boogyman's memo

アニメーションと余日のメモ欄

話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選

年の瀬が近づくと始まる企画、今年放送されたTVアニメの中からエピソード単位で10本選ぶ、「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」。

以下、コメント付きでリストアップ。

■『風が強く吹いている』 第23話「それは風の中に」

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脚本/喜安浩平 絵コンテ・演出/野村和也 作画監督千葉崇洋、名倉智史、折井一雅、高橋英樹、鈴木明日香、森田千誉、稲吉朝子、下妻日紗子

松下慶子プロデューサーの担当するTVアニメを「話数単位」でいったい何本選んできただろう。箱根駅伝を舞台にした本作、最大の魅力は「思いをつなぐこと」に対するドラマだ。最終回はその集大成と言える。抜群の「走り」作画は言わずもがな、個人的に身を震わせてしまったのは、ハイジの父親がラジオで息子の激走の模様を聴いている場面。

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父親の表情を映さず、ストップウォッチを持つ手の動きによる心理描写、次にハイジの目をアップをつなぐという憎いコンテワークだが、おそらく対になっているのは14話のラストシーンだ。王子が参加標準記録を突破したその喜びを言葉に出さず、唇の震えと滲む主観によって演出。であるならば、ラジオを聴くハイジの父親の目には何が滲み、見えていたのか。敢えて「見せない」ことで見えない心のつながりを描く。それがドラマだ。

 

 ■『ブギーポップは笑わない』 第13話(夜明けのブギーポップ

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脚本/鈴木智 絵コンテ・演出/斎藤圭一郎 作画監督/原科大樹

「VSイマジネーター」編の第7話で光と影の境界を巧みに操り、鮮烈な印象を残した斎藤圭一郎が「夜明けのブギーポップ」のトリを飾ってくれたことは僥倖というほかない。入念な準備をする霧間凪と回る車輪のメタファーをカットバックするアバンタイトルといい、ブギーポップと凪に当てるライティングといい、類まれな映像センスを要所で感じさせてくれる。

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光の中へ消えていくブギーポップのラストシーンから、絵コンテ・演出・原画を担当したエンディングアニメーションへのつながりも素晴らしい。

 

■『キラッとプリ☆チャン』 第50話「夢のプリ☆チャン、やってみた!」

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脚本/兵頭一歩 絵コンテ/博史池畠 演出/茉田哲明 作画監修/斉藤里枝、川島尚、島田さとし

怒涛の連続ライブ&サプライズ、ボルテージ最高潮の舞台でまさかのミラクル☆キラッツ×メルティックスター、互いのMV交換からミラクルスター結成まで、夢がギュッと凝縮した第一期の総力戦的話数。ライブパートの情報量はすさまじく、変化球の多いシリーズにあって直球勝負で突き抜けた、プリチャン随一のスペシャル回。

 

■『臨死!!江古田ちゃん』第8話

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脚本/武田ゆい 監督・絵コンテ/小島正幸 キャラクターデザイン・演出・背景・美術・作画・色彩設計/谷紫織

怪作揃いの各話『江古田ちゃん』の中で、小島正幸監督は描線のタッチを生かしたシンプルかつ高度なアニメーションを作り上げた。例えば気の置けない間柄であることを示すさり気ない友人Mの仕草、難しい俯瞰のカットアングル、影を省略し淡く塗られた色彩。切り取る対象、カメラの向け方、そのひとつひとつに作家性が滲み出ている。短編だからこそ、剥き出しになる個性。江古田ちゃんは剥くのが上手い女なのだ……

 

■『博多明太!ぴりからこちゃん』 第9話「納涼! 白糸の滝」

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脚本/入江信吾 絵コンテ・演出・作画監督・原画/りお

博多ネタ満載のハイテンポショートアニメ『ぴりからこちゃん』の武器は、ブラックジョークと作り手の持ち味がそのまま反映された画面だ。とりわけ「食われる」話はキレが良く、コンテから原画まで「りお」がひとりで担当した白滝回は特徴的なフォルムとタイミングも楽しめる一粒で二度美味しい話数。マヤのノーブラ揺れを見逃すな!

