boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『恋は雨上がりのように』 #8

「続きが読みたいとも思いました。」

これは補習を受けていたあきらが、【あなたは下人のとった行動をどう思いますか? 自由に書きなさい。】という『羅生門』の問題に対して、「下人の勇気が、今後の彼の人生にプラスに働けばいいなぁと思います。」と書いた後に加えている一文*1

本作の楽しみのひとつは原作からの「翻案/再構成」を読み込むことだ。それでいうと第8話「静雨」は、“勇気”を主題に据えて構成されたエピソードだった。たとえば、吉沢を気になっているユイが前髪を切ってあげようかと声をかけた勇気、あきらのことを気にかけているはるかが、元サッカー部のキャプテン・山本*2から貰った勇気。ギクシャクした関係が続いているはるかを夏祭りに誘ったあきらの勇気。

f:id:tatsu2:20180304220859p:plain

そしてその「勇気」についてどう考えるかというメッセージ、テーマに設定されていたのがあきらの書いた一文だ。

“続き”に触れるのは雨の降る中、『羅生門』についてやり取りをする休憩室のシークエンス。アニメで足されているダイアローグを引くと、この話の構造が見えてくる。

いずれにせよ含みを持たせたままこの物語は終わってる。

続き、続きとかないんですか?

ええ、続き?

あはは、成る程。続きねえ、今までそんなこと考えたこともなかったなあ。実に面白い。ゴメンゴメン、続きはないけどね、芥川は最後の一文を何回か書き直していてね。この前の文章では下人は雨の中に飛び出して街に強盗に向かっているんだ。芥川がどう思っていたかはわからないけど、前の文章を書いていたときには盗人になる勇気が芥川の中でとても大きなものだったんじゃないかな。俺はそう思ってる。

(中略)

俺が下人だったら、門の下でずっと雨を止むのを待っていると思う。もしかしたら、雨が止んでもその場から動けずにいるかもしれない。

芥川が何回も書き直したという最後の一文が、補習の問題で書いたあきらの一文に掛かっているわけだ。それはつまり、ふたりの関係であり、シリーズを通したアニメの構造にも置き換えられる。原作付きアニメに付きまとう「どこで終わりにするのか」という問題。その解答例をここで提示しているようにも思えるのだ。

こちらは余談。原作通りの服装であっても、色が付くと華やかさが増し、印象がガラっと変わったマイナスイオン系女子高生のワンピース。

f:id:tatsu2:20180304213429p:plain

ユイが吉沢のときめくものを聞いていたり(細かい伏線)、ふたりの邪魔をしないようあきらを立ち去らせたり。原作に配慮された改変にアニメ版の心配りが読み取れる。

f:id:tatsu2:20180304215444g:plain

休憩室を出る前のカットもいい。ディテールアップされた髪のタッチ+“友達”を繰り返し強調する近藤に、怒った風な顔でチラっと横目を向くあきらのクローズアップ。タッチと微妙な表情作りが目を引くアップショットだった(目パチのタイミング!)。

脚本/梅原英司、絵コンテ・演出/赤松康裕*3

*1:続きが読みたいとも~は原作にない一文。

*2:アニメでは足を怪我している設定。

*3:撮影出身の演出家で、単独での絵コンテ・演出兼任はこれが初かもしれない。

『恋は雨上がりのように』 #7

夜の青い光の中、カーテンに伝う雨雫の影。

恋は雨上がりのように』7話Bパート、雷が落ちて停電した後、ずっとテーブルに伏せっていたあきらが身を起こすシーンの美しさ、緊張感はただごとではなかった。

f:id:tatsu2:20180223235638p:plain

青白く照らしていた外の光がカット内で変化し、画面全体の光量が落ちる代わりに、一筋の涙があきらの頬を伝う。ガラスを流れる雨粒の影はあきらの不安であり、どうしようもない感情の発露だった。それが本物の涙になった。すると、ガラスを伝っていた影は消え、近藤にある感情が湧く。影や涙が落ちるものだとしたら、感情は湧き上がってくるもの。その視覚的イメージの交差が美しい。

f:id:tatsu2:20180224111214g:plain

近藤の腕に絡むあきらの髪の柔らかいアニメート、もつれ合って倒れるふたつの傘の情動。画面から滲み出る情緒性には目を瞠るものがあった*1。そして原作から膨らませている近藤のモノローグもこの場面を盛り上げた要素のひとつ。

