boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

アムロとブラと今 敏

 『機動戦士ガンダム』17話「アムロ脱走」には有名な「ミライの干してあるブラジャーに赤面するアムロ」というシーンがある。先日、久しぶりにその初心なアムロの一面を見て、頭の片隅にふと「吊ったブラ」が印象的なアニメは他にもあったはずだ、なんだったっけと疑問が湧いた。

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結論を書いてしまうと、それは今 敏監督の『パーフェクトブルー』だった。ヒロインの未麻が浴室に下着類を干しているカットがあり、その印象が強かったのだ。当該カットは「パーフェクトブルー戦記」のレイアウト解説回(その7●大王降臨)でも取り上げられており、作品の生活感に寄与する象徴的なカットといえるかもしれない。

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ところで、「戦記」には意外なほどガンダムネタが多い。

■新外国人助っ人・マック来日(今年はガンダムが来る)

■さぐりあい、腹(めぐりあい宇宙)

今 敏監督は高校時代、先にハマっていた先輩に引きずられる格好で「ガンダム」に熱中し、好きになったことをインタビューで明かしている。おそらく繰り返し見ているうちに血肉になっていったのだろう。「戦記」で描かれている苦しい制作スケジュール、戦力のやりくりはまるでホワイトベースの無茶な転戦のようであり、後に演出の松尾衡が『機動戦士Ζガンダム』劇場三部作のスタジオ演出として富野由悠季監督と関わることを思えば、『パーフェクトブルー』と「ガンダム」は奇妙な縁で結ばれている気がするから不思議だ。 

監督のガンダム好きについては、平尾隆之監督のインタビューも詳しい。

 今敏監督をしのんで 平尾隆之監督が今監督に教わったこと

「お前、普通はアムロだろう。お前みたいな若者は、だいたい自分がアムロだと勘違いするんだよ」という苦言は、キネ旬ムック「PLUS MADHOUSE 1 今敏」を併読するとさらに楽しくなること請け合い。「調子に乗った若者」≒「アムロ」の構図があるのだなあ、と。ブラジャーもいいが、映画を観よ、アムロ

プラス マッドハウス 1 今敏 (プラスマッドハウス 1)

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  • 作者:今敏
  • 発売日: 2015/07/22
  • メディア: 大型本
 

とある吉田玲子のダイアローグ 週雑006

前記事の補足も兼ねて。

水色時代』第43「思い出アルバム4 はじめての友達」の終盤、優子のお隣さんで幼馴染・博士が落ちたブレーカーを上げて、帰った後のダイアローグ。

北野「あたし帰る!」
優子「え?」
北野「帰る!」
優子「北野さん! 北野さん帰らないで」
多可子「あたし盛り付けする」
優子「ご飯できてるから一緒に食べよ!」
北野「いらない!」
優子「北野さん……」
北野「じゃあね」
優子「3人でご飯食べようよ」
北野「2人で食べればいいじゃん」
優子「ダメだよ。3人で食べるつもりで作ったんだから2人で食べたら寂しいよ!」
北野「あたしだって、寂しかったんだから。3人で食べるなら3人で一緒に作ればいいのに優ちゃんと高幡さんだけで……あたしは、なんか邪魔者みたいで。寂しくなっちゃって、これじゃやっぱり友達なんていらない。ずっとひとりだったし、またひとりになってもいいもん」
優子「やだな、それ。北野さんは私の友達。だから私の友達じゃない北野さんは私の知らない北野さんで、いま私の目の前にいる北野さんは私の友達。だから、その北野さんが友達いらないってことは私も寂しくなって……私の友達の北野さんに寂しい思いをさせちゃったことがこうやって自分に返ってきたということは……私は何を言ってるのかな」
北野「優ちゃん、なんだかわかんないよ」
優子「ゴメンね……」
多可子「準備オッケーイ!」
優子「あ、北野さんちょっと目を瞑っててね」
北野「え、うん」
優子「いいよー、目開けて」
北野「うわー」
優子「すごいでしょ」
多可子「ケーキも焼いたんだ。おっともうひとつ。これこれ、えい!」
優子「ただいまからしばらくの間を2月29日、北野深雪さん14歳の誕生日とさせていただきまーす」
多可子「はいはい」
北野「わたしの……?」
優子「北野さん、席ついてロウソクをぷぷぷーっと!」
北野「ふー」
優子「北野さん、お誕生日おめでとう!」
多可子「ハッピーバースデイ!」
北野「あ、ありがとう」
優子「なんのなんの」
北野「お箸もこっち向きに置いてある」
優子「今日は気を使わないで。どっちの手で箸使ってもいいよ」
北野「うん」
多可子「そうそう、そういえば冷蔵庫にあったこれ何?」
北野「あ、それあたしが」
優子「そうだ、北野さんのお土産」
北野「じゃあ、わたしがわける。ありがとう優ちゃん。ありがとう……タカちゃん」
多可子「……うん。あ、でもこれ北野の分は?」
北野「あ、タカちゃんも来るってわたし知らなかったから2個しか買ってこなかったの」
多可子「じゃ、わけよ」
北野「いいよ、あ、でもタカちゃん切るの上手いね」
多可子「えっへん」
優子「私もわける! あ!」
北野「優ちゃん下手!」
多可子「クリーム飛んだよー!」
優子「赤はピーチで緑はヨモギだ、おいし」