 

■『からかい上手の高木さん2』 第12話「夏祭り」

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脚本/伊丹あき 絵コンテ・演出/宇根信也 作画監督/茂木琢次、岩永大蔵、阿曽仁美、別所ゆうき
宍戸久美子、清水勝祐、中野江美子、福田瑞穂

『高木さん』特有の"間"と甘酸っぱさが極まったのは、おそらく直前の11話だ。12話はそれを受けてドラマを完結させるべく全力で走り、手を繋ぐまでを描く。高木さんが積極的に西片をからかう反面、「待つ女」であることが明かされる展開の妙、そして決して介入しない、「観察」する側の存在だった木村が垣根を越えて結ぶ二人の道筋、胸をすくような一体感。

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主役の影に名バイプレイヤーあり。木村役・落合福嗣の好演をここに特記しておきたい。*1

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■『ヴィンランド・サガ』 第14話「暁光」

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脚本/ 猪原健太、瀬古浩司 絵コンテ・演出/小林敦 作画監督/山本無以、吉岡毅、佐藤誠之、村田睦明、辻村幸輝、井上修一、松本幸子、網修次郎、栗原基彦

アンという少女の内省とヴァイキングという"外敵"、略奪する者と略奪される者。突然襲い掛かってくる理不尽の中で見えてくる決定的な思想の違い。様々な現実を描きながら、幻想によって締め括られるこのエピソードは、誤解を恐れず言うならば小林敦版「赤毛のアン」だ。生活感の抽出、コミカルかつハードな表情芝居、歴史的背景への理解、いずれも小林敦演出の特徴といっていい。シリーズを代表する一本。

 

■『ちはやふる3』 第5話「あまのかぐやま」

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脚本/柿原優子 絵コンテ/いしづかあつこ 演出/香月邦夫 作画監督/香月邦夫、岡郁美

クイーン位4連覇の実力者・猪熊遥を坂本真綾が演じるサプライズは第3期の大きな見どころであり、同じく高校生で声優デビューを果たした綾瀬千早役・瀬戸麻美と対峙する5話は、いしづかあつこが「監督作以外」で数年ぶりに各話コンテに入った回でもあった。原作の熱量そのままに、アニメならではのカッティングと作画で攻める一方、桜沢の涙をロビーのオブジェクトを利用してより感傷的にするなど、硬軟自在のテクニックを披露。千早たちが強くなっていく間に、作り手も強くなっている。そのシンクロが心地良く、また頼もしい。

関連:『ちはやふる3』の汗と浅香守生

 

■『バビロン』 第2話「標的」

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脚本/坂本美南香 絵コンテ・演出/富井ななせ 作画監督/久保光寿

TVアニメを観ていて、「演出」に圧倒されるということは滅多にない。ありとあらゆる手段を使って視線を釘付けにする、官能的で狂気を秘めた演出的特異点。曲世愛という視線の定まらない女が、いかにして相手の視線を虜にするのか。まるでそれを実体験したかのような奇妙な感覚。「標的」を観た後、富井ななせの痕跡を探ろうとする自分の目は、きっと正崎と似ていただろう。

関連:『バビロン』2話の演出について

 

■『リラックマとカオルさん』第1話「花見」

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脚本/荻上直子 ディレクター/小林雅仁 チーフアニメーター/峰岸裕和

何気ない日常の機微や喜怒哀楽を、カオルさんの等身大の心情で語るストップモーションアニメ。「花見」は初回ながら、四季折々の節目でふと感じてしまう周囲の変化と自身の停滞感、そしてリラックマというファンタジーな存在であるはずのマスコットが放つ不思議な安心感がみごとに調和しており、一通り観た後、またここに帰ってきたくなる。最新の「生活アニメ」は『リラックマとカオルさん』だ。*2

 

今年は「話数単位」にとってひとつの区切りだと思う。 各サイトで発表された結果を集計してきた新米小僧さんが企画を離れてしまうからだ。元々、TVアニメの「各話」に注目する企画として振り返れば、アニメージュが開催していたアニメグランプリに「サブタイトル部門」があり、出発点こそ違えど「話数単位」は「サブタイトル部門」のブログ版と言えるかもしれない。