この感情に、名前を付けるのはあまりに軽薄だ。

それでも、今彼女が抱えている不安をとり払ってやりたい。救ってやりたい。たとえ自分に、そんな資格があるとは思えなくても。

この感情を、この感情を。この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。

今このひととき、傘を閉じて君の雨に濡れよう。どこまでも青く、懐かしさだけで触れてはいけないものを今、僕だけが守れる。今、このひととき、降りしきる君の雨に君と濡れよう。どこまでも青く、青く輝き続けられるように。今、僕だけが祈れる。

「この感情を」というフレーズを3回繰り返すのはアニメの脚色部分(原作では1回)。また近藤正巳役・平田広明ディレクションの賜物か、3度発声するそれぞれのニュアンスをすべて変えているのがすばらしい。後半はまるで私小説を読んでいるようであり、「ひととき」「今」と何度も連呼しているところに煩悶の痕が見て取れるし、文学青年だった名残が湧き上がってきていると読んでも面白い。

f:id:tatsu2:20180224103635p:plain

「青」で覆われていた部屋が眩い光に照らされ、雫は下へ、感情は上へ。天井に映りこんだ雨の影は落ちているのか上っているのか。光と影による交感の演出。熱に浮かされた雨の陰影、ひとときの幻想。理屈ではない感情が押し寄せてきているという劇的な一瞬だった。

脚本/赤尾でこ 絵コンテ/二村秀樹、演出/丸山由太、河野亜矢子、赤松康裕 作画監督門脇聡、西原恵利香、奥野明世

*1:雨雫の影や凝ったあきらの髪の表現は河野亜矢子絵コンテ・演出の第3話にも登場する。

『恋は雨上がりのように』6話の構成力、演出

恋は雨上がりのように』は構成力に唸らされるアニメだ。

原作付きのアニメを観るとき、原作既読の状態が必ずしも好ましいとはかぎらないが、本作はシリーズ構成、各話の構成、ともに原作ファンの目で観ても「こう来たか」と思わせる仕掛けがある。アニメ第6話「沙雨」は原作3巻のエピソードを再構成し、“3人”の関係性、すれ違う思いを描いたものだ。

f:id:tatsu2:20180216221746p:plain

まず、これまで出番の少なかった喜屋武はるかを今回の語り手のひとりにすると伝えるアバンタイトル。本編Aパートは中学時代の回想から始まって、朝、学校に行く前にその頃の写真をじっとみつめるはるかのカットを挟み、部活と補習を行っている学校のシーンへ。眩しい夏の日差しの下、笑いあう陸上部の目を避けながら、補習終わりのあきらは大汗をかいてバイトに向かう。途中、駅のホームであきらは穏やかな風の音を聞く。そして夏の青空から街並みへとカメラが振られ、今日も「ガーデン」で働くあきらを見守るように、いつもと変わらない夜が更けていく。このアバンからファーストシークエンスまでの描写をみても、大部分は原作通りだ。しかしエピソードを並び替えた事によって、あきらとはるかの交わらないある夏の一日という輪郭がくっきり浮かび上がる。ガーデンの店内にカメラが入らないまま終わっているのも重要だ。これはガーデンに向かう道のり(あきらとはるかの走ってきた道にもかかった二重の演出)の話なのだと暗に語っている。

脚色の巧さが光ったのはBパート冒頭。

f:id:tatsu2:20180216234450p:plain

ひとり集中し、ラスト一本を全力で走るはるかは、子供のころ追いかけていたあきらの背中を思い出す。この本来なら原作7巻に登場するはずの回想とオリジナルの練習シーンを組み合わせたアニメ独自のプロットが呼び覚ましているのは、陸上への情熱とそれを追う視線、走っていると耳をいっぱいにするという風の音だ。さらにはるかの走り終わった後、轟いている遠雷がレアキーホルダーを受け取って帰路につくあきらの頭上でゴロゴロと鳴る。そうして呼びかけられた音は物語に新たな味わいを生む。

それがラストシーンだ。あきらは突風を背中から受けて、ひとりその音に耳をすます。幻想的な画面の中、あきらの姿は次第に滲み、夜空に“とけていく”。(先の回想と同じく、原作7巻に登場する描写のアレンジ)。

f:id:tatsu2:20180217175513p:plain

これも駅のホームで風を感じ、はるかの回想で反復されているからこそ、特別な音として伝わってくるわけだ。背中の見せ方もいい。はるかの視線を背中に受けていたあきらが、今は近藤の背中をひそかにみつめている。けれど、かつて聴いていた馴染み深い音を忘れたわけじゃない。あきらにも、近藤にも、互いに自分を呼んでいるものがある。その感傷的な余韻が後を引く、構成の妙。存分に堪能させてもらった。

