boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

『恋は雨上がりのように』 #7

夜の青い光の中、カーテンに伝う雨雫の影。

恋は雨上がりのように』7話Bパート、雷が落ちて停電した後、ずっとテーブルに伏せっていたあきらが身を起こすシーンの美しさ、緊張感はただごとではなかった。

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青白く照らしていた外の光がカット内で変化し、画面全体の光量が落ちる代わりに、一筋の涙があきらの頬を伝う。ガラスを流れる雨粒の影はあきらの不安であり、どうしようもない感情の発露だった。それが本物の涙になった。すると、ガラスを伝っていた影は消え、近藤にある感情が湧く。影や涙が落ちるものだとしたら、感情は湧き上がってくるもの。その視覚的イメージの交差が美しい。

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近藤の腕に絡むあきらの髪の柔らかいアニメート、もつれ合って倒れるふたつの傘の情動。画面から滲み出る情緒性には目を瞠るものがあった*1。そして原作から膨らませている近藤のモノローグもこの場面を盛り上げた要素のひとつ。

この感情に、名前を付けるのはあまりに軽薄だ。

それでも、今彼女が抱えている不安をとり払ってやりたい。救ってやりたい。たとえ自分に、そんな資格があるとは思えなくても。

この感情を、この感情を。この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。

今このひととき、傘を閉じて君の雨に濡れよう。どこまでも青く、懐かしさだけで触れてはいけないものを今、僕だけが守れる。今、このひととき、降りしきる君の雨に君と濡れよう。どこまでも青く、青く輝き続けられるように。今、僕だけが祈れる。

「この感情を」というフレーズを3回繰り返すのはアニメの脚色部分(原作では1回)。また近藤正巳役・平田広明ディレクションの賜物か、3度発声するそれぞれのニュアンスをすべて変えているのがすばらしい。後半はまるで私小説を読んでいるようであり、「ひととき」「今」と何度も連呼しているところに煩悶の痕が見て取れるし、文学青年だった名残が湧き上がってきていると読んでも面白い。

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「青」で覆われていた部屋が眩い光に照らされ、雫は下へ、感情は上へ。天井に映りこんだ雨の影は落ちているのか上っているのか。光と影による交感の演出。熱に浮かされた雨の陰影、ひとときの幻想。理屈ではない感情が押し寄せてきているという劇的な一瞬だった。

脚本/赤尾でこ 絵コンテ/二村秀樹、演出/丸山由太、河野亜矢子、赤松康裕 作画監督門脇聡、西原恵利香、奥野明世

*1:雨雫の影や凝ったあきらの髪の表現は河野亜矢子絵コンテ・演出の第3話にも登場する。

『恋は雨上がりのように』6話の構成力、演出

恋は雨上がりのように』は構成力に唸らされるアニメだ。

原作付きのアニメを観るとき、原作既読の状態が必ずしも好ましいとはかぎらないが、本作はシリーズ構成、各話の構成、ともに原作ファンの目で観ても「こう来たか」と思わせる仕掛けがある。アニメ第6話「沙雨」は原作3巻のエピソードを再構成し、“3人”の関係性、すれ違う思いを描いたものだ。

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まず、これまで出番の少なかった喜屋武はるかを今回の語り手のひとりにすると伝えるアバンタイトル。本編Aパートは中学時代の回想から始まって、朝、学校に行く前にその頃の写真をじっとみつめるはるかのカットを挟み、部活と補習を行っている学校のシーンへ。眩しい夏の日差しの下、笑いあう陸上部の目を避けながら、補習終わりのあきらは大汗をかいてバイトに向かう。途中、駅のホームであきらは穏やかな風の音を聞く。そして夏の青空から街並みへとカメラが振られ、今日も「ガーデン」で働くあきらを見守るように、いつもと変わらない夜が更けていく。このアバンからファーストシークエンスまでの描写をみても、大部分は原作通りだ。しかしエピソードを並び替えた事によって、あきらとはるかの交わらないある夏の一日という輪郭がくっきり浮かび上がる。ガーデンの店内にカメラが入らないまま終わっているのも重要だ。これはガーデンに向かう道のり(あきらとはるかの走ってきた道にもかかった二重の演出)の話なのだと暗に語っている。

脚色の巧さが光ったのはBパート冒頭。

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ひとり集中し、ラスト一本を全力で走るはるかは、子供のころ追いかけていたあきらの背中を思い出す。この本来なら原作7巻に登場するはずの回想とオリジナルの練習シーンを組み合わせたアニメ独自のプロットが呼び覚ましているのは、陸上への情熱とそれを追う視線、走っていると耳をいっぱいにするという風の音だ。さらにはるかの走り終わった後、轟いている遠雷がレアキーホルダーを受け取って帰路につくあきらの頭上でゴロゴロと鳴る。そうして呼びかけられた音は物語に新たな味わいを生む。

それがラストシーンだ。あきらは突風を背中から受けて、ひとりその音に耳をすます。幻想的な画面の中、あきらの姿は次第に滲み、夜空に“とけていく”。(先の回想と同じく、原作7巻に登場する描写のアレンジ)。

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これも駅のホームで風を感じ、はるかの回想で反復されているからこそ、特別な音として伝わってくるわけだ。背中の見せ方もいい。はるかの視線を背中に受けていたあきらが、今は近藤の背中をひそかにみつめている。けれど、かつて聴いていた馴染み深い音を忘れたわけじゃない。あきらにも、近藤にも、互いに自分を呼んでいるものがある。その感傷的な余韻が後を引く、構成の妙。存分に堪能させてもらった。