「はじめての友達」はアニメ版のオリジナルエピソードであり、脚本・吉田玲子のダイアローグに於けるセンスの一端がうかがえる佳作だ(絵コンテは北野さん担当な節もある桜井弘明)。優子の長セリフの年相応な「わけわかんなさ」や「なんのなんの」とちょっと芝居掛かって切り返すあたりは、『けいおん!』『たまこまーけっと』など、山田尚子監督作品の会話劇を先取りしているよう。

とりわけ吉田節が炸裂しているのは、北野が溜めて「タカちゃん」と呼ぶくだりだ。多可子は強気な性格で似た者同士の北野と衝突を繰り返しており、そのたびに優子が板挟みになっていた。だから、北野が帰ると言い出しても盛り付けをやるからとさっさと引っ込み、素っ気ない態度をとった……ように見せているのがこの脚本の肝。おそらく多可子はここで何か言ったらまた強情な言い争いになって、もつれてしまうと思ったのだろう。北野は優子がきっと引き留める。ならば後はパーティの準備を進めておくことだと。この割り切った性格描写がじつに巧い。そしてパーティが始まり、シュークリームを切り分ける段で北野が恥ずかしさを堪え、勇気を振り絞って呼んだ「タカちゃん」にも「うん」と短い受け答えで済ましている。これはすべて彼女なりの友達への接し方というアンサーを込めた“思春期の行間”なのだ。

起こしてみれば、ごくありふれた中学生の女のコの会話劇。しかしそんな「ありふれたもの」を描くことが、作為を感じさせず、等身大の心情に寄り添う物語を作る難しさがいまなら分かる。とある吉田玲子のダイアローグ、もっと見つめていきたい。

水色時代(1) (フラワーコミックス)

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吉田玲子の「水色時代」

本打ちは乙女の赤い血問題で揺れていた。

こんな書き出しで始まる文章がある。2000年に刊行された「アニメスタイル」第2号に寄せられた若き日(といってもデビューからそれなりに年数は経っている)のシナリオライター・吉田玲子によるコラム。「自作を語る」というテーマで内容は『水色時代』第5話「すれちがい」についての裏話というか、「脚本打ち合わせ秘話」だ。

アニメのサブタイトルは「すれちがい」となっているが、やぶうち優の同名原作で当てられたタイトルはずばり「初潮」。ちょっとオクテのヒロイン優子が初潮を迎えるという扱いの難しいエピソードで、コラムの中では吉田が呼ばれることになった経緯*1や喧々諤々の打ち合わせの詳細、またそこから学んだことが鮮明に書かれている。それがじつに読ませるのだ。個人的にこのコラムは吉田玲子自身の言葉が綴られているという以上に、現在の作風にいたる考え方、思想がはっきりと読み取れる非常に重要な資料だと思っている。

「すれちがい」の原作とアニメ、とくに脚本に関する部分*2を比べてみると、まずモノローグにもダイアローグにも「初潮」という単語は出てこない。「生理」も何も知らない男子が優子に対し無神経に投げかける言葉としての意図が深められており、中学生の物語ながら男女の決して越えられない溝が描かれている。そして「男子」への不信は(優子の目線で)自分勝手な父親に対しても向けられるのだが、そこで優子をなだめる母親のセリフが重要な意味を持つ。

だってそうでしょ。いつもゴルフやってお酒飲んで、自分だけご機嫌で。

そうねえ。でもお父さんああ見えても、お母さんのこと色々と気を使ったり、心配したりしてくれてるんだから。

え……

違う人間なんだから、わかりあえないこともあって当然でしょ。でも相手を思いやる気持ちさえあればそれでいいと思ってるの。

原作で該当するのは、「わかってもらおうとも思ってないのよ。わかるわけないんだし。お母さんはただお父さんが元気でいてくれて、お父さんのために何かしてあげれば、それで幸せよ」というセリフ。それほど大きく変えているわけではないが、ニュアンスは吉田色に染められていることが分かる。