この企画にはふたつの楽しみがある。まずは話数の選定。一年のおさらいをしながら頭を悩ませ、ああでもないこうでもないと熟考する時間。そして投票集計を見るワクワク。意外なものが上位に来ている年もあって、まだまだ未知のアニメは沢山あるなと何度も実感させられた。つまり企画の"半分"は新米小僧さんの労力と根気、リスト魂によって支えられてきたのだ。とはいえ、集計が止まったからといって企画が終わるわけじゃない。ブログを書いているうちは、ずっと続けていきたい――けれどもひとまず、今年の集計が終わったら一言、お疲れ様でしたと声をかけ、感謝の念を伝えたいと思っている。

と、湿っぽいのはここまでにして。御多分に洩れず、最後まで入れようかどうか考えていたのは、

■『女子高生の無駄づかい』第9話「おしゃれ」(ベスト長縄まりあ回)

■『モブサイコ100 II』第5話「不和 〜選択〜」(伍柏諭炸裂)

■『グランベルム』第10話「もの思う人形」(石田可奈のダークサイド)

■『アイカツオンパレード!』第7話「かがやく三つの太陽」(ソレイユ&志賀祐香)

■『ロード・エルメロイII世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-』第6話「少女とデパートとプレゼント」(TROYCA名物・「6話のあおきえい」)

■『胡蝶綺 〜若き信長〜』第10話「兄と弟」(河野亜矢子による情念的描写)

■『ハイスコアガールⅡ』第24話(日高小春が貫き通した日高小春性)

以上に加え、ハイテンションな演出を連発していた大島克也回をなんとかねじ込みたかったのだけど、隙間なく埋まってしまい……来年以降、「話数単位常連」になると信じてタイムアップ。もっとTVアニメを観よう!

関連サイト:新米小僧の見習日記 「話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選」参加サイト一覧

 

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*1:落合福嗣は同時期に放送された『女子高生の無駄づかい』11話でもクセのある比喩を多用するぴーなっつPを演じ、ワセダにヲタを追わせた。

*2:アニメ様の「タイトル未定」で『リラックマとカオルさん』が『マジカルエミ』に近いと書かれていたことは、記憶に留めておきたい。209 アニメ様日記 2019年5月26日(日)

『さすがの猿飛』28話の回し蹴りメモ

NHK NEWS WEB 京アニ・つなぐ思い」のページに11月25日付けで「子どもに夢を ~“天才アニメーター” の素顔~」という記事が掲載された。これはアニメーター・木上益治の軌跡を辿る貴重な証言集。その中であにまる屋時代の同僚・奈須川充さんが『さすがの猿飛』の思い出を語っていた。

須川さんの思い出に残っているのが、テレビアニメ「さすがの猿飛」、第28話「ミカの愛した英雄バイク」。原画を担当した奈須川さんは、作業が間に合わず、木上さんに助けを求めました。快く引き受けた木上さんが描いたのは、主人公の猿飛肉丸がヒロインらに蹴られるシーン。演出の絵コンテにはただ単に「蹴る」としか指示が書かれていませんでしたが、木上さんはその「蹴る」という動作を膨らませ「回し蹴り」として描き出すことで、ダイナミックなシーンに作り上げていきました。どんな些細なワンカットにも一工夫を加え、クオリティを高めていくことに木上さんは徹底してこだわっていました。

 28話で肉丸が蹴られるシーンはAパート、美加がバイクでやってきてからの一幕。

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一見すると天丼のギャグカットだが、ワンカット内に3アクションを入れた贅沢な設計で、魔子の回し蹴りは、踵をターンさせ、蹴る瞬間わずかにジャンプする飛び後ろ回し蹴りだ。

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蹴りを放つ前の予備動作・ポージング、(蹴り脚の)足首の角度や空中姿勢、蹴られた肉丸の崩し方とオバケなど、細かいこだわりがふんだんに盛り込まれている。タイミング的には有名な16話のかすみ(肉丸の母)が肉丸を蹴るカットに近く、見比べてもいいかもしれない。