脚本/木戸雄一郎、絵コンテ・演出/鏑木ひろ。(多重露光のカットはお気に入り)。

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『恋は雨上がりのように』のスペシャルファンデについて

TVアニメ『恋は雨上がりのように』には「スペシャルファンデ」という固有の役職が設けられている。具体的に何をする役職なのか、わからないでいたのだけど、岡田麻衣子プロデューサーのインタビューで触れられ、少しだけ内容が明らかになった。

瞳アップの時は、原作のように吸い込まれるような、いろいろな瞳を試しに作ってもらったりしました。実際には作画で盛ったり、スペシャルファンデチームで特殊加工したり、撮影さんに処理を工夫してもらったりして、今の深い瞳ができ上がりました。

アニメ質問状:「恋は雨上がりのように」 あきらの目力をどう出すか 作画で盛って特殊加工も

とはいえ、実際の作例が載せられておらず、「スペシャルファンデチーム」の実像はまだぼやけている。調べてみると、TVPaintのフォーラムに「チームサポート」の高木宏紀さんが同ソフトを使った作品として投稿されており、こちらが詳しい。

動画・仕上・特殊効果を行っているスタッフ、中愛夏・三田遼子の2名が「スペシャルファンデ」(渡辺歩監督に命名していただきました)の名義で
・キャラクターのアップのカットでの目まわりを中心としたディテールアップ
・キャラクター全体に対する水彩風の処理
・劇中出てくる賄いのサンドイッチやグラスの質感処理(動きがあるカットをメインに特殊効果専門の方と折半して作業)
・特殊な線表現(3話にてデフォルメ表現として鉛筆風のカットを作成しました)
などを担当しています。

恋は雨上がりのように - TVPaintの日本語ユーザー専用フォーラムへようこそ!

スペシャルファンデチームは瞳の加工だけでなく、多岐に渡る処理や表現を担当しているようだ。サンドウィッチの質感処理までこなしているとは驚きの事実。特殊な表現に携わる専門職といった感じだろうか。

■通常処理の瞳とディテールアップカットの比較

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 一番上のカットはゴミ出しの途中で勇斗と会ってしまった第5話アバンタイトルのもの。加工の違いが比較しやすいと思って取り上げた(さすがにゴミ出しのときは通常の処理だった)。“スペシャル”なクローズアップは虹彩のグラデーションが複雑な色味を帯び、瞳の中の実線が増えている。瞳孔に斜め格子状の線が足される場合もあり、睫毛の描き込みは顕著。毛流れの柔らかさが画面から伝わってくるほどだ。

こうした質感の上乗せで思い出すのは、同じくWIT STUDIOで制作された『甲鉄城のカバネリ』のメイクアップアニメーター*1による加筆表現だろう。アニメーションソフト「TVPaint Animation」で描かれたメイクアップカットは、美樹本晴彦のイラストを「動きを付けた状態」で再現するという目論見で行われた高度な挑戦だった。

恋は雨上がりのように』も発想の源は、原作者である眉月じゅんの描くイラストの質感に近づける試みにあるように思う。しかし『カバネリ』がハードな世界観の陰影をカットレベルに持ち込んだ表現だとしたら、本作の「スペシャルファンデ」は恋と青春のマチエルを描き分けるためのものだ。あきらが目を輝かせて近藤をみつめればみつめるほど近藤はその瞳に惹かれ、同時に葛藤を抱く。そしてあきらの横顔がみつめる先に陸上があるように、近藤にも懸けたものがあった。様々なギャップが横たわる恋愛と自分を懸けた青春の機微。スペシャルファンデチームが彩りを加えているのは、そんな「雨宿り」をするふたりのマチエルではないかと思うのだ。

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*1:中愛夏さんは第9話よりメイクアップアニメーターにクレジットされている。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の視線誘導・ピン送りメモ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』第5話の視線誘導・フォーカスについてメモしておきたい。

京都アニメーションお家芸とも言える被写界深度のコントロール。第5話のそれは今まで以上に精緻で見慣れないものがあった。

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シャルロッテ王女と向かい合うヴァイオレット。ここではPANするカメラに合わせる形でピン送り。しかもこれは実写でいう移動撮影(トラック)風のカメラワーク。王女を画面中央に据えたまま、まるでヴァイオレットが「道を開けた」ように感じさせる。

ダミアン王子からの手紙が思い通り内容でなく、寝室に戻るシャルロッテのカット。

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苛立ちを隠さず立ち去る王女からヴァイオレットへのピン送り。王女の反応に引っ掛かりを覚えるヴァイオレットの心理にフォーカスするためだと思われるが、一見しただけでは見逃してしまいそうなほど細かい。

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王宮の庭で会話するふたり。PANダウン+ピン送り。ヴァイオレットに焦点が送られているものの、このシーンの本当の主役は王女が手に持った花。ティアラから花(王女からひとりの少女に)への誘導も兼ねた憎い演出。

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こちらはペンにインクを付ける瞬間に後ろから前へピントを合わせるカット。王女の猛烈なアプローチを強調する格好だ。

第5話の演出陣は絵コンテ/山田尚子、演出/藤田春香、澤真平。山田尚子がコンテを担当した回でこれほどナメたり切り返したりを繰り返したものは珍しい*1。向かい合って話をさせるより、作為的でない自然な立ち位置にいる人物の会話をドキュメンタリータッチで撮るという形式が多かったからだ。だが今回の相手は王女。定式的な配置、作法が存在する王宮の会話劇であることを考慮してプランニングしたのかもしれない。それにカット単位、シーン単位でコントロールしてきた視線が、シャルロッテと宮廷女官のアルベルタに収束する結末も美しい。技法と物語の調和がとれた、傑作話数だ。

*1:もちろん、監督によるコンテチェック、演出処理や撮影の手が入っていることも考慮しておきたい。