネル、十字路に埋め込まれたマーカー、何処にでもあるような日常の中で光が消えたり、点いたりしている。さらに印象的なのが蛍光灯や街灯のフリッカー現象(チラつき)の再現。

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これらは単独で見れば点描であり、作品を彩る美しい情景のひとつだ。描写そのものは携帯電話の着信や警報器の点滅が暗示的だった『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』にその原型を見い出すことができる。しかし『秒速』の凄まじさ、ある種のフェティシズムまで昇華されていると思えるのは、アバンからラストシーンまで明滅と点滅が画面にずっと残っていることだ。「接続と分断」のミクロ的表現であり、また「同じ光が照らし続けるわけではない」とすれば、何かしらの予兆を滲ませた別離的時間表現とも言えるかもしれない。留まることなく流れていく時間が、貴樹と明里の距離を遠くしていく。屋外シーンの増える第2話「コスモナウト」では種子島に吹く風と常に一定ではない波もその役割を任されている。「半年ぶりに波の上に立てた日」(告白の勇気が灯った日)が決定的な断絶の日になってしまう、その"点滅"の切なさ。発射されるロケットが眩い光点となり、それを見上げていた時間だけは同じものを感じ、同じ光に照らされていたという展開も、じつに新海誠監督らしい。

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そしてドラマのクライマックスは勿論、主題歌「One more time, One more chance」のアウトロが流れる中で、冒頭と対になる小田急線を挟んだフレアと警報器の明滅。

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 「明滅」と「点滅」は、普段点いているか消えているか、その状態の違いで区別するらしい。だとすれば、貴樹がすれ違った女性は本当に「アカリ」だったのか。二人の行く末を灯す光は最初から点いていたのか、いや消えていたのか。カット終盤のフォーカス送りも絶妙だ。「いない」ところへ送られるフォーカス、まるで『秒速5センチメートル』という作品自体を示唆しているように感じられるからだ。

ブックレットにはこうある。

上手く言えないのだけれど、例えば何かが失われた、あるいは最初から"ない"と感じているとして、それをそのまま描こうとしていたのが本作だった。

新海誠作品を俯瞰すれば、"ない"状態を完全に覆したのが『君の名は。』であり、「雨」を通して状態の是非を問うた作品が『天気の子』かもしれない(状態に抗った作品が『星を追う子ども』と位置付けてもいい)。『秒速』はそれを受け入れて、歩き出すまでの物語だ。ゆえに、だれもいない踏切のラストカットがパンフォーカスであることに安堵する。視界が狭く、明里しか見えていなかった子供の頃。成人し、社会人になっても踏切の向こうに、おぼろげなアカリの姿を見つけ振り返ってしまう。しかし"いない"ことを見届けて前を向く貴樹の心情を反映する、最後の風景は手前(いま)と奥(思い出)両方にピントが合い、「秒速5センチ」で桜の落ちる踏切――本来の演出意図はどうあれ、あの踏切には観客の心を映す機能が備わっているように思えてならない。来年観たとき、アカリは点いているだろうか、消えているだろうか。自分の感想が、すこし楽しみだ。

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秒速5センチメートル 新海誠絵コンテ集 1

秒速5センチメートル 新海誠絵コンテ集 1

  • 作者:新海 誠
  • 発売日: 2017/08/05
  • メディア: 単行本
 

演出メモ/『22/7』7話 絵コンテ・演出/森大貴

性質的にTVアニメは予期せぬ出会いが起こりやすい。

『22/7』(ナナブンノニジュウニ)第7話「ハッピー☆ジェット☆コースター」は集団食中毒という突発的でエキセントリックな導入から、まさしく予期せぬ物語になった好例だ。主役は一人食中毒を免れた戸田ジュン。倒れたメンバーの穴埋めに東奔西走する羽目に陥っても、ジュンはへこたれず次々と仕事の難題をこなしていく。22/7のメンバーとして「いま」を走るジュンが人知れず背負ってきた「過去」の出来事、そして躊躇いのないヴィヴィッドな演出の数々。この話数に於けるもう一人の主役は、その演出だと言ってしまいたいくらいだ。

回想が始まってまず目に飛び込んでくるのが、逆光で咳き込むジュンと鮮やかすぎる青一色に染められた空。

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影色と青による強烈なハイコントラスト。ジュンはずっと影の中にいる。日向を歩いていても心には影が落ちているのだろう。雲ひとつかからない澄み切った青空が、翻って逃れられない病気への諦観、運命の残酷さを印象付ける表現になっており、ジュンにとっての過去は「影を落とす」ものであると静かに告げる。

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暗闇をただ歩くだけだったジュンを変えたのが、同じく影の中にいながらいつも楽しげな少女、松永悠。光と影の境界で空を見上げていたジュンに「人生は遊園地だと思う」という教訓を与え、文字通り人生を照らす存在になった。病院の屋上でかくれんぼをするジュンが光へと"落ちる"シーンは皮肉的であり、感動的だ。

映像のアクセントになっているのは、ジュンの心模様を示す様々な花のモチーフ。

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病院のベッド脇に飾られた芍薬は5月生まれのジュンの誕生花。

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花のモチーフはカラオケのディスプレイに流れる映像や悠にあてた手紙の柄にも使われており、非常にシンボリック。ラストシーンで満開になった芍薬からジュンがこっそり握り締める手紙へのモンタージュが示す通り、悠という光を受けて「戸田ジュン」が開花するまでを描いた一篇とも言える。

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またシンボリックな画作り/演出で技巧的だったのが、雨のシルエットと屋上のバックショット。

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光を失ったジュンが逆光の中で泣き腫らし、ふたたび影を背負う。最初の回想パートでは空の青さが責め立てる逆光だったが、ここでは夕陽がその役を負っている。重要なのは雨のシルエットと逆光によってジュンの「輪郭」だけが浮き上がり、中身=心が抜けたように見えることだ。

ゆえに、慌ただしく走り回る「いま」のコミカルな「戸田ジュン」と合間に立ち止まり、自分自身を冷たく見据える「戸田ジュン」の二面性が際立ち、エピソードに奥行きが生まれている。

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「ハッピー☆ジェット☆コースター」はその愉快なサブタイトルとは裏腹に、「光と影」のレイヤーを構造/演出上にいくつも盛り込んだ野心作だ。ユニークであり、見方によっては酷薄な物語を描き切った演出家は森大貴。個人的には映像感覚やモチーフに山田尚子監督『聲の形』('16)を思い出してしまった。

けれど、もしかしたらそれは舞台設定や表現の上澄みを汲み取った印象に過ぎないのかもしれない。絵コンテ・演出を担当している過去作、『僕だけがいない街』6話、『FateApocrypha』9話などを観直すチャンスは今だ。

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