余談として、28話「ミカの愛した英雄バイク」まで猿飛のあにまる屋回は原画がスタジオ名で統一されており、次の35話から個人名がクレジットされる。けれど、そこに木上益治の名前はない。つまり、シリーズ中一度もクレジットされていないアニメーターなのだ。にもかかわらず、その仕事ぶりが関係者から語られる。京都時代も複数の名義を使ったり、ノンクレジットの仕事が多かったが、猿飛はじつに"らしい"な、と思う。

関連:WEBアニメスタイル もっとアニメを観よう  ■ 02/06/27 第2回 井上・今石・小黒座談会(2)

『ちはやふる3』の汗と浅香守生

6年ぶりのTVシリーズ第3期、『ちはやふる3』を観て思うことは、ひたすら純粋に「面白い」だ。競技かるたに懸ける情熱も、青春群像劇の中で絡み合う恋模様も、ずっと観ていたくなる。原作の勘所をつかまえる抜かりなさ、緊張感を孕みつつ、テンポ良く進める手際の鮮やかさ。浅香守生監督の『ちはやふる』はそう、そんなアニメだったと改めて思い出させてくれた。

浅香守生監督の作風について、印象深い言葉がある。それはマッドハウスの重鎮、川尻善昭監督のインタビューで出てきたこんな言葉だ。

──血と汗の匂いが画面からも伝わってくる感じがするので、少女漫画『ちはやふる』に携わられていたのが凄い意外だったんです。
川尻:昔やった『エースをねらえ』も少女漫画ですよ(笑)。
──『エースをねらえ』は演出されている出崎(統)さんの汗くささを感じる部分もあるんですが、『ちはやふる』はそういった雰囲気があまりないので意外だったんです。
川尻:それは、監督の浅香(守生)君の力量というのが凄くあります。作品に男の汗くささというのがない人ですから。

 ジャパニメーションを作った男 インタビュー川尻善昭(Rooftop2014年12月号)

「作品に男の汗くささというのがない人」という一文を読んで、何かストンと腑に落ちた気分になったことを今でも覚えている。演出デビュー作の『YAWARA!』、初監督作の『POPS』、代表作に数えられるであろう『カードキャプターさくら』はもちろん、太い眉毛と濃い顔つきの男子高校生を主人公にした異色の少女漫画『俺物語!!』にしても、汗くさいとは思わなかった。とはいえ、これは個人的な印象の話であって断定するものではないし、原作の雰囲気を大切にしていることゆえの必然かもしれない。

と、ここからが本題。つい先日放送された『ちはやふる3』の第4話と第5話(2話連続放送だった)は、まさに汗が迸る熱戦の連続。そこで描かれた「汗」ついて、すこし触れてみたい。

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吉野会大会A級準々決勝、綾瀬千早 vs 猪熊遥。元クイーン相手に苦戦を強いられる千早が、「ちは」を送って零れる一筋の汗があった。原作19巻の同シーンと並べてみよう。

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落ちていく汗にカメラワークを合わせ、千早の汗により強い決意を滲ませる。「ちは」は、作品上最重要といってもいい札であり、卓越した「感じ」を持つ相手からすれば格好の狙い札。それを送るということがどんな意味を持つのか、千早が何を胸に秘めて戦っているのか、汗が流れ落ちる"間"に託しているわけだ。時間をコントロールし、原作の絵を再現しながら膨らませる、映像/アニメーションならではの表現といえる。

試合が進み、ふたたび千早の頬を汗が伝って落ちるのは、「ちは」を取られてリズムを崩した猪熊遥が復調し、女王の頃の耳を取り戻しつつあるシーン。

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原作のコマ割りを踏襲したカット割り、違うのは光と影を使った汗の動き。無邪気な猪熊の笑いに対し、相手の強さへの畏敬か、あるいは嬉しさか、不意に笑みがこぼれる千早。「互いに笑っている」というのは、空札なのに札が動いてしまって「風圧ですよね」と二人揃って主張して笑い合う、次の取りへの伏線的な表情だが、アニメの方では千早が笑う前に光が当たっているところから汗が伝い、桜沢と理音が並んだカットを挟み、汗が影中へ伝って落ちる動きにもポイントを作っている。アップダウンの激しい試合展開、その喜びと怖れ、二重の意味付けを行う心憎い演出だ。