アニメの脚色で言えば、コスモスの花もおそらく脚本で加えられた彩りだろう。

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 「乙女の純潔」という花言葉を持つピンクのコスモスの蕾をファーストシーンで見せておき、徐々に花開く様子を優子の心と身体にシンクロさせる。「赤」を画面で見せないのも配慮なら、コスモスに代弁させる心模様も配慮だ。細やかな気配りが利いた脚本と言えるかもしれない。ちなみに「すれちがい」のコンテは変名と思われる「古畑三郎」であり(当時放送されていた『古畑任三郎』に引っ掛けている?)、内容が内容だけに「男子」には気恥ずかしかったのかと想像してしまう。優子同様、演出家も何らかの理由で隠したかったのだろう。

話を戻すと、『水色時代』で吉田玲子は17本脚本を書いている。中でもアニメオリジナル「思い出アルバム」の3本と「タカ子の恋」「笑わない代ばば」「プレゼント」などは近年の代表作、『ガールズ&パンツァー』『たまこラブストーリー』『リズと青い鳥』といった青春作品への補助線として見てもおもしろい。「タカ子の恋」の「京都に転校する男の子を追いかけて、新幹線のプラットフォームで想いを告げる」プロットなんて思わず頬が緩んでしまうこと請け合いだし、「思い出アルバム」の「はじめての友達」には"らしさ"全開の素晴らしい行間*3がある。

 『水色時代』を書かせていただいたことで、良くも悪くも自分の指向みたいなものがはっきりしてきたような気がする。ヒーローよりも端っこで生きている人が、孤高の人よりしがらみに苦しむ人が、目立つ人より埋没しそうな人を描くのが……。人と人の関係を描くことが……。決して完全にはわかりあえないのに好きになったり、お互いにとって良い人でいたいのに憎しみや悪意を抱きあったり、さざ波みたいに動いて、時には渦となって動き出す気持ちを描くのが、好きなんである。
わたしたちは宇宙の始まりも終わりも知らないまま生まれて死んでいく。そういう意味では生きている人はみんな何者かもわからず、みんな曖昧なまま狭間で愚かに生きていて、みんな『水色時代』なのかもしれない。

「自作を語る」で明かされている吉田の述懐は脚本を担当した直近の作品群のテーマにも繋がる、作り手の芯と言えるもの。つまり『水色時代』は吉田玲子なる脚本家が色づき始めた作品なのだ。四半世紀経っても変わらない、水色の気質。その筆致はずっと瑞々しい。

水色時代 DVD-BOX 1

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  • 発売日: 2002/03/22
  • メディア: DVD
 

*1:シリーズ構成は武上純希。吉田玲子は各話脚本で参加している。

*2:コンテ以降の工程で諸々のチェックが入っている可能性があるにしても、この話数は脚本に拠るところが大きいと思われる。

*3:「あだ名」で呼ぶというイニシエーションに対する吉田玲子の脚本的回答は必見!

「鬼滅の刃」と「未来福音」 

まさに待望の一冊。話題の『鬼滅の刃』最終巻を先週、発売日に買って読んだ。

単行本の加筆・修正で印象の変わるマンガは少なくないが、『鬼滅の刃』の場合、元々帯びていたメッセージ性が加筆によってより深く読者の胸に届くように描かれており、読後の余韻もひとしお。劇場版の大ヒットも本作の発するメッセージが映像や音楽と上手く掛け合わさった結果なのだろうな、と改めて思わされた。

鬼滅の刃』は人を喰らう鬼の跋扈するハードな世界の物語だが、根底に流れているのは「人の想い」であり、その「不滅性」だ。人は死せども想いは消えない。そして想いは受け継がれていく。そんな作品の性質とアニメーション制作を担当したufotableを重ねてみると、不思議と浮かび上がってくる作品がある。『空の境界 未来福音』だ。

劇場版「空の境界」未来福音(完全生産限定版) [Blu-ray]

空の境界』はいわずとしれた原作・奈須きのこの伝奇小説。元は同人小説だったが、幅広いメディア展開が行われ、映像化は「TYPE-MOON × ufotableプロジェクト」として大々的に制作された。『未来福音』は本編の後日譚やサイドストーリーを集めた作品で、長い長いエピローグの形をとったボーナストラック。あるいは「空の境界」という物語に於ける「加筆」と言い換えてもいい。そして、その加筆されたエピソードの視線はすべて「未来」を向いている。けれども、劇中ある人物が自分に未来のないことを告げられる。道行きは真っ暗、救われることもないと。だが続けてこう言われるのだ。それでも、貴方の夢は生き続けるわ、と。

奈須きのこの書く夢(ユメ)と、吾峠呼世晴が描いてきた「人の想い」。おそらく、そこには同じ光が射している。だからこそ、ちょっとだけ夢見てしまう。「鬼滅」のエピローグ、「未来福音」がアニメーションになる日を。もちろん「extra chorus」付きで、だ(外伝の甘露寺蜜璃が可愛い)。

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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