脚本/木戸雄一郎、絵コンテ・演出/鏑木ひろ。(多重露光のカットはお気に入り)。

f:id:tatsu2:20180217003753p:plain

『恋は雨上がりのように』のスペシャルファンデについて

TVアニメ『恋は雨上がりのように』には「スペシャルファンデ」という固有の役職が設けられている。具体的に何をする役職なのか、わからないでいたのだけど、岡田麻衣子プロデューサーのインタビューで触れられ、少しだけ内容が明らかになった。

瞳アップの時は、原作のように吸い込まれるような、いろいろな瞳を試しに作ってもらったりしました。実際には作画で盛ったり、スペシャルファンデチームで特殊加工したり、撮影さんに処理を工夫してもらったりして、今の深い瞳ができ上がりました。

アニメ質問状:「恋は雨上がりのように」 あきらの目力をどう出すか 作画で盛って特殊加工も

とはいえ、実際の作例が載せられておらず、「スペシャルファンデチーム」の実像はまだぼやけている。調べてみると、TVPaintのフォーラムに「チームサポート」の高木宏紀さんが同ソフトを使った作品として投稿されており、こちらが詳しい。

動画・仕上・特殊効果を行っているスタッフ、中愛夏・三田遼子の2名が「スペシャルファンデ」(渡辺歩監督に命名していただきました)の名義で
・キャラクターのアップのカットでの目まわりを中心としたディテールアップ
・キャラクター全体に対する水彩風の処理
・劇中出てくる賄いのサンドイッチやグラスの質感処理(動きがあるカットをメインに特殊効果専門の方と折半して作業)
・特殊な線表現(3話にてデフォルメ表現として鉛筆風のカットを作成しました)
などを担当しています。

恋は雨上がりのように - TVPaintの日本語ユーザー専用フォーラムへようこそ!

スペシャルファンデチームは瞳の加工だけでなく、多岐に渡る処理や表現を担当しているようだ。サンドウィッチの質感処理までこなしているとは驚きの事実。特殊な表現に携わる専門職といった感じだろうか。

■通常処理の瞳とディテールアップカットの比較

f:id:tatsu2:20180214113259p:plain

f:id:tatsu2:20180214114731p:plain

f:id:tatsu2:20180214114745p:plain

f:id:tatsu2:20180214114804p:plain

 一番上のカットはゴミ出しの途中で勇斗と会ってしまった第5話アバンタイトルのもの。加工の違いが比較しやすいと思って取り上げた(さすがにゴミ出しのときは通常の処理だった)。“スペシャル”なクローズアップは虹彩のグラデーションが複雑な色味を帯び、瞳の中の実線が増えている。瞳孔に斜め格子状の線が足される場合もあり、睫毛の描き込みは顕著。毛流れの柔らかさが画面から伝わってくるほどだ。

こうした質感の上乗せで思い出すのは、同じくWIT STUDIOで制作された『甲鉄城のカバネリ』のメイクアップアニメーター*1による加筆表現だろう。アニメーションソフト「TVPaint Animation」で描かれたメイクアップカットは、美樹本晴彦のイラストを「動きを付けた状態」で再現するという目論見で行われた高度な挑戦だった。

恋は雨上がりのように』も発想の源は、原作者である眉月じゅんの描くイラストの質感に近づける試みにあるように思う。しかし『カバネリ』がハードな世界観の陰影をカットレベルに持ち込んだ表現だとしたら、本作の「スペシャルファンデ」は恋と青春のマチエルを描き分けるためのものだ。あきらが目を輝かせて近藤をみつめればみつめるほど近藤はその瞳に惹かれ、同時に葛藤を抱く。そしてあきらの横顔がみつめる先に陸上があるように、近藤にも懸けたものがあった。様々なギャップが横たわる恋愛と自分を懸けた青春の機微。スペシャルファンデチームが彩りを加えているのは、そんな「雨宿り」をするふたりのマチエルではないかと思うのだ。

f:id:tatsu2:20180214190544p:plain

*1:中愛夏さんは第9話よりメイクアップアニメーターにクレジットされている。