光から影へ伝う汗があるならば、影から光へと伝わる汗もある。

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決着となる「しのぶれど」の札が読まれる直前、千早が目を開き、コントラストの強い画面へと変わっていく最中、読手の口元をクローズアップ、光が広がっていき、読手のカットバック、千早のフラッシュカット→取り、と繋がっていく。よく見ると千早の頬の汗に光が掛かった瞬間にS音を発する読手の口元へとカットが切り替わっている。非常に細かいが、対比的/逆転的に汗を見せていることが分かる部分だ。

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勝負後に汗を滴り落とすのは、負けた猪熊遥。これは原作にはない画で表情は見えず、顎先から零れる汗は涙のようにも感じさせる。この猪熊のカット効いてくるのが、「衰えてくるといやになってやめてしまうものよ」と理音に話す桜沢の涙だ。零れるものと零れないもの、汗と涙、綾瀬千早と猪熊遥、猪熊遥と桜沢翠、反復と対比を様々な人間関係に重ね合わせ、見せていく。

他方で、こんな使われ方もしている。

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運命戦となった真島太一と須藤暁人の一戦、最後の決まり字が読まれるとき、画面が暗くなりポツンと汗が落ちたようなエフェクト入り、迷わず敵陣を攻めた太一が勝つ。もうひとつの戦いの汗、それがだれのドラマを示すものだったか、言わずもがな、伝わってくる。

ちはやふる』の試合に汗は不可欠だ。手に汗を握って応援し、汗を拭いながら耳を澄ます。その汗を、浅香守生監督は時にキラキラと光らせ、時に深い影の中に落とす。記号的にするのではなく、工夫と感動を持って、ドラマの助演に仕立て上げる。以前、『マッドハウスに夢中!!』というムックで真崎守監督が「散らしモノのリアリティ」*1を思いつくかどうかが、企画に乗るコツかもしれないと語っていたが、浅香守生監督の「散らしモノ」を見るに『ちはやふる』は最適な作品だ。浅香守生のリアリティ、「汗」はたぶん、そのひとつなのだろうと思う。

マッドハウスに夢中! (Oak book)

マッドハウスに夢中! (Oak book)

 

*1:「僕と彼(丸山正雄)が好きなのはね、チャンバラ映画なんかを見てて、マントをつけた旅人とかがよく出てくるでしょ。それが風が吹くとヒラヒラする、というあのリアリティー。それから木の葉とかの散らしモノ。ああいった細かな演出や、マントがヒラつくかどうかが、僕たちが企画に乗るコツかも知れない」p.76

『バビロン』2話の演出について

平衡感覚という言葉がある。比喩的にも使われるが、からだのバランスを敏感に察知し、それを保つ感覚のことだ。であるならば、野崎まどの同名小説をTVアニメ化した『バビロン』第2話に登場する平松絵見子こと「曲世愛」(まがせ あい)は、人の平衡感覚を失わせる能力を持った女、と言えるかもしれない。

第2話「標的」はかなり特殊なスタイルのエピソードだった。主人公である正崎善の部下・文緒厚彦が突然の自殺を遂げ、その死に疑問を持つ正崎が見つけた平松という女性。特殊と書いたのは、平松に行われる事情聴取の演出に対してだ。階段を上っているのか下りているか分からない平松の的を得ない受け答えを大胆かつ官能的に、そして意図的に「奇を衒って」描いている。

■異なる3つの画面アスペクト比/カラースクリプト(ライティング)

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 「標的」を特徴付けている最も前面的な演出は、シーンに合わせたアスペクト比の変更だろう。正崎による事件の調査と平松への聴取が交互が入る構成に対し、前者を通常のワイド画面、後者を上下黒帯の疑似的なシネマスコープサイズにしている。加えて後半では(仮定上の)回想の場面に4:3のノーマルサイズを用いて平松の性的な人物像を煽り、それぞれの光、色味に差を付けることで、文字通り色も形も定まらない印象を強調。奇怪な女という情報のみが増えていく。

 ■彷徨い、見つめる視線/クローズアップ

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平松の奇態な振る舞いの中で特に効果を上げているのが、視線の運動だ。じっと睨みつける正崎をはぐらかすように視線を彷徨わせたかと思えば柔和に、しかし底知れない視線でまっすぐ見つめてくる。それはまるで相対する人物を観察し、何かを探っているのかと思わせる視線。聴取は最終的に平松の質問を受けて終える形になるが、じつは聴取が始まった時から調べられていたのは正崎の方だったのではないか、そんな疑問を抱かせるのだ。

それを強く感じさせるのが、クローズアップのサイズ。何度もインサートされる「観察的」なクローズアップは徐々に接近し、超クローズアップと呼ばれるサイズまで寄ってくる。迫っている対象は、おそらく相手の「本質」だ。そして忘れてはならないのが視線の運動に不可欠な瞬き(目パチ)の使い方。閉じる動作そのものをカット割りの"糊代"にしたり、心に潜り込んでいく契機のように見せたりしながら、きわめつけは聴取のラストカット。

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平松と正崎のリンクした瞬き。相手の呼吸とぴったり合わせる、つまり平松のセリフの通り、「正義とは何か」を問うことが正崎の本質(作品の大テーマ)であると探り終えたかのよう。正崎は何も掴んでいないに等しいにもかかわらず、だ。非情なまでに皮肉めいている。

■方向性/遠近の逆転、混乱

富野由悠季「映像の原則」でも書かれている有名な原則のひとつに「方向性」がある。かいつまんで言えば「視線・動きの方向性そのものが意味を含んでいる」ことであり、映像表現の基礎的な(富野的といってもいい)話だ。

この『バビロン』第2話を見ても方向性は概ね整理されて始まるが、ポイントはやはり逆転のタイミング。

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3度目の聴取シーンは天井に埋め込まれた室内機のパネル越しの俯瞰でスタートし、左右の方向性のみならず、見下ろし、見上げる視点と次々に切り返し、逆転していく。視線の運動とも密接に関係しながら、複雑な方向性を編んでいくが、それに「意味があるのか」と思わせるところが肝だ。方向性が意味を持っているのならば、正崎の方向性(質問)は意味を成していない。注意を引き付ける空調の音といい、空間的対話的混乱を引き起こすシーンだ。

続いて逆転を許してしまうのは、画面サイズとライティングが通常に戻った最後の聴取。調書にサインする代わりに正崎の話を聞かせて欲しいと願い出る平松。

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扇情的にも見える平松の唇や手振りのクローズアップから方向性を入れ替え、被写体はズーム、背景は引きながらアオる変形ドリーズーム。さらには、捕まえた獲物を逃がさないかの如く迫り出してくる分割ショット。どれだけ接近したのかと思えば、当たり前だが距離は変わっておらず、縦に切られた壁の線(溝)を見ると、正崎の方に空間的余裕があるレイアウト。にもかかわらず、わざと「スペースのある檻」に入れてあげたのだと思えるほど、方向性(主導権)は逆転している。すべては知らず知らずのうちに接近を許し、懐に入り込まれてしまう心理的掌握術の演出。ひどく巧妙というほかない。

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画のアイディアにも驚かされる。性行為について訊く際どい口腔内(から撮っている風の)カット、価値観の違いを認め合うべきかを問う「首切り(合体)分割」など、主導権を握る平松の優位性をあの手この手で見せつけてくる。一見、対話のバランスを保っているようでいて、その実、正崎が既に精神的な平衡感覚を狂わされていることの証左だ。

絵コンテ・演出は、富井ななせ。ネットの情報を調べると、演出家としてのキャリアはまだ浅い様子で、そのスタイルは殆ど知られていない。第4話の絵コンテも担当し、視線に対する敏感さや会話シーンにおける画面分割、アイロニー・メタファーの一部に共通性を見い出せなくもないが、TVシリーズの場合、監督の演出方針による影響やコンテチェック、修正も入るため、出来るならもう少し仕事を眺めてから個性を感じとりたいところ(本文中で触れていない部分で言えば、平松の独特な話し方のリズム、間芝居が指定通りか否か、キャストの演技プランとの兼ね合いなど)。

曲世愛の正体を知るのが先か、富井演出の真価を見るのが先か。たしかめられる日を首を長くして待ちたい。

 

バビロン 1 ―女― (講談社タイガ